因果応報がある理由〜人は完全な個人になれない〜

 

因果応報がある理由は、人は完全な個人になれないからだ。

 

人は必ず個性を持つ。その個性がある限り、人は人の名前だけでは呼ばれないものだ。部活の名前で呼ばれたり、会社の名前で呼ばれたりする。

 

人は属性別に分けることができる。その属性に属す限り、完全な個人でいることは不可能である。

 

属性を大きく二つに分けると、希望と絶望だ。そのどちらかに人は必ず属する。

 

因果応報がある理由はここにある。希望には、希望が歩む人生を。絶望には絶望と言われる運命が待っている。

 

それは当然なことだ。どうすれば希望になれるか。それは人にとって希望の存在、つまり嫌なことを言わないことにある。絶望に属してしまう理由は、自分が他人にひどいことをしているからである。そうして、ほかの人を絶望に追いやり、報復にあうか心が痛い思いをする。

 

もっと言えば、細かく分けられるのだけど、わかりにくくになるのでここまでにしよう。

 

人は完全な個人になれない。自身が誰かにとって絶望になれば、危険な目に合わせられる可能性が高まる。誰かにとって希望になれば、実りのある人生を送ることができる。

 

人は名前だけの人間ではない。希望や絶望、怒りや悲しみ、喜びといった人の心の動きに合わせて、名前をつけられる。怒りや悲しみは、ネガティブな名づけをされ、希望や愛は、親しみのあるネーミングをつけられる。

 

人は必ず誰かの心の動きによって、名前をつけられる。それがネガティブな方向に名づけられるものなら、その名の通りの対応をされてしまう。

 

水には水の運命が、テレビにはテレビの運命が、ゴミにはゴミの運命が待っている。

 

人は必ず自分の名前以外の名前をつけられる。その名前をつけられれば、その自分以外のものの人生を送ることになる。

 

私たちは人からポジティブなイメージを持たれたままの人間でいよう。

 

因果応報がある理由は、人はなんらかの感情を動かす存在となり、その感情に応じて、別の名前をつけられる。それは、個人の名でなく、物の名前だったり、喜びを現すような感情の動きを左右する名前だったりする。そのつけられた名前に応じて、対応されてしまうからだ。つける方にも問題がある場合もあるが、つけられる方にも問題があることだってある。私たちは客観性を忘れずに生きていこう。

 

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それでは。