何方なのだろう?全く見知った方では無いと言うのは何て不安なのだろう?

相手の方は、一度でも菊花を見かけた事がおありになるのだろうか?

顔を姿も知らずにご結婚を決めるのなら、本当に持参金のみが目当ての結婚、上手く行かなければ、表に出さない奥方として、何時も家に置いて、ご自分は忙しいと飛び跳ねていらっしゃるか、反対に情け容赦なく人前で虐げられ泣く泣く実家に戻されるか。


どちらにしても、菊花の終生の住まいは人の目に触れる事も無く、静かに暮らすか、激動の渦に投げ込まれ、実家に戻されるか。

実家に戻るのが一番安全なように思うが、其れではお父様の名を辱める、もしかしたら父だけでなく、一族の評判にかかわってくるかもしれない。

会社もある、従業員の家族もいる。


最後はやはり自分の力で自分の居たい場所を決める必要があるのだろう。

出来ればそれは、嫁ぎ先の見も知らぬとは言え夫のもとでありたいと思う。

菊花も江姉さまのように恋をして、想う方の元へ嫁ぐ事が夢だったが、この状況ではもはや、許される事では無い。


菊花の脳裏に市長さんの家での祝賀会の日の帰りに、木の上から滑り降りて来られた方の御姿が過った。

江姉さまのご結婚の日の披露宴の席で橋本様がお持ちに成った菊花のハンカチ、橋本様はご自分の物とおっしゃったが、あれは菊花のハンカチ、そして置き忘れた場所は平田神社さんのお散歩の時、あの時にお見かけしたのは、橋本様では無い、そう、木登りのお猿さんのはず。

そして、手渡された男物のハンカチ、橋本様は

「是が貴方のハンカチです」と渡して下さったが、イニシャルがT・K、そう、橋本様のイニシャルではないハンカチ。

菊花のタンスの奥底にしまわれている。


でも残念ながらもうお目に掛る事は無いだろうし、お目に掛る事があったとしても、このような重い御勤めを引き受けてしまったからには、お目にかからないのと同じ事。

何時か使う事があればとわざわざ注文した夫婦茶碗も、菊花の身代わりのように、壊れてしまった。

女茶碗のみが菊花の手元に残されているが、もう、あの御茶碗も出して使う事は無いだろう。


夏の午後、築山の木陰の石に腰をおろし泉の水の湧き出る様子を眺めながら、手に持った本は1ページもめくられては居ない。


それでも