今日、「あなたは神を信じますか~?」

の、「末日聖徒イエス・キリスト教会」の宣教師が来た。


インターホン越に「私はカトリックの信者ですので結構です」

と断ったのに、分からない風で「いえ、違います。玄関まで来てお話を聞いてください」

と言われました。

外人だし、宗教を持った人に悪い人はいないと言う変な固定観念があり、

(たぶん神父とダブっているところがある)

出ると、「末日聖徒イエス・キリスト教会」ってしっていますか?

と聞かれたので、知らないふりして「プロテスタントですか?」と聞きました。


「違います。」とパンフレットを出したらそこには小さく「モルモン教」の字が。


あ~、モルモン教ですかぁ~


「そうです、そうです」と宣教師は言った。


「カトリックの信者ですので結構です」ともう一度言うと、

「ここに、イエス・キリスト」と書いてあります。

と名札を指差しました。


・・・確かに書いてあるけれど、改名する前は「モルモン教」だったよね。

「モルモンに誇りをもとう!!」みたいな感じだった。


なのに、改名したのは信者獲得のため、

イエス・キリストという名を入れて、同じキリスト教だと言うアピールの為なのか?

確かに、普通の人の家に行って、名札を見たら「キリスト教」だと思うに違いない。

私も信者になる前は、カトリックでもプロテスタントでもエホバでも全部同じ

宗教だと思っていました。

中身の違いは大きいんだけれど、行き着くところはいっしょ??みたいな。


でも、モルモン教は、「何とかスミス」の翻訳書を聖書みたいにしているし、

エホバは名の通り、イエス様のお父様の宗教らしいし、旧約を重んじているので

キリスト教とは言いがたい。イスラム教とかに近いのかな???


・・・そんなこんなで、信者だと言うにも関わらず強引に勧誘するので、

「カトリックではモルモン教(旧称)はキリスト教ではないと教えられていますので!!」

というと、


「ココに、イエス・キリストと書かれています。理解してください」

といわれました。


書かれている・・・んじゃなくて、改称して入れたんでしょ??


ところで、モルモンっていう意味はなんなのか・・・聞きたかったが忘れた。




聖書に書かれているサイズの船が

実際に浮くかどうかの研究をしたらしい。


結果、実際に浮くらしい。



先日、イスラム教の人がカトリックに改宗をしていて、

逮捕され・・・ 死刑になる危機。


ローマのパパさまは、お手紙を書いたそうです。

「改宗を認めれば、市民から賞賛されるだろう」と。

決して強制ではなく、

あくまでも自由意志に基づいた答えを求めていました。


違う神でも、信じられる神がいるというのはいいことだと思う。


私は、神のお導きで改宗という道を選んだ、元イスラム教信者が

神のお導きによって救われることを信じます。



クロス


灰の水曜日をすぎ、

もう四旬節だ。


十字架の道行とともに、回心と改心。


そろそろ教会ではイースターの準備もすすめているのかしら??

今年はどんな事をするのかなぁ~


役員さんが丸抱えの教会ってどうなんだろうか。

他はみんな協力的な気がするんだけれど・・・

どうなんだろう。


なんか、教会の本質から外れた感じがして。

みんな、個人の信仰にしか興味がなくて。


宗教って、もともとそうなのかな?

進化論(ダーウィン)の人間はサルから進化したという

常識のような科学的なことと、


ID(インテリジェント デザイン)人間は神が創造した被造物である

という宗教的観念が 戦っている。


もちろん、旧約聖書を大事にしている

信者は、後者を正しいと思うだろう。


前回も書いたけれど、「事実はどうであれ、信じることも信仰」

ということだと思う。


宗教観と倫理観っていうのは、難しい問題だと思う。


ただ、矛盾しているとおもいつつも、

公立高校を受験するであろう子供達には、


「ママは聖書を信じるけれど、あなたたちは

聖書に書いてあることも信じながらも

ダーウィンの進化論も大事よ」


などと教えている。


国教で無い以上、「変な人」と思われないことも大事だ。


宗教が、科学的に証明される日が来るとしたら、

それで、想像を超えることはなくなるだろう。


生きていく自分と、生かされている自分。

双方で存在しているから

生きているといえるんだと思う。


天国に行くためだけに宗教をもつのではなく、

人間として生きていくため、生かされていくための

理由というか、使命も大事だと思います。