ここ最近、ある言葉を目にしたり、お言葉を頂いたりしていました。

悲しみも成長していく』

悲しみは悲しみのままだと思っていましたが
もしかしたら、私へのメッセージなのかもしれないと自分を振り返ってみました。



娘が空に還った直後は、こんなにも辛くて辛くて
苦しみや悲しみがいつまで続くのだろうと
先の見えない暗闇から抜け出せずにいました。

辛くて悲惨な出来事を経験すると
頭の中のネジが外れてしまったようで
何も考えられない状態になり
そのうち
22年間娘を育ててきた事が
全て否定されたような感じになり
これまでの自分の信念というものが打ちのめされ
人生の全てが否定された感覚に陥り
神様なんていなかったんだと疑いを持ち
投げやりになっていました。


時間が経つにつれ、
悲しみと共に新たな場所で新たな人と出逢い、
そこからまた新たな人生を歩むようになり
踏み潰されたタンポポが少しずつ立ち上がる様に
消えそうになった自分の命の炎を
再び灯せる様になりました。




娘の自死から今までの自死に対する見方考え方が変わり
今まで考えもしなかった気づきが生まれるようにもなり
死生観への新たな学びを深め
再び新たな自分を築いている自分がいたのでした。

低い階段を一歩一歩上がっていますが
急に滑り落ちて振り出しに戻されることもあります。
しかしそれは、当初の自分とは明らかに違う。
これが悲しみから成長しているということなのでしょうか。


苦しみや悲しみを体験したからこそ、同じ境遇の人の痛みを共感し思いやる心が育まれていくのだと感じ、この経験は自分の人生において必要なことで、苦しみや悲しみの中から人は成長しているのだと思えたのでした。




回復しつつありますが
まだまだ時間はかかります。
完全な回復はないのですから。

慌てずゆっくりゆっくり
無理をせずゆっくり
自分を見守りつつ
再構築していけたらと思います。


きっと、娘も隣でうんうんと頷きながら
側で見守ってくれていると思います(^-^)