二重人格 作 ふじはら また見知らぬ傷ができていた。左手の親指の付け根に切り傷ができていた。血が出ないほどの 小さな切り傷だ。何も気にすることはない、その程度の1cmほどの切り傷だ。痛みはない。幼い 頃から幾度か同じ経験があった。爪か、はたまたペンか、それとも他の原因でできたのだろう か。痛みがないからいつできたのかも気づかないのだろう。昔、そのことを、なんでも知ってい る博識な駄菓子屋のおばあちゃんに聞いたことがある。優しい大好きなおばあちゃんだ。すると おばあちゃんはこう言った。
「それはもう一人のあなたよ。」
二重人格など馬鹿げた話があるかと私は思った。
「とうとうばあちゃんもボケたか」
おばあちゃんは床が軋むような声で笑い、話を続けた。
「なに、二重人格なんて馬鹿げた話じゃないよ。ただあんたの無意識が意識を持つようになった だけの話さ。あんた、授業中とか、お母さんに説教されてるときとか、それこそカップラーメンを待っているときとか、あんたの意識がどっか行っちまうときがあるだろ。あれ、私、今なにしてたっけってなるとき」
「ある。」
「あれはあんたが無意識の状態にいるときなのさ。でもね、無意識は意識を持つようになるん だ。自分ではどうすることもできない無意識が、他者からの強い干渉によって意識を持つんだ。 意識を持った、無意識は他者からの強い干渉で得た知識で勝手に思考するようになる。それがも う一人のあんたさ。もう一人のあんたが、あんたの無意識のときに動いてんのさ。」
「なんだが難しいよ、ばあちゃん。」
おばあちゃんはまた床の軋むような声で笑った。
「今のあんたにゃ、難しいね。とりあえず、大切なのは、あんたの本当の自分を大切にすることだ ね。他人の意見を、そのまま受け入れないで、あんた自身で考えること。他人の意見をそのまま 受け入れちまうといけないよ。無意識に取られちまう。あんたが一度自分で考えて、あんたの意 識にする。それが重要だよ。他人からの強い干渉は、主に教育とかしつけなのさ。だから、それらをそのまま受け入れると、無意識の意識が膨大なものになる。知らないうちに、もう一人のあんたが本当のあんたを喰っちまう。」
「あたしがあたしじゃなくなるってこと?」
「そうさ。大人って、なんで子どもの気持ちがこんなにもわからないの。って思うときがあるだろ。あれは喰われちまってんのさ。教育、しつけばっかりの無意識の意識に乗っ取られてしまって る。つまらない大人はみんなそうして生まれてんのさ。気をつけないとあんたもつまんない大人に なっちまうよ。」
そう言っておばあちゃんは静かに私の肩を撫でた。
今なら、ばあちゃんの話が少しわかる気がする。そして私は傷に言う。
「おいお前、私はまだ私だぞ。」