菊花は日傘をさして、歩き出した、一か所は湿地帯に行く道、舗装をされてはいない、真ん中は遊歩道に向かう道、木くずを塗り固めて舗装をして有る、そして、道路を右に渡ると深い木々に覆われて、レストランの駐車場への入り口,

どちらに向いてもたいして変わりはしない、しかし湿原への道は急な坂があり、ヒールでは歩きにくい、レストランへの道はアスファルトで歩きやすいが、車道が続くので、中の比較的坂も穏やかで、クッション性の舗装がされている遊歩道への道を行く事にした。


此処からだと真直ぐに武田さんが見えている、手造りの教室があり、その横を通って歩くと大きく枝を伸ばした楠が見えている、少し坂を下ると道が左右に分かれるが、此処まで来ると、もう、駐車場が見えない。


 後ろを振り向くと武田さんが、手造り教室の所まで、付いて来てくれていた。

車を置いて付いて来てくれたのだろう。そのまま左に回って少し広い空間に木の切り株が丁度椅子のように誘っている、木漏れ日が切り株の横で風が吹くのに合わせて、ゆらゆらとダンスを踊り、此処までおいでと誘っている。


武田さんが付いて来てくれている安心感であの切り株に座って待つ事にした。

ぶらぶらと歩いていき切り株に腰を掛け、日傘を畳んで池から流れ出す水音に耳を傾け何時しか、本当に是で良いのかまた悩みが頭をもたげ、それでも父の為と顎を引き締めどれ程待ったのか、未だだろうかと武田さんの姿を求め来た道を振り返った。


坂の上の木陰に木に持たれてあちらを向いている。まだか?と言っても武田さんを悩ますだけだろう、余り歩き回って汗をかく事も出来ず一度車に戻った方が良いのだろうと立ちあがり、日傘をさした。


 坂に差しかかり、武田さんの姿がハッキリ確認出来るほどの距離で、声を掛けようと顔をあげて思わず言葉を飲み込んだ、人違いだ。お洋服が違う。

あちらを向いているが、先程から、同じ恰好で、身動きもされない。

気を引かないように、静かに通り過ぎようと坂を上って行くと、その方が動いた。そして、ゆっくり此方をみる。


菊花は思わず日傘を落としてしまった。

「今日は」あの方だ、

「今日は」何故こんな所に、


 ゆっくり身体を起こし近寄ってくると、傘を拾い上げ菊花に手渡す。菊花は直ぐには手を伸ばす事が出来なかった。

お目に掛りたいと、今の今まで心に描いていたお顔、微笑んで何の気なしに傘をさしかけて下さる。


 どうしよう武田さんは見当たらない、急いで駐車場の方を覗いてみたが、姿は見えなかった。

 菊花は決心した。是は千載一隅のチャンスかもしれない、例え明日には忘れなければならない方としても、お名前だけでも知りたい。

「有難うございます」手を伸ばして傘を受けとる。


 「お散歩ですか?」そんな恰好で山登りをするのか?と笑いが隠れているように、菊花のワンピース姿を身体をのけぞらせて見回している。

「ええ、少しお散歩をと思ったのですがやはり日射しが暑くなってまいりましたので、車に戻ろうかと、田中市長様のお家でお目に掛った事がございますね?」

木の上から滑り降りて来たとは言わなかった。

一緒に並んで付いて来る。

「ええ、それ以前にも一度お目に掛っています」この方も覚えていて、菊花と気付いて下さったのだ、思わず、笑みが溢れる。


「あらっ、そうでしたかしら?」忘れるはずは無いが、それと伝えるのは気恥ずかしい。

 「ええ、そうです」忘れたのか?と言わんばかりに力が入っている。

駐車場が見えて来た。


「申し訳ございません、此方で人と待ち合わせをしておりました。駐車場に車を待たせて有りますので、もう、そちらに戻らなければなりません、失礼ですが、よろしければお名前をお尋ねしても良いですか?」

この道を戻ると駐車場の車が目に入る、其処には当然武田さんが待機して下さっているはず、幾らなんでも見知らぬ方と並んで戻る訳にはいかない。


「岸本 太郎です」

「岸本、太郎様、有難うございます、私は菊花と申します、そろそろ、お約束の方が見えると思いますので、此方で失礼いたします」

もう、武田さんが見えるだろうと、首を伸ばして見るが、見当たらない、どうしたのだろう、幾らなんでもこの状態に気付かない筈は無いはずなのに。

岸本様に会釈をして、駐車場に戻って車を止めた場所を探したが、車が見当たらない、武田さんが見当たらない筈だ、車が無い。


替わりに黒い車が止まっている、他に車は軽のワゴンタイプの車だけ、後は事務所の近くに作業用のトラックが止まっているだけだ。

 もしかしたら、菊花は振り向いた。岸本様は後ろを付いて来ている、菊花が此処でお待ちしなければならなかったのは彼だろうか?