happy life

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一児の母。アラフォーです。
日々の出来事、育児日記、雑記帳。
独身時代から運用していますが、更新頻度は気まぐれ。

ドクロドクロ私は料理が好きではないドクロドクロ


偉そうに言うことではないが、何も見ないで作れる料理など数品だけ凝視


理由は、

・調味料の組み合わせでどんな味になるかを想像できない、というかしない(興味もない)

・料理のアレンジができない(興味もない)

・作る時間と比較して食べる時間は圧倒的に短い。この十数分のために時間を割いて料理をするのか…?と虚無感を覚える。

・レシピを参考にして何度か同じものを作っても、材料や調味料の分量を覚えられないし覚えるつもりもないので、毎回新鮮な気持ち(?)でレシピを見ながら料理しなければならない。



私自身「食」にほとんど興味がないのも大きな原因なんだろうなー凝視

話は逸れるが、旅行に行ってもご当地グルメは興味がない。これをリアル人間関係の中で言ってしまうと相当ドン引きされるので、誰にも言ったことはない。(夫にはバレバレである)


結婚しても子どもが産まれてもこの有様なので、毎日の料理には至極ゲンナリだ。

でも、家族の食生活は私が支えなくてはならぬという使命感だけは真面目に持ち合わせているので、日々の献立には困らぬよう、また、マンネリ化しないようにレシピ本やレシピサイトは各種取り揃えている。


そこでちょいちょい目にするのは「やる気が出ない日もすぐできる」「やる気ゼロのごはん」等というキャッチコピーやそれをタイトルにしたレシピ本。


私からすれば強烈な違和感だ。

「やる気がゼロの日に、台所に立つか…?」


やる気がないというのは、「調理器具なぞ出したくないし、野菜や肉を切る?……誰がやんのそれ凝視?と思うし、そもそもレシピ本を開く気力もない」状態を指すのだ。


…そんなテンションの日にレシピ本を開く人はどれくらいいるのか。やる気がない、だから、やれないんだ。


でも世の中にそういうタイトルの本がたくさん溢れているということは、そんな時でも毎日家族や自分のために料理を頑張っている人がいるということか……滝汗


となると、「私は家族のために頑張れないダメな人間だ」という強烈な自己嫌悪感に陥るが、作れないものはどうしようもないので、私の場合は心を鬼にしてレシピ本は一切開かないし、本当に料理をしない。


夫はよく分かっていて、このモードに入ってしまった私を咎めてきたことは1度もない。ありがたい。

「あ~今日そういう感じ?ほなら惣菜か出前にする?」などと対応も手馴れている。

ポンコツ嫁を持つと苦労するね、本当にごめんなさい。と謝ると、

「作る時はちゃんと作ってくれてるから別に~」

「もう献立なんて固定でいいって~堅苦しく考えなくても~」などと返してくれる。


息子は、なんだかんだ「ママのご飯がいい」と思ってくれているようなのだが、ポンコツモードの私には夫同様に何も言わない。だまって、じゃあ僕は麺にするかな~と忖度してくれる。

これについては、夫にはまぁそこまでアレでも、息子には非常に胸が痛む瞬間だオエー




きっと私が真面目に考えすぎだ。

一汁一菜でいいという考え方もあるが、おそらく夫も息子もそれでは足りないはず、と思ってしまう。

そうすると、カサを増やすために野菜を入れて…品数多めにして…などと考え始めて、ただでさえ料理が得意ではないのにますます自分の首を締めていっている笑い泣き


もっと気楽に考えて手抜きメニューを出すことができたら、高い惣菜や出前を使わなくてもいいのに。料理無気力問題をこのままの対処法でやり過ごし続けると、家計的にもよろしくない。


まずは自分の凝り固まった考えを少し柔軟にしなくてはと、手抜きメニューをやる気のある時に予め考えておこうと思うが、それもなかなか日々の中では難しい。

だって料理が得意じゃないのに、サボりたい日用の手抜きメニューをわざわざ考えるのって…結局献立考えてるじゃん!!!


ああああ、ほんっとに料理嫌いだわムキー





これの堂々巡り。

いつかこの問題が解決する日は来るのだろうか昇天

昨年末、仲良くしているママ友さんから毛糸で編まれたバイカラーのフリル巾着をいただいた。

これがほんとに可愛くてラブ最近かぎ針編みを始めたら見事にハマって、作品をいくつも仕上げているらしい。


かぎ針編みは私も何度もチャレンジし全然理解できず挫折してきた過去がある。なんせ自分不器用ですから。

でも、いただいた手元のフリル巾着を見ていたら、どうせ今回もダメなんでしょーよ、と思いつつ、またチャレンジしたい欲がフツフツと沸き立ったメラメラメラメラメラメラメラメラメラメラ


思い立ったが吉日ということで、その日すぐにDAISOでかぎ針と毛糸とマーカーを購入。

この行動も何度目でしょうね笑い泣き


準備は万端、息子も寝ましたよ、さてさて今回もYouTubeを観ながら始めてみました。

「もうさ、2段目の裏山に編みつけるって時点って裏山ってドコなのよって感じでやめちゃうんだよね~いつも」なんて隣の夫にこぼしながら、とりあえず進めていく。


「ほらね笑い泣き?やっぱり分かんな…



…あれぇ凝視?なんか……


 … 編め…てるみたいポーンポーンポーン」 


なんだと?私が編めている?
夫にも見せてみると「おお、なんか編めとるような気がする」と。動揺しながらもえっちらおっちら編み進めていくと、力加減が一定しないので、編み目こそ美しく揃ってはいないが、なんだか形になってきているのだった。

今回、いつも挫折していた裏山の存在が分かるようになった。
私はいつもきつく編みがちなので、これまでは裏山を見つけにくくて針も入れにくかったのかなぁ。
毛糸はどうしても割れてしまいがちなんだけど。

かぎ針編み道の入口にようやく立てたらしい笑い泣き笑い泣き飛び出すハート
苦節15年。…いや、苦節言うてますけどね、そんなに修行してきた訳でもない。大袈裟。
でも挫折した回数は10を下らなかったはずなので、喜びもひとしおだ。


そんなこんなで完成したミニ巾着は、穴は所々あいているが、とりあえず形としては悪くなかった。なんて大きな一歩なの…おねがい
夫と息子も「ママすごいじゃん!」と褒めてくれる。
外へ持ち歩くことは到底できないレベルなのに、褒められるとわっふわっふと嬉しくなって、下手くそなりに次の作品へ着手しようという気持ちになるニヤニヤ


そして、ミニバッグ、形違いの巾着、円モチーフ編みなどに挑戦した後、現在は細編みメインのペンケースを編み進めている。最初の頃よりも糸のピッチが安定してきたのか編み目も揃ってきた。完成が楽しみだ。


編み物のいいところは、かぎ針や編み針に毛糸があればすぐさま取り掛れるというもの。
ミシンも好きだが、場所の確保が必要なので、今の環境では細切れの時間にササッとは取り組めないこともあってもどかしい思いをしていた。
日常の細々した考えごとは一旦置いておいて、しばしの間でも没頭できる時間。今の私に特に必要な時間だった。


デジタルデトックスになる、とも聞いたが、私の編み物講師はもっぱらYouTubeなので、これにはまだ当てはまっていないような笑い泣き
初心者なので、伴走してくれるくらいのゆっくりとしたスピードで編んでくださる方の動画が本当にありがたいのだ。だからずーっとYouTubeは付けっぱなし、観っぱなし笑
ゆくゆくは、ひとりである程度編み図が分かって黙々と編めるようになりたいものだ。その時にはデジタルデトックスにも一役買ってくれそうだ。


不器用でも編めるようになった!!と喜ぶ私を見て、夫はこう言った
「えー、俺は君の手先が不器用だと思ったことはないよ。ミシンで色々作るし、手縫いでも裾上げするし、折り紙でも色々作るやん。編み物だってこうして形になっとるし」

え、そう?…そうかなぁデレデレ
私ちゃんとできる人みたいじゃん…と照れていたら、


「うんうん。不器用なのは生き方だけ!」


笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き
うん、それは間違いない。
もうなーんも言い返せなかった笑い泣き




でも、お世辞をほとんど言わない夫がそう言ってくれるのなら、編み物も趣味として続けていけるかもしれないと前向きな気持ちになれるのだった。

今の家に越してきたのは、新型コロナウイルスの国内流入と同時期だった。


この2、3年でようやくコロナ禍を脱出し、ほぼ制限なく日常生活ができるようになってきて一番嬉しいのは、この居住エリアをよ散策できるようになったことだ。


夫も私もこのエリアには全く地縁がなかったので、いろんなところに出掛けてみるのが楽しみだねぇと話していたが、引越し直後からコロナの波があれよあれよという間に世界を飲み込んでいった。

どこにも出掛けられなくて、当時1歳の息子も本格的に社会デビューをさせたい頃だったけど、遊び場すらも無くなっていって。

さらには当時私の病気も発覚したことで、より一層感染症に罹患しないようさらに極力人との接触を避ける必要も出てきて、とにかく閉鎖的な期間だった。


最近になって、ようやく近所をゆっくりと歩いてみて「えっ、こんなお店あったの?」「この街って意外とうちから近いんだな」「ここからの景色は映える!」などと気付けるようになった。住み始めて6年目、かなり遅い気付きなんだけど、これが本当に楽しいおねがい


自然もありアーバンなエリアもあり、アートにも触れられる。歴史もあって、ちと足を伸ばせば毛色が違う街に複数アクセスすることも可能。

え、なかなか素敵、こんないいところだったんだねぇと嬉しい気持ちになる。

コロナ禍が明けてみれば、あの時代が異常事態で恩恵にあずかれていなかっただけで、子育ての環境もなかなかに充実している。


家族で休日にあてもなくフラフラと今日はここに行ってみようか、あそこのお店に寄ってみようか、などと出掛けることが出来る幸せ。


日常って当たり前じゃない。そして健康も当たり前じゃない。

この年齢になってようやく腹の底から理解できた気がしている。