こないだ岩手のばあちゃんから、みりんぼしが届いたんだけど、母が味が変わったと言ってた。
後日みりんぼしのお店がテレビで取りあげられてて、前のように作れなくなったということを知る。
自分達で味を作り直してるようだ。震災で壊れた乾燥機は支援物資の扇風機を代用していた。
ご主人が、奥さんやお客さんに味をみてもらい、もうちょっと甘い方がいいんじゃないかと言われ、
「はっきり言ってくれな」と言って去っていく背中が逞しくて泣けた。
そうやって作っていった、みりんぼしだと理解したい。
うちで今使ってる醤油は岩手のものなんだけど、その工場も壊れてしまった。
こないだやっと復活して醤油がうちに届いた。
あんなことがあったし、くれとも何とも言ってないのに届いた。
「どうだ!」っていう感じがした(笑)
やっぱり他の醤油ではだめだ。これじゃなきゃ。
従妹の自営業のトリマーショップは、岩手の釜石の被害の大きかった商店街にあって、
震災から数日経っても一切連絡がとれず、テレビで従妹の店がある商店街が波にのまれているのをみて、
くらくら目眩がした。
おばあちゃんの安否確認もとれず、毎日母の表情を見てるのが心苦しかった。
そんなときになにもできず、祈るのも違うと思ってずーっと絵を描いてた。
風がびゅーびゅー吹いていたので風の精霊を描いた。
便利な世の中だなぁと痛感したのだが、ネットで安否確認を共有できるサイトがあって、
そこを活用して従妹の友人に連絡をとることができ、友達伝いに無事を確認することができた。
お婆ちゃんの安否が確認できなくて、それもそのお友達の方に情報を探してもらい、無事ですと連絡を頂いた。
でもなんだか、助かった人がいて、その周りには助からなかった人がたくさんいるんだなと思うと
よかったーなんてあまり思えなかったな。
大切な自分のお店を失った従妹のお腹には今、赤ちゃんがいます。
去年、震災後にお付き合いしている彼と結婚を決めました。
旦那さんは彼女のために新居と新しいショップを建ててくれるそうです。
それはお金があるからできる幸福な選択だ。
そうでない人がたくさんいることも彼らは理解してると思うし
あの場所に新しく家を建てて仕事をする選択
そこで子供を産み、育てる選択
いろんな選択を一度に強いられて勇気がいることだったと思う。
私より一つ年下のいとこ。まだ若いです。
そういう勇気を讃えたく、お祝いとしてベビーカーフックを作りました。
とても喜んでくれてよかった。
震災後の一年、岩手からの報せはいつも、「大丈夫だよ」と笑いかけてくるようで、
その度に強いなと思いながら自分のことをとにかく頑張ろうと思ってきました。
これからもそう。
いろんなことを簡単には言えないけどね。
今日を思うというよりは、いつも常にどこかで思っているものな気がする。