「菊花姉さま、何時もお散歩は此処においでになるのね、何故?」

岩の上に陣取り、小さなせき止め湖の水面を眺めながら、何故だろうと考える。

お家の中は絶えず人が溢れ、人にもまれて一人では、何も考える暇が無い。

さきの起きなさいの声から始まって、朝食には父か母から今日の予定の確認、変更は無いか、反対に変更があれば、新しい指示が出る。

ほとんどは前日のお夕食の時に確認しているので、変わることは無いが、それでも、一応復唱確認はされる。


そして、予定は家族の予定として、皆に共有される。

例え今日は一日お家でお勉強と、来客も、お出かけも無く、着替えもしなくても、何の問題もなさそうな時にでも、確認される。

菊花が時に遅れて席に着くので、父には悩みの種なのだ。

そして、父は、菊花に一番弱い、母より手こずっているのかも知れない。


可愛がっている、と言えるのだろう、多分一番我がままということだと思う。

江姉さま父を手伝ってお仕事の方たちともお話をされたり、賃貸の管理のお手伝いもそこそこされている。

お一人ではなく父の雇い人の島さんが一緒にお仕事をしてくださる。


母は地域の活動が主で、本当に忙しい、あっちでご病気の方がいらっしゃると聞けば都さんを連れてお手伝いに行き、こっちで赤ちゃんが生まれると聞けば、ご家族のお食事の心配をして差し上げる。

都さんの明るく屈託の無さが皆さんを元気付けるのだ。

なので家族は忙しく、家の中は使用人と出入りの業者や、遠方からのお客さまなど、人が大勢いて、あちらこちらでその都度都度の、声が溢れている。


父は菊花一人で留守番をしていても、気にはならないらしい、いやそれより、何の滞りも無く、家事が進んでいると信じて疑わない。

母もそうらしい、信頼されているのか、利用されているのか。


出来る事を信頼して任されるのは嫌では無い。

けれどやっぱり静かに過ごしたい時がある。

この堰止湖の畔は一人で騒がしさから解き放たれ、自由に静寂を楽しむにはうってつけの場所、但し、此処も一人で来た事は一度も無い


静寂?無音?なんて贅沢な響きだろう、特にこの愛すべきおしゃべりな妹、都さんが静かにして下さったら。

菊花は都を見る。

「小鳥の鳴き声と水の音って素敵じゃない?」

都は納得しかねる目で周りを見る、小鳥のさえずり、水音は聞こえる、だけ。


菊花は先ほどから後ろに視線を感じる、人か?小動物?都と一緒に頭を巡らして見るが、何も見当たらない。

菊花はそうだろうと笑いながら都に目を向けると、パキッと枯れ枝を踏む音がする。


慌てて視線を投げると、ベージュのジャケットを着た男の方の姿がちらっと見えた。

ゆっくりと都を立たせ自分も立ちあがる、男性と目が合ったが、こちらの恐怖が伝わったのか近づいては来ない。


何事も無かったかのように、日傘をつかんで、無言で道を下っていく。

途中で一度振り返ったが追っては来ていない、腰を下ろしていた岩の上にハンカチを忘れたのが見えたが、その男の方の視線もハンカチに向かっている。

どう考えても、取りに戻る勇気は無い。


確かに静寂は味方だ

決めた音は 無音 空気にも音があるのですもの

沙羅より


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