音楽雑誌のインタビューに

BUMP OF CHICKENの藤原基央さんのこんな言葉があった。



「一緒」って言葉は使うのが難儀だ。



どう考えてるかわからないけど、
その言葉は、わたしもいつもすごく考える。


辞書ではこう書かれている。

1  一つにまとめること。ひとまとめ。
2  区別のないこと。同一。
3  ともに同じことをすること。
4 「連れ立つ」「ともに行く」を、同行する相手を敬っていう語。
5  同時に行われること。



1とは、ひとつだ。

同じってこと。


一緒に「いる」

その定義もわからない。

一緒にいることは相手が傍にいないといけないのかな。
言葉が交わせないと一緒じゃないのか。

大切な誰かが遠くにいてそれぞれ別の毎日を過ごしていたら
一緒ではないの?




わたしはこう思う。

一緒に在る。

それと変わらないんじゃないのか。 


わたしがここに在る。
あなたがそこに在る。
一緒に在る。

傍にいなくても、この世から消えても在るんだ。



実感したから言える。
失ってもちゃんといる。


二つが一つになることではない。
元から全てに繋がりがあってそれが一つ満ちただけ。


もうそれは肉体とは別のものだ。
魂とかいうわけのわからないものがあるとしたら
ちゃんと人の脳や心に入れておく場所があるんだと思う。


人には無はない。
何もない空っぽという存在がある。

人と出会って繋がり、人が一緒に在ることに気付いただけ。
そういう繋がりをたくさん持ちたいし、気づきたい。


引力で吸い付かれるような感覚で
一緒という言葉を認識しないほうがいい。


一つと一つが同じになるなんてことはないのだ。


完全体を求めると死にたくなる。


ここから離れると私たちは一緒だと理解する。


一つずつが集まり、大きな集合体がやがて一つになる。
わたしの体も一つの細胞、そして原子からできてる。


わたしの体も私だけのモノではなくて
生きてるだけで世界に影響を与えている。

だから人に会えないことや一緒にいれないことは、わたしにとって重要ではない。

ただ、同じ日に今日も生きていることが、とてもうれしいよ。

ありがとう。