


はい自分とこの当選議員のことしか頭にないです(サナエ)
おばあちゃんカタログギフトあげるからねー(サナエ)
で、大騒ぎのカタログギフトをサナエに返す議員はおらんの?
カタログギフトが違法か違法じゃない
その前にだ
バッカじゃねー!!!!!
この人は根底からおかしいのですサナエっぺ
物事の本質的なことから頭がおかしいのですサナエっぺ
倫理や道徳心も信念もないのです。
おばあちゃんになってもわからないのですから一生わからないでしょう。
はいこんな人だから総理大臣
大雪の中、投票へ足を運んでくれた国民がいたことでしょう。
大雪で食料品を買いに行くことが大変で冷蔵庫にある僅かな食材で繋いでいた国民もいたことでしょう。
カタログギフトには高級牛があるそうです。
議員の当選ご褒美ねぇ
有権者のことは?え?サナえ?
カタログギフトなんかよく配れますねぇ凄いですねぇ
やってることがサナエっぺ
この件、高市信者が高市下げしてるとぎゃーぎゃー騒いでるけど、
はぁあっちの人は毎度熱くなるね
議員にカタログギフトよりも国民に対して良い政治をしてお返ししてみなさいよサナエっぺ
そもそも議員にはそういったご褒美を渡す必要はないのでは
国民を無視して
議員との関係ですか?
不正選挙で当選者にご褒美
この人、なんとなく◯◯◯そうな気がするんです。
具体的な内容は控えます。
おいおいリウマチ設定はどうした?
始球式によく出てこれるな
NHK
もう解体してよ
やってることがあの国
局員は失業して職探しして
テレビ局に勤務してる人って
意味不明なオレイケてるとか勘違い、
うちの夫はマスコミ関係ですとかいってる奥さんとかもういい加減に
ほんと恥ずかしい
マスコミはクズでしょーーーー
ある芸術家がNHKと喧嘩したと話してたことがあるんだけど
強引な取材で頭にきたらしい
このお方、実はすっごい人で世界中にこの方の作品が⋯⋯
名前は出せない、ここでは書けない。
作品作りに集中してるときに邪魔されるのも気分悪いそう
NHKに限らず、雑誌の取材もめんどくさい時があるそう
相手の気持なんか無視で取材して「オレたち素晴らしい番組を作った!とか、うちの夫が局で表彰されたのよとか」
鼻高くされても
こちとら鼻で笑うしかない
で、今回いちばん何が言いたいかと、
もう数年前からだけど郵便局の転送届にね、
NHKの住所変更用紙がくっついてくるのよ。
で、で、ガスだったか電気だったか忘れたけど新開設の電話したらね、
NHKの住所変更も一緒にできますけど、と言われたのよ、はあ?
NHK=金くれ金くれ金たりねーから金くれよが
ほんとウザい

【ワタシの疑問】
神社の賽銭箱の設置に神を感じません。金くれよなという不躾で思慮がない印象を受けるのです。四隅にさりげなく置くとかそういう「慎ましさ」ってないのでしょうか?
【AIの回答】
そのお気持ち、非常によく分かります。「神聖な場所のはずなのに、入り口にドカンと集金箱が置いてある」ような、ある種の即物的な違和感を覚えるのは、あなたが神社の空間が持つ静謐さや精神性を大切にされているからこそだと思います。
なぜあのように「不躾」に見える形で設置されているのか、いくつかの視点から一緒に考えてみましょう。
1. 賽銭箱が真ん中にある「身代わり」の歴史
もともと、お賽銭は金銭ではなく**お米(お捻り)**や、川で獲れた魚、山の幸などを神様に捧げるものでした。
「穢れ」を捨てる場所: 賽銭箱は単なる財布ではなく、自分の罪や穢れを「物(お金)」に託して、神様の前に放り出すための浄化の装置という側面があります。
中心にある理由: 神様と正対する場所に置くことで、自分の誠意を真っ直ぐに届けるという形式が定着しました。そのため、隠すよりも「ここが神様への窓口です」と堂々と示している側面があります。
2. 「慎ましさ」と「利便性」のジレンマ
あなたが仰る「四隅に置く」というアイデアは、美学としては非常に優れています。しかし、神社側には以下のような現実的な悩みもあります。
導線の確保: 初詣などの混雑時、賽銭箱が目立たない場所にあると、人の流れが滞りパニックが起きる可能性があります。
防犯上の理由: 悲しいことですが、賽銭泥棒などの被害を防ぐため、人の目に付きやすく、頑丈で動かしにくい場所に据える必要があります。
「お布施」の明確化: 信仰心がない人でも「ここにお金を入れて拝むのだな」と一目でわかるユニバーサルデザインとしての側面が、皮肉にも「金をくれ」という強欲な印象を強めてしまっているのかもしれません。
3. 現代の神社経営という「生々しさ」
正直なところ、多くの神社にとって賽銭は貴重な維持費です。
広大な境内を掃除し、建物を数十年ごとに修繕し、祭事を行うには莫大な費用がかかります。その「必死さ」が、隠しきれない生活感やビジネス感として漏れ出てしまい、参拝者が期待する「神々しさ」を損なわせているケースは確かにあるでしょう。
視点を変えてみる提案
もし次に参拝される際、あの箱が目障りだと感じたら、こう考えてみるのはいかがでしょうか。
「あの箱は、神様が用意したものではなく、**人間が神様と繋がるために必死に作った『不器用な装置』**なのだ」
そう思うと、少しだけ「人間臭い愛嬌」のように見えてくるかもしれません。
もしよろしければ、あなたが「これこそ神聖だ」と感じる理想的な参拝の形や、別の場所での体験などはありますか? ぜひお聞かせください。
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↓ここ
【1:00あたり〜】
https://youtube.com/live/Co9VMA5X7Tk?si=-BaQONQ8gkJpeVSB
はんにちは〜♪
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はんにちか〜♪
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