おはよ!

山でお仕事です

と、言いたいのですが

何故か静かな、静かな山です

先程は妹が遊びに来て居ました

何方かと待ち合わせだった様ですが

時間潰しにペチャクチャ

 

父方の祖母の

もう一つの記憶

余り良い記憶にはならないかもしれませんが

強烈でした

 

大阪で父母が頑張って

生活の基盤を作り

家も、いとこ姉さんの家の一間の

間借りから

アパート一間の間借りに変わり

その後、狭いながら連棟の一軒家を購入

沙羅が中学校に上がるまでには

落ち着ける状態になって居ました

その後直ぐに

売りに出た棟続きの隣家を購入

 

沙羅が社会人になった頃

未だ実家がある

今の一戸建ての家を購入

この家を購入した時に

やっと、

田舎の人々にも

頑張ったと知らせることができたんだろうと

思うのは

父方の祖父母が遊びに来たこと

 

その時の祖父の記憶は余り無いのですが

祖母の行動が

沙羅にはとてもショックでした

20人ほどの人々が2階の大部屋で

寄り集まって歓迎会

沙羅達女組は配膳を2階に運ぶために

何往復も往復して居た時に

曲がり階段の上から

桃がコロコロいくつか落ちて来ます

見上げると

祖母が最上部に立って居て

手には桃を未だ持って居ました

少し腰の曲った祖母に

「危ないよ、何してるん」?と

声を掛けると

手に持った桃を廊下を転がす様に

ヒョイって転がして

「お婆ちゃん!それ桃やろ?

何してるん!

と言うと沙羅みたいに

「どう転がるか、実験してる」って

 

認知症の発症

ほんの数日の事なのに

お年寄りにとっては状況の変化に

戸惑うと言う

最悪の結果になってしまった様で

その後、大阪での同居は無理と

徳之島に帰ってしまいました

 

次男三男を除いては

多くの子供が大阪に出て居たので

暮らせるなら

大阪でもと見に来た様でしたが

状況を変化させるには

定年退職を待ってでは無く

お子さんが巣立った地点では

早々に終の住処を求める

その勇気が必要と

思い知らされた事件でした

 

長男の父は

女兄弟から、結構なじられた様ですが

最後に一度は大阪に呼んでみたことで

面目は立ったと聞きました

 

その後徳之島で祖母は亡くなり

それも、事故がらみだった様ですが

次男の采配で処理され

葬儀から暫くして

祖父を大阪に呼び寄せて居ます

 

祖父は新興宗教の偉いさん

当時のトップ、ナンバー2と

横に並んでお写真を写したり

と言うほどの宗教家

当然大阪に来たからと

ネットワークが切れる事もなく

時により

実家では数十人単位の集会が

行われて居ました

沙羅はこの宗教団体に加盟はして居ません

此れもね、理由が

自分の主義とは違うから

 

実際には一度

父方の叔母に「旅行」と

本山と言うところに連れて行かれ

体育館ほどの大きさを

有に超えているであろう

集会所の正面の高座に人が数人座ると

其処に向かって

数百人おいでの信者と思しき方々が

読経を始めた

沙羅は其処で初めて

信者の勧誘だったのだと気がついた

それ以降

その叔母とは疎遠になっている

 

祖父が大阪で父母と一緒に暮らす様になったこと、集会が開かれると言う事で大きい家を購入、もちろん仕事がらみで

必要があっての事だが

それを良いことに頻度は増して居たと思う

 

この祖父が

少し気難しい?

人当たりはそうでは無い

自分でお洗濯干す事も取り入れる事もそう

お部屋のお掃除もきちんとこなす

 

但し、お食事だけは

母が作って配膳して居た

妹が父母の家で同居をして居た頃は

妹も手伝って居た

 

母が作った食事と

沙羅が作った食事しか食べないと

公言して居た

同居の家族なら良い

母は長男の嫁だから当たり前

なのに、、沙羅は?

そ!

調理師の免許を持って居たから

プロと言う認識

 

一度ね

先の叔母が

自分の作った料理を手土産に

訪ねて来たことがある

其れが、、カレー

其れもね、、鍋ごと

みんなも食べるやろ?と

祖父の部屋にそのまま持って上がり

目の前で広げて見せた

 

一眼見るなり祖父が

「私は食べないよ、持って帰り!」と一言

自分の娘がワザワザ作って運んで来たのに!と文句を言って居たが

祖父は受け付けなかった

それ以降、何かと

持って来たのはみた事もない

宗教上では1番のお弟子さん

沙羅が入信しないのは知っていた

 

沙羅が

この一件で何に気が付いたか

人の行動

取ってつけて「やって居ます、やりました」

それは人の心に善意となっては

届かないと言う事

 

そしてね

この、父方の祖父

白寿の祝いを終えた年に

癌の発症で、治療の為に入院

付き添いは母か沙羅か父

沙羅が行った日に

病室で大騒動していることがあって

何事?

7つほど機器が装着されて

ベッドに横たわって居たのですが

それらの機器を全部ひきちぎり、引き抜いて

高いベッドから

床に降り立って居ました

 

そして

沙羅を見て一言

「このまま、あと一週間したら

私は歩けなくなってしまう!」と

必死に訴えかけて来ます

私に何が出来るでしょう?

 

でも、病気は?とだけです

その当時は

「癌は死ぬ病気」でした

もう、100歳になる方を

治療して、何歳まで生かすことができるのか

つい10日前は歩いてどころか

自分で洗濯や掃除ができて居た人

ベッドに括り付けて

後何日生かせば

医療効果が得られたといえるのでしょう?

 

この祖父は

人生の何たるかの中で

「幾らポンコツになった身体が重たいから

死にたいと思っても、神様がお迎えに来てくださらなければ、死ぬ事もできないからね」と

教えてくださった方です

 

自殺しようとしても

失敗する方

神様に見透かされている

逃げて死んで

自分だけ楽をしようと

それが正しいかどうか

もう一度、考えてみて!と

命の綱を切ることを許されない

 

沙羅より