菊花は今朝は何も手に着かないので、刺繍を途中で投げ出してしまい、庭に出てみる事にした。

日射しは暑く散歩をするどころでは無いが、裏庭の築山の大きな松の木が枝を伸ばし、支えが何箇所かにしてあり、その気に成れば、この松は恰好の子供たちの遊び場に成る、三姉妹もこの木に良く登っては父やお爺様に叱られた。


丁度大人の頭の上を通る位の高さで枝が伸びているので、降りられなくなっても、父に見つかって叱られたとしても、救い出して下さるのは、叱っている当人なので、肩に這い寄って降ろしてもらったり、大きな脚立を登って来て降ろして下さったり。

一度伸ばした枝では無く高くそびえている方の枝に登っていて降りられなくなり、江姉さまが、一生懸命左足を伸ばして太い枝に足が届くからと教えて下さっていても、怖くて、全く足が出せないで泣き出した時に、都さんが父を呼びに走り、大きな脚立で近くまで登って来たのに、自分で足を延ばして此方に来いと、絶対手を貸して下さらなくて、わんわん泣きながら脚立に足を伸ばした記憶がある。どれ程父を恨んだか、しかしそれ以降木登りなどしてはいないのだから、父の思うつぼだったのだ。


今回のご結婚の御話も、幾ら菊花が文句を言ったとしても、多分御断りをする事は無いだろう、このお話が先日江姉さまが仰っていた、

「大きなお仕事が進んでいるみたい」と言う事だと思う。

犠牲に成ると言うのではないが、この結婚によって一年いや、もしかしたら何年ものお仕事の安泰が得られ、従業員を養っていく事が出来るのだったら、

菊花は悩む必要は無い、何れ結婚してこの家を離れなければならないし、江姉さまがお仕事を継いで下さっているのだから、お子さんが生まれたら、お父様は養子縁組をされて会社は存続出来る。


都さんは、お母様のお付き合いの方の中からふさわしい方を探し出し、とっても良いお母さんに成ると思う、菊花が心配しなければならないのは、自分の事だけ、その自分の事も、こうしてお父様にお任せ出来るのだから、本当に信じて何もかもお任せしよう。


そう決心はしたものの、以前何処かでお目に掛った方とか、お父様のお仕事関係の息子さんで同じ位の方とか思い浮かべてみるのだけれど、役所から、白井様がおいでになるには、どうも検討違いの方のような気がして、落ち着かない。


役所で思い当たるのは、市長さんがお預かりをしている、議員の息子さんで橋本様がもしかしたらと思うのだけれど、あの方は未だ数年ご結婚のおつもりは無いのではないかと思う。お知り合いのお家に預けられて、修行中と成れば、2,3年はそのおつもりが無いのではないか?


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