※ なぜか途中で保存できなくなってしまったので。

師範稽古の話の続きです。

 

自分の防具をしまっている時です。

ふと右目の端に道着が見えて、

誰か先輩かな、と何気なく見たら、師範でした。

荷物棚の前です。

師範がそんな所に座っていらっしゃるのが不思議です。

(え? 気づかなかった。いつから?)

 

元気よく色々な人に話しかけておられたのに、

今は少しお疲れの様子でした。

それでも佐良の方を向いて下さり、

自分の空手を完成させたい、という旨を語られます。

もう、あまり時間がないから…と。

 

こういったお話自体は、

道場生にとって珍しい内容ではないのです。

師範が過去、無冠の帝王と言われ、

その当時から実は競技空手に疑問を感じておられた。

それこそ力と力の真っ向勝負でも押し負けなかった方ですが、

試合とは技と技の受け返し、技はコミュニケーションなのだ、と言われます。

人を潰す空手は(護身術はまた別)嫌になられたんでしょうね。

もちろん、佐良がわかるのはここまでです。

師範はその先、本当に理想の武道像を研究されていますから。

たぶん、かなりの核心に到達されているのかもしれない。

 

それを後世への置き土産にしたい、

師範の頭の中はその思いで一杯なんです。

いつも、今も、焦っておられる。

 

「僕の体ももう悪くて、

特に膝や腰の具合が思わしくなくて。

その内に気力までも失われてしまうかもしれない」

 

と漏らされた時の、力のない、

少し疲れた静かな言い方…。

照明がやや暗い位置のせいか、

端座されているせいか、

少しだけ小さく見える…。

 

佐良が目を落としたそこには、

白い道着の正座されたお膝がありました。

道場の黒帯の方々でも、

ここまで鍛えている方はあまりいませんが、

全盛期の<M選手>の厚みとも違う。

 

凄く切なかったです。

何もしてあげられない、

ろくにお返事もできない、

無力で無能な色帯で…。

 

師範が若いころのお身体に戻れたら。

私に治す力があれば。

私が元気な男だったら。

若さや才能があれば。

財力があれば。

 

「………」

数秒、佐良は何も言えませんでした。

 

すぐにバタバタと帰り支度となって紛れ、

それほど長い間ではありませんでしたが。

 

佐良は誰にも、この時の悲しい思いを言っていません。

 

HM先生が片手で腕立て伏せを軽々とやれるようになった、

と話された時、

師範はいつもの負けん気で、

「そんなもん、俺は小学校2年からやれたよ?

腕立て伏せなんて俺が教えている子なら、

小学校3年生の女の子でもできるんだから」

やっぱり師範は一種の天才だったんですね。

こういう強気な師範を見るとほっとするんですが…。

 

私達が呑気に構えていられるのも、

いかばかりか。

師範は本当に切羽詰まったお気持ちなんだ、

と心底伝わって、今も辛いです。歯痒いです。

とにかくせめて茶帯になって、師範稽古に出たい。

 

雪はあっさり消えても、寒さが強い帰り道でした。

 

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その後、師範が次々書かれる文章にも、

まるで遺言のように、様々な方針が書かれています。

最後の大仕事をなさっているのがわかります。

それほどご体調が辛いのです、きっと。

ご本人も、もう数えきれないほど不調と戦い、

気力を奮い立たせ、また落ち込んでおられるのでしょう。

気力も尽きそうなのに、やるべきことはやらねばならず、

無理に高速でエンジンをかけているように感じます。

 

だから荷物棚の前で、

そっと佐良にそれを告げられたのは、

まだ黒帯も取れない不肖の弟子が哀れで、

「あるいは最後まで見届けてやれないかもしれない、

その可能性も含みおきなさい」

という意味ではないでしょうか。

 

佐良の場合、

師範に教わりたいから選んで入って来ています。

そして師範に(生意気にも)「黒帯を取ります」

と直々に申し上げています。

簡単に取れない事は承知の上です。

才能も体力も若さもないけれど、

熱心さだけは恐らく道場随一だと自分でも思います。

 

その気持を師範もよくお察しだからこそ、

自分がご指導できなくなる時のことも、

一言、話しておきたかったのだと…。

そうでなければ、人が休むような位置ではない所に、

わざわざ師範がさりげなくいらっしゃるのが不自然です。

 

そういう、下の者への思いやりが本当に深いのです。

でも、それほど師範は今、限界なのだろうか。

 

この人こそ、真の空手バカ、なのに…。