貴重なお休みの間に

弾丸旅行の記録を読み返しておきましょう

 

この、出雲大社にお参りは

家族の行きたいところで決定

何時も沙羅の希望を通してくださっているので

一寸ぐらいは譲らないとね?

 

30日、お休みに入ってから

行き先を決め

ですが、出発は時間を決めずノンビリ

家族がお休みになった途端

叩き起こして

さぁ!

も、違うだろうと、、ね

 

結果

コレが大正解でした

出雲大社の駐車場に到着したのは

大晦日22時40分

ですが、、山道付近

人が大勢並んで歩いています

沙羅達は

新年初詣の⛩丁度1時間前に到着して

20分ほど歩き

列の後方に並んで待機

横8人後ろ見えない程

(沙羅は小さいので当たり前)

 

先に初詣を済ませてから

年の厄祓いのお申込み

昨年ね事故があったのでシッカリ

お祓いをと、家族が考えた様です

テントの中で待機

 

10人程の人数になった所で

一団体の厄祓い

最初に家族の名前が読み上げられ

笛と大太鼓と小太鼓

その、リズムに合わせてお祓いの祝詞

 

終わったら

お印を頂くのは

今度は家族が一番最後

其々、頂くものもの違う様で

きっと、、初穂料で違っている様だと

感じました

 

終わって

家族は破魔矢を購入

沙羅は数人分のおみくじを購入

人に差し上げるか

その時々で沙羅が引いて見る

出雲大社まで、しょっちゅうには行けないので

気休めです

 

沙羅達が止めた駐車場が無料でしたので

お参りが終わったら

居並ぶ屋台を横目にサッサと駐車場へ

何処の屋台も長い行列

後から後からお車も繰り出している様ですので

有料ならゆっくり遊んでもよかったけれど

後の方に空けておこうとなりました

 

少し走ったところに道の駅

何故かガードマンの方が立っている

が、

此処で良い、と寝る準備

夜中の2時をまわっているので

疲れも出てくる頃と

数十台並んだお車の中でー大きなお車の間を見つけて駐車

これね、沙羅の教訓

一度和歌山県に初日の出を見に出かけた時に

海の横だったので

風がきつくて

一体どうなっているんだ?!と思う程

で、

大きなお車の間だと

両方向からの風除けの壁ができる

と、考えた

コレはもう、5、6年前

けれど、シッカリ覚えて活用

 

1日の朝は出雲大社の

臨時駐車場での目覚め

でね

さくらをお散歩に連れて出たら

目の前にあったのが

「出雲の阿国」の銅像

残念ながらお写真は無いのですが

踊りを習った方なら

一度はお名前をお聞きになられた筈

と言うほど

名を知られたお方

 

その舞は怪しく、可笑しく、楽しく

徳川家康が「女が舞ってはならん」と

禁じてしまいましたが

歌舞伎の前奏と言われていますよね

何の事は無い

只、太鼓のリズムに合わせて

身体を揺する

それが踊り

 

人の気を鼓舞する

其れが踊り

難しい事アレコレ

後で、自分に都合の良い様に

言葉を付け足したものが

我ありてと、謳うが

踊りはお身体を酷使した人々が

一年の仕事を終え

頂いた供物を神に捧げ感謝を込めて

太鼓や口笛でリズムを刻む

そのリズムが単調であればあるほど

大在の村人が舞い踊る

 

のだと

改めて気づく事ができた

そして、その人々の中に

きっと!

手指の動きのしなやかに

足先つま先伸びやかに

腰の動きの悩ましく

手拭い解けて、隠れた髪の滑り落ち

 

と言う、誘う舞

国の栄えの始めとなる

 

国造りの始め

の、地でのお話です

 

沙羅より