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最近、よく聞く「自己肯定感」


ほんと、あっちもこっちも「自己肯定」

仕事が仕事だから、もう何年も前から耳にも目にもしていたけど、最近、本当にどこもかしこも


自己肯定感。


これ、たぶん私だけかもしれないけど、少し引っかかっている。違和感というか、なんとも言えない、モヤモヤ…


いわゆる自己肯定感をまっすぐ肯定できない。


どうしてかな?と考えてみた。


まず、「自己肯定感」って一言にまとめてるところかな〜…?他の人はどうだかわからないけど、私の気持ちや感情って、すごく複雑多岐で変動するし、今の自分にある面では満足だけど、こっちから見た自分は満足できなかったりする。


カテゴライズすることが嫌いなわけではないけど、単純に「高いからこう」「低いからこう」って決められることじゃないと思う。


HSPや、LGBTQとかにもたまに感じる。

世間が目を向けるきっかけにはとても良いと思う部分と、一括りには語れないよな、って思う部分が私の中には混在する。


そして、私が思うところの自己肯定感って、


「自己肯定感を持てない自分」であっても「いいよ」ってことだと思う。


子育てや教育の場面でつかわれることが多いので、私も子育て真っ只中の時には「自己肯定感を育てなきゃ!」って思ったこともあった。


でも、失敗して、つまづいて、転んで落ち込んで、気持ちが切り替わらなくて、癇癪起こして、自信がなくなって臆病になっている子どもを見た時、


子どものこと、ダメだな〜って思わなかった。


って言っても、それはすぐにってわけではない。自己肯定感の呪いかなんかにかかって、目の前の我が子ではなく、「自己肯定感」の方ばかり見ていた自分に気がついた時、「これは何かちがう」って思いました。


上の子の時は特に…ごめんね、って思う。


でも、子どもたちがそうであるように、失敗したり、落ち込んだりそれを乗り越えたり、逃げたりする中で自分の落としどころか見つかったりする。そうする中で、育つものがあるのではないかな。


もちろん、「大好きよー」の雨を降らせて、安心できる土壌作りをするのは大切なことだと思う。でも、それが「足りない」って言うのはちょっと違う。本人がどう思うかだから、それを邪魔してはいけないし、邪魔されたくもない。


病んでもいいし、自信が持てなくてもいい。

自己肯定感を持てない自分でいいし、

自己肯定感を持てない自分を受け止められなくて葛藤して苦しんでいい。


「自己肯定感」ばっかり気にして、あるとかないとか、高いとか低いとか、それしか見えなくなって、本当の気持ちが見えなくなるくらいなら、いらない。いいじゃん、「自己否定」したって。そればっかりじゃなかったら。


肯定したり、否定したり、中立だったり、よくわかんなかったり、それが私だ。