以下の文章は、岡潔さんの情緒と創造という著書の文中から抜粋したものです。
自然以外に心というものがある。
たいていの人はそう思っている。
その心はどこにあるかというと、たいていの人は、
自分とは自分の肉体とその内にある心であると思っているらしい。
口に出してそういったことを聞いたことはない。
しかし無意識のうちにそう思っているとしか思えない。
そうすると肉体は自然の一部だから、人はふつう心は自然のなかにある、
それもばらばらに閉じ込められてある、と思っているわけである。
しかし少数ではあるが、こう思っている人たちもある。
自然は心のなかに在る、それもこんなふうにである、
しかし少数ではあるが、こう思っている人たちもある。
自然は心のなかに在る、それもこんなふうにである、
― 心の中に自然があること、なお大海にいつおうの浮かぶがごとし。 ―
このように、自然の中に心があるという仮定と、心の中に自然があるという仮定と二つあるわけであるが、
これはいちおう、どちらと思ってもよいであろう。
しかし人は、自分の本体は自分の心だと思っているのが普通であるから、
しかし人は、自分の本体は自分の心だと思っているのが普通であるから、
どちらの仮定をとるかによって、そのあとはずいぶん変わってくる。
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私は自分の肉体は借り物で、心は死ぬことのない永続的に宙に浮かぶ魂だと思っているから、
すべてが1なのだ。
心も1。宙も1。そこに形がうまれ鼓動がある。
こないだ友人に私は身体のなかに心がある人だと言ってもらえた。
こないだ友人に私は身体のなかに心がある人だと言ってもらえた。
とてもうれしかった。
それでこの本を思い出したのです。
身体の中に心があるという概念を持っていて、それを言葉にできる人に会えたことがうれしかったのです。
得た知識と経験した感動をもう一度別の形で他の誰かから与えられると、
それでこの本を思い出したのです。
身体の中に心があるという概念を持っていて、それを言葉にできる人に会えたことがうれしかったのです。
得た知識と経験した感動をもう一度別の形で他の誰かから与えられると、
心にすっと、そして深いとこまで落ちてくるので、こういう出会いは幸福です。
ね。そゆことです。