ハレルヤ☀
主のみなをあがめます。

主に感謝いたします。


きょうは、祈り会に行く事ができました。ありがとうございます。

きょうは、兄弟もきており、
健康の試練にあわれた姉妹が退院するといううれしいおしらせもありました。

今日の聖書のわかちあいは、

出エジプト記37章からでした。


 今日は御言葉の光を読んでもわからなかったのですが


 静しの時を読んで教えられました。


 少し長いですが お分かちしたいと思います。


 捧げる人たちは人間的な指導 や 自己満足の行動ではありません。


 と書いてありました。

 私はどちらかというと


 神様のためにか、または、喜びから神さまに捧げているのどっちだかと思いました。



喜びは神さまにある喜びなのか、


自分を満足させるための肉の喜びなのか、


 悔い改めさせられます。



 御言葉に対する感動 か、



自分の気分に対するものかと心 探られます 。



そして自分の知恵と答えが神様からか人からか とも書いてありました。



 私はどちらか分からず、


また気分で判断しているところがあると思いました。


 【ささげ物は 御言葉が基準だなと思いました。】


 うつになったから今日させるものは半分で


気分がいいから 捧げ物はたくさんということにはならなく


【気分ではなく御言葉によって心を動かされることが大事だなと思います。】と思わされました 。



救いの喜びと確信は御言葉だなと思いました。


 反省です。


 以上です。



きょうは、牧師先生が、礼拝の奉仕に望む大切な心として、
ヤコブ書3,13.18をよんでくださいました。

わたしが、なかなか、難しいです。心のなかが、混乱し葛藤しております。

と、いうと、
深くうなづいてくださいました。

兄弟が僕も肉的に知恵ある。

といい、

みんな、すくわりれたけども
神さまの前には罪人なんだなということを教えます。


今日の祈り会ありがとうございます。




13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。

14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。

15 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。

16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。

17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。

18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。


ヤコブ書3章の13.18