なんとなく今にして、あの人は発達障害だったんだろうなぁ、と
たまにこどもの頃の様子を思い浮かべる人がいます。
今にして思うことであるし、私が勝手に思ってる節ではあります。
昔の教育って、雑草のように踏まれてもたくましく!とか、打たれ強くなりなさいみたいな風潮があって
今よりもっと周りの理解も少なく、
長年苦しんでたんじゃなかろうか?って思う。
雑草だって踏まれたら曲がったまま育つわけだし、
その前に大人たちがこどもを打つなよ、って今なら思うわけで
普通の大人だって「なんで出来ないの?」とか否定的な事を言われ続けたら
心が折れると思う。
その人は私が知ってる限りは親や周りの理解に恵まれず、
「もっと出来るはず」に応えられずに自尊心をちょっとずつ失っていき、
代わりに怒りが少しずつ蓄積されて本来の発達障害より
二次障害の方に苦しんでいたんだと思います。
周りと比べさえしなければ充分頑張っているんですよね。
ただの一般的物差しで見るからいけないんだよね。
(自分への戒めもこめて)
二次障害って悪循環にしかならないわけで
学校も行けなくなったり、怒りは身近な存在ほど向きやすいので
当然家族に向く。
本人も家族もみんな苦しんでたなぁ、と。
でも一方で発達障害でもおだやかに順応していける人もいるわけで
やっぱりこどもの頃からの環境次第なんだろうな
二次障害は思春期以降に出ることが多いようで、
それまでに周りの理解や配慮があることで防げるそうな。
そう思うと小学校は支援級一択だわ、って思ってて
その先まで考えてなかった私
きっとみんなが迷う小学校の普通級か支援級ってここなんだわっていうのに気付く私である。
長いので続く