前のブログで息子のことを少し書いたので、今回は息子のことをちょっと書いておこうかと思います


娘の3歳年下の弟です


現在は中3の世間では受験生

あんまり勉強は得意ではなくて…

でも好きなこと、興味のあることは深く調べるのが大好きです

小さい頃はトミカを200個、特に重機や特殊車両にハマり、次にレゴブロック、小学校高学年からは釣り、そして現在はエアガンや自衛隊車両などにハマっています

ゲームもやり始めるととことん…

(ゲームは自分で時間を決めてます)

ただ勉強にはその情熱が全く向きませんけど…😥

中学校は3年間皆勤、部活も副部長で引退しました

The男の子って感じでかっこいいもの大好きでかっこいいと褒めまくって小学1年から剣道を始めましたが4年生のときに辛いと泣くので辞めましたw

ちょっと人見知りで神経質なところがあり、こだわり強めです(手の臭い嗅ぐくせがあります)


小さい頃はよく娘とケンカをして物が飛び交っていましたが、ふたりとも成長したのか今はケンカしつつも仲良しです

娘(姉)のことが大好きなのは見て取れます


やや反抗期だし勉強もぜんぜんだし、野菜も食べないし、旦那に似て持論が強めですが、娘のことでいろいろあってホントに辛くて辛くて生きている意味がわからないって思い悩んだ時も彼がいたから思いとどまれたのは間違いないです


小さい頃は、病弱で手がかかったけど今はちょっと大人ぶったことを言うようになって頼もしいです


少し成長した娘と息子は今はふたりで色んな話をして盛り上がってたりします

あの時、息子が私にいつも着いてきて下から私の顔をじっと見つめて側から離れませんでした

だからこんな日がくるなんて、数年前は想像できませんでした… 


私にとって娘と息子は宝物

どんなことがあっても私の大切な子供たち

ほんと、今はあなたたちの母でよかったって思えてます

(この気持ち、旦那には絶対にわからないだろうな…)


もうすぐ受験といういままでの人生で最大の山を迎えます

受験まで体調崩さず、息子らしくその日を迎えられますように…


頑張れ息子!今度は私が支えるからね!









救急車で大学病院へ運ばれました


小児救急へ運ばれ診察となり、血液検査や問診などいろいろ一通り行われました


そこで今回は服薬から時間が経っていたこと、前病院にて点滴をしていただけたことなどから胃洗浄は行わず、経過観察の観察が必要ということでした

その後、小児精神科の先生(そこの一番上の先生)が現れ、私との話し合いをして医療保護入院をすることなりました


娘はそれを知り暴れました

「入院はしない!」


動けなく、弱々しい声でしたがすごく抵抗した為、看護師さんと私も含め4人で手足を引きずるようにして病室まで運びました


病室は小さな窓、簡易トイレ、ベットしかないホントにテレビとかで見たことがある感じの部屋でした

もちろん何も持ち込めません

鍵がかかっていて、監視カメラがついていました

ここで24時間観察されます

小児だった為、私も一緒に付き添いで過ごすこととなりました


娘は布団を頭から被り、出てくる様子はありません

あんなに暴れていたのに布団の中で何も話さなくなって丸まって固まってます


少し落ち着いたところで、旦那と自宅と学校と職場…と連絡をしました


でも私も娘も着の身着のまま…

息子くんも義母にお願いしなくては…

車も小児科においてきている…


と、娘の落ち着いている間に私だけ一度家へ戻ることにしました(幸いウチから15分弱)

義母と息子くんが迎えに来てくれ、その車内で今回の娘のことを話しました

息子は泣いている私を見て泣いていました


うちにつくととりあえず最低限の着替え、本をもち、シャワーを浴び、息子くんのランドセルの中を確認し、義母に息子のことをお願いして、小児科へ車を取りに行ってその足で病院へ戻りました


うちにいる短い間、息子くんはずっと私についてきて、ずっと私の顔を下から見上げていたのをハッキリと覚えています

彼は彼なりにたぶん私を心配してくれたのでしょう 一切そのときはワガママも言わず、我慢して理解しようとしてくれていたんだと思います

その時の息子くんを思い出すと今でも泣けてきます

しっかりしているけど、甘えん坊で、いつもベタベタくっついてきたけど、お姉ちゃんが発達障害だったり不登校になったり、お姉ちゃんに手がかかることを彼なりにちょっとは分かってたのかもしれません

きっとたくさん我慢してたんだと思います


そんな息子くんを義母に託し病院へ戻りました


病室に戻ると娘はまだ布団の中…


とはいえ、この子は今後どうなってしまうんだろう…

薬物中毒って言ってたし、血液検査の数値改善されるかな…

普通の生活に戻れるのかな…


なんでこんなことになってしまったんだろう

繰り返してしまえば娘は死んでしまうのではないか

発達障害に今まで理解を示さなかった旦那と義母のところへ連れて帰って大丈夫なのか

娘を守らなきゃ

私のエゴかもしれないけど絶対に死なせたくない

生きてていいんだよって思ってもらえるのにはどうしたらいいんだろう


今はひとまず病院だし安全、できることならしばらく入院できないかな…


息子くんも心配だし…

などなどその時の私の考えられるだけの目いっぱいを廻らせました


今思い出してもこのときのことは涙が出るし動悸がしてしまいます



(ODをすると肝機能の数値が上がり、骨を溶かす物質が出るのでとにかく肝機能の数値の改善されないと退院できないと聞かされました)


旦那はその時も今も県外で単身生活です




不登校でずっとスマホを離さない娘


ある日の夜中、娘がトイレで何か話してることに気づきました


なんだろう、こんな夜中に…


誰と話してるんだろう…


「…を…のんだ…(ごにょごにょ…)」


?何。この変な感じ…


即座にスマホでいろいろ調べてみたら、私には初ワードの「オーバードーズ」略して「OD」


数日前から感じていた娘の体調、不可解な様子、バックの中から見つかる四角いビニール…


これはやばい!

さすがに次の日の朝、受付時間開始と同時にその時かかっていた大学病院へ相談の電話を入れました


ところが

「担当医から今の様子はどうですか?と言われました。いかがですか?」と受付の人の対応…

その時は落ち着いていた様子だったので

「今のところはおちついていますが」

と伝えると

「様子を見てください」

しかと対応してもらえませんでした


その後、その日は午後から別のカウンセラーさんと面談を予定していたためお昼に仕事から帰宅し娘の部屋に行くと5月のまだ肌寒い時期にエアコンがガンガンかかっていました

本人に問いただすこともこわくて出来ず、普通にしている娘をクルマに乗せてカウンセラーさんのもとに向かいました


クルマを走らせて10分も経たないうちに

「ママ、気持ち悪い、さむい」とガタガタ震えだしました


もしや…これは!やばい、どうしよう!近くのコンビニで、車を停めてすぐ診てもらえそうな、今までかかったことのある病院をさがしました


すると、一番はじめに診てもらっていた小児科がでてきたのですぐ電話をいれると院長先生につなげてくれてすぐ診てくれるとのことでした(もちろんカウンセリングはキャンセル)

10分ほどで着くと、私の話を聞いてくれて即座に「急性薬物中毒だから、すぐ点滴しよう、お母さん救急車呼ぶからね!」

私は一番恐れていた現実に直面してしまったショックでその場で崩れ落ちて泣きました

もちろん小児科から大学病院へ即座に院長先生から電話を入れ

「お母さんから相談の電話、朝いってるでしょ!なんで放置したんですか!どういうことなんですか!」普段穏やかな先生が強めな口調で言っていたのを記憶しています


先生から娘にも「とっても危険な状態だから、救急車呼ぶからね。つらいけど頑張ろうね」と声をかけてくれました


娘が飲んだのは大量の市販の風邪薬、私が何か分からなかったビニールの正体は錠剤の上に入ってる緩衝のやつ、夜中に話してたのはライブ配信?チャット?みたいなやつで実況しながらやっていたとその時に娘からききました


娘の行動がここまで来ていたなんて…

ほんとに死んじゃうかもしれない…

なんでこんなことに…


心がつぶされそうな、どうしたらいいのかわからない、ほんとに頭の中が真っ白になりました


救急車って普段目の前過ぎるときすごく早く感じるのに、乗ってみるとすごく長い時間に感じました


その時に結局通っていた大学病院へ運ばれ入院となりました


今でも小児科の先生には感謝しかありません

あの時の大学病院への怒りも先生が伝えてくれたこと、娘の対応、私への配慮…

ありがたかったです


今、世間で市販薬の乱用が取り沙汰されるのを目にしますが 見るとこの時の娘との過酷だった時を思い出して動悸が起きます

多分、本人はもっといろいろ辛かったんだと思います

命が脅かされてしまうところまで来てしまうなんて、想像もつかなかった…

親として気づいてやれなかった…

親も知識を持たなきゃだめ、甘く見ちゃだめ、今はネットというツールが増え子供のほうが知ってることもある…

反省と後悔の日々がその後しばらく続きました


次は運ばれた後のことを書こうと思います