信仰と祈り
"わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。詩編103:2(新改訳)"
自分の祈りが叶えられなくて、「これは神様の御心ではないのではないか」
あるいは「この祈りは私が傲慢に他力本願で祈っていることなのではないか。」
と、自分の祈りの内容に疑問を感じ、
その希望している祈りを、叶いそうなことにかえようかと考えたりもします。
夢をかなえるために相当の努力の継続は必要です。
しかし、実際にはその成果が思うように発揮できない肉体的な限界、精神状態の時もあります。
なかなか眠れない夜が続きます。
このブログを書く少し前も眠れずにいました。
「神様私の祈りは身勝手な祈りでしょうか。
どうぞ今夜私にお答えください。
もし私の祈りが的外れで、
自己中心的ならば悔い改めます。
今夜、私にお答えください。」
そう祈って聖書を開きました。
今日導かれた場所は
旧約聖書は詩篇27篇と
新約聖書はへブル人への手紙10章でした。
すると、
詩篇27篇14節に
"待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。
そして、さらに風でページがめくれて
詩篇31篇24節
"雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。"
と後押しするように、私を励ますように語りかけてくださいました。
そして極めつけ
へブル人への手紙10章33節に
"約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか"
という御言葉に出会いました。
祈りは天のお父さんとの会話。
私はイエス様のとりなしによって、神様をお父さんとぶことができます。
私は気を取り直し、大胆に希望を告白します。
イエス・キリストの御名前を通して
アーメン
おやすみなさい。
