なんか、未だに実感がわかずふわっふわしてます。旅を思い返してばっかりの自分がいます。
今週はまだまだそんな日々が続くのかもしれません。
旅中につけていた日記。

読み返してみるとその時の情景やあった人考えていたことがありありと浮かんでくるからとても面白い。
そんな日記を読み返し、自分の感じたこと、今感じていることを整理してみました。
今日は、そんな感じたことを日記に書いたままにこのブログにものっけようかと思います。
全てが終わった。帰ってきて感じるのは何も変わらない東京。そして何か空気が重い感じ。
この旅を通して思ったこと、考えさせられたことは無数にある。ただ大きく残ったものはいくつかにまとめられる。一つは海外で受けた数えきれない厚意、優しさ、愛への感謝、それに対しての自分の無力さ、未熟さ。二つ目は自らが「日本人」なんだってことの自覚、そして日本をよい国にする力になりたいという方向への考え方の変化。そしてもう一つは今後自分がどういったスタンスで人生を送りたいのかということ。
様々な国を旅し、とても多くの人と出会った。自分の中でのこの旅におけるコンセプトは「世界のリアル」を知る旅。二年半前初めての海外でボストンに行った時の衝撃。様々な考え方に出合った。でもそれは家庭がある程度の財力をもった学生の集まりであって彼らの国の「リアル」ではないんだという想い。それが今回の旅のルーツ。そんな「リアル」を追い求めこの旅ではほとんど休まず動き回り、多くの人と会話し、時を共にした。怪しい相手でも何かしらの「可能性」にかけ、ほぼ必ずついて行った。もちろんそうして騙されたこともぼったくられたことも多々ある。でも、世界は僕の想像をはるかに超えて優しいものであり、愛と厚意に満ちていた。
モロッコで家に招待してもらい、必死でバスの手配をしてくれたザキア。

仕事中はめっちゃ頑固でうるさかったけどいつも家に招いては僕にごちそうしいろいろな話をしてくれたウガンダのファリダ。

現地の知られざるピラミッドに案内してくれたエジプトのアブドゥ。

歩いてるだけでいつも話しかけてくれ、ガイドしてくれたりご飯をごちそうしてくれたイランの人々。


貧しいにもかかわらず見ず知らずの僕に朝ごはんを用意してくれ、バガンを毎日案内してくれたミャンマーのティリ。

それ以外にもたくさんの人からたくさんの優しさや思いやりを受け続けた。そうした人たちの顔は今でも鮮明に覚えている。この旅で強く心掛けていたこと。相手に対してオープンであること。そして誰に対しても対等に接すること。当たり前なんだけどスゴイ大切なことなんだと今実感している。こっちがオープンであれば多くの人がオープンになってくれるし、対等に接するからこそ、その人と友であり仲間みたいな関係になれたと思っている。そんなことを思いながら世界を旅したからこそ感じること。世界中どこの国の人も本質的には変わらない。皆、家族や友がいていろんな人と様々な関わりあい方をしながら生きている。その中で相手への思いやりが強い人、金のことばっかり考えてる奴、いい人、悪い人、いろんな人がいる。人種ごとの特徴はあれどそれは変わらないことだった。だからこそ自らを他に向かって開き、他を尊重しながらも対等に付き合う。そうすればどこの国でもそうやって自分と同じように応えてくれる多くの人がいることを実感させられた。
しかしそうして多くの人から多くのものを与えてもらったが、彼らに自分が与えることができたものは驚くほど少ない。ただ必死に「ありがとう」をいうことしかできなかった。世界中の物乞いにお金をあげることはことごとく拒み続けた(これがよい行為なのか悪い行為なのかはいまだにわからないが)。加えて相手の立場をもっと考えるべきだったと思わさせられた時もあったし、お金を気にしすぎたり、相手の文化を拒絶してしまうといった未熟さすら感じられるときがあった。
グルジア―アルメニア間の国際列車。中はまるで倉庫。乗客は木や小麦といった大量の物資を運ぶ現地人のみ。自分の席も知らないおっちゃんに占領されている。イライラしてまわりにぶっきらぼうな態度をとり続ける自分。言葉は全く通じないく寒い。でもそんな僕に自分の席を少し開けて座らせてくれたおっさんがいた。その彼は常に僕に申し訳なさそうな顔を見せ、持っていたパンやウォッカをふるまい、言葉がわからないなりに気遣ってくれた。そんな彼の「思いやり」を受けた瞬間、何で自分は50前後になって夜行列車のひどい席に座って物資を運ばなければならない彼らのことすら考えられなかったのだろう。彼らにとっては生活をかけた移動。自分はただの旅。彼らの「リアル」、必死さをみるうえでの敬意が自らに欠けていた気がした。そして自分がとても未熟に思えた。

インド、ブッダガヤ。その日朝に出会い街を案内してくれたアヌープさん。とある友人のお店に連れて行ってくれた時のこと。「ところでいくらかかるの?」「タダだよ!だって君は僕の友達だろ?何で君はお金のことばっかり言うんだよ。今日僕は君に一ルピーも請求してないだろ?お金だけが大切じゃないよ。」ただただ恥ずかしかった。まさかインド人にこんなことを説かれるとは思ってなかった。

ウガンダ、同じ職場で働く先生とFirst Nameとは何かについて大論争。氏だっていうウガンダ人と名だっていう自分。だって日本でも他の違う国でもそうだったもの。でもここは日本でも他の違う国でもなんでもなくて、ウガンダ。そしてそんな些細なことを自国の理論で突っぱねた未熟さ。「ウガンダはそうなんだねーー」っていう理解を示すだけでよかっただろうに。

そうやって多くの人からたくさんの厚意、優しさ、愛をもらいながらも彼らに対してはなにもできずむしろ多くの未熟な点に気付かされたからこそ感じること。世界中のだれに対してもオープンかつ対等である。そして相手のことを考えられる懐の深さを持たなきゃならない。そういう姿勢をもって人々に接することが今回自分によくしてくれた人達の温かい想いに「報いる」ことであるように感じる。
一方、人は本質的に同じだと言いながらも、「俺は日本人やっ!」という感覚を初めて意識させられた気もした。
ロンドンで仲良くなったイタリア人やスペイン人。彼らは人を待たせることに何の抵抗もないし、待つ方も同じ。

ウガンダ。彼らは貧しい。だからこそのシェアする文化。貧しくてご飯の少ない子供達も必ず僕にご飯をくれようとする。その一方人のものは皆のもの。そこにあったら勝手に使って当たり前。

インド。聖職者サドゥーの地位は年齢にはよらない。若くても位が高かったら、いくら年取った人もその人には逆らえないし、その人を優先したり立てなきゃならない。

こんな違和感を感じさせられることが何度かあった。もちろん頭では理解はできる。ただ受け入れることは無理だった。こんな時感じた自分は「日本人」であること。日本で生まれ、育ち、教育を受けてきた。こうした「経験」って間違いなく自分に根付いているし、それこそが個を形成するのだ。
でもそれだけじゃない。同時に日本の凄さを感じさせられることも多かった。何って日本は世界の多くの国の人から好感をもたれている。技術が進んだ先進国って印象にとどまらず、この国は世界で人の心理的にもプラスの印象を持たれている。それが日本に行ったことない人たちまで広く広まっているんだからすごい。技術だけじゃなく、対外援助、国民性等いろんな理由が絡み合っているんだろう。そんなこともあって旅中に「I'm Japanese!」と言うときは喜びのようなものさえ覚えたほど。でも何ってこの国の発展やそういう評価を作り上げたのは僕らじゃなく紛れもない上の世代(特におじいさん、おばあさん世代)の方々。自分たちの世代はその人たちのお陰でいい思いをさせてもらってるだけ。そう考えると、今度は自分たちがもっと日本という国を真剣に考えもっといい方向に動かし、下の世代にもこんな思いをさせてあげなきゃならんのじゃないかって思う。そうじゃなきゃただの無責任だ。なんか今後は頑張って日本についてしっかり考え、よくする力になりたいな。これは、国なんてくくりはナンセンスって考えてた旅に出る前の考え方とは全く変わったところである。
最後は自分の今後の生き方について。世界中、国や文化が違えば、ものすごく多様な生き方がある。だからこそ「人生ってこうあるべき」みたいなルールなんて存在しない。だからこそ自分が思った生き方を迷うことなく突き進む、これしかないんだと思う。そして、そんな中で自分はどう生きたいと思ったか。まずは人生を常に「楽しんで」生きたい。家族、友、仕事、趣味全てで。それから「考える人」でありたい。何かの事象を捉え、感じ、考える。そうして考えて自分を見つめるからこそ、自分を変える可能性が生まれるはず。何も考えずに「こうあるべき」に乗っかるのはもったいない。そして、この二つができるのは日本人の特権でもある。毎日毎日過酷な単純労働をする経済的に苦しい人たちには人生を楽しんだり考えるパワーを持つことはとても難しい。とりあえずそのルーティーンをこなさなければ、自らの「生」が失われることさえあるのだから。そしてそうなると多くの事象をたぶん反射的にしか捉えられなくなってしまうんじゃないか(「好き!」「キライ!」のように)。なんかそれって人生の喜びを少ししか享受していない気がする。考えることから得た事、視点ってなにか深い充実感みたいのを与えてくれる気がする。「考える」ことは「よろこび」だと思う。これらは、人生を楽しむ多くの人に出会ったり、その人たちと話したり、考え方をシェアすることで気づかされたこと。インドやネパールでは死んだ人が焼かれるところを多く見た。人生とは儚い。誰が死んでも世界はまわり続ける。でも自分にとっては「自分の人生」が全て。だからこそ人生を楽しみ、考える人間でありたい。

加えて、人を信じる人間であること。信じないとプラスは生まれない。0のまま。もちろんマイナスになることもある。でもそっから学ぶこと、考えさせられることがあるかもしれないでしょ。人をたくさん信じたおかげで旅が楽しくなったと思っている。だから信じる人であれば人生は楽しくなるんじゃないのって思ってる。
それから人と人との顔と顔を合わせる密なコミュニケーションを志向したい。
ラオス。ネットもものもほとんどない。でもそこには家族同士の顔を合わせる密なコミュニケーションがあるし、それだけで皆楽しそうで幸せそうに見えた。

幸せになるには物質的過ぎる必要はない。そんな人付き合い、コミュニケーションを大切にしたい。
自分が旅で感じたこと、覚えていることはどんな絶景よりも、出会った人、そこから考えさせられたことの方が圧倒的に多い。世界のリアルを知るための旅っていう「投資」は多くのものを与えてくれたし、これをもって早く社会でぶちかましたい。
ホンマに最後。いろんなことを考え、感じることができる「人」という生き物として生を与えられたことに感謝。
これでこのブログはおしまい!読んでくれた人ありがとうございました!