すべてはエネルギー
良い、悪いも
正しい、正しくないも
優劣もない
肉体を持つこの私も
目の前にあるスマホやノートなどの物質も
目の前にいる人も
ごくごく小さな小さな粒の集まり
振動して、波のように存在している
ただ、その状態であるだけ
すべてはエネルギー
あれこれと思考をめぐらせていた時に、あーだこーだと考えることに飽きたというか疲れた時にこの言葉が思い浮かびました。
正直言って、数年前から何度も何度も耳にも目にもしてわかっちゃいるけれどな言葉
ただ、今回はこの言葉に意識がぐんと引き上げられました
私の肉体も含めた周りのものや人が黒い背景に小さな粒の集合体振動してが波のようにうねっているイメージが頭に浮かびました。
そうしたら、誰かの行為や言動ではなくてエネルギー状態に意識がフォーカスしていく感覚になりました
自分が、そして相手がどんなエネルギー状態か
良い悪いや優劣はもちろんありません
ただ、そのエネルギー状態なだけ
そんな小さな小さな粒の集合体の私が、何と響き合い共鳴し、何と不協和音を奏でたり摩擦を起こすのか
良い悪い、正解不正解はない
ジャッジしない
この言葉に触れた当初、私がやっていたのは人からされたこと、言われたことや言動にに対して『良い、悪い、正解不正解はない』『ジャッジしない』でした
人から嫌なことをされたり、言動にモヤっとしても『良い悪いはない、ジャッジしちゃいけない』『許さなきゃ』でした
それによって心の平安や幸福感が訪れるどころか、悲しさや苦しさが沸いているのに、臭いものに蓋をするかのように押さえつけて見せかけの満足感を感じていました
ジャッジと言う言葉を検索すると『審判、判定』と言う意味が出てくるのですが、私は『ジャッジ=裁き=罰を与える』と言うイメージがあって、人のことを裁いてはいけないと思い込んでいました。
それと、人に好き嫌いをしてはいけないと言う謎のルール
今、思うのは
良い悪い、正解不正解はないのだから私が何が好きで何が嫌いかもそこにNGはないのだと言うこと
そういう意味で、これは好きこれは嫌い
とジャッジして良い
守るべき法律やルールにマナーはもちろんあるけれど、こうするのが正解と言うのは人それぞれ異なる
だから、誰かの正解を自分に当てはめなくて良い
何を選び、何を選ばないか
私たちは自分で選んで決める
自分のことを自分のものさしでジャッジしながら生きている
すべてはエネルギー
ただ、そこにそうして在るだけ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます