今日の記録。


今日は、新たな居へ、
引っ越し完了。


この数日、客観的に、
自分を眺めていて、


私、大阪に何の想い入れもないんやな、
なんて、淡々としてるんやろと。


転勤を機に大阪に縁して、
でも、1年後には鳥取に戻り、
その後に間も無く、娘を授かって、
結婚という形で、再び、大阪に再縁。


その縁は深く長く。


我が子に出逢えた歓びや、
子育ての大変さを体感し、
私にできる限りの愛を注ぐ、
母親という、貴重な時間でもあり。


でも、
誰にも言えない閉ざした心も、
いつも、どこかに携えて。


私の結婚は、
世の中の多くの人達が歩む、
想いの成就の一つの形である、
結婚の喜びとは、程遠いものだったから。


そんな、裏腹を生きた時間。


一言では、
語り尽くせぬ時間だったけど、
この引っ越しの際の感情は、
旦那さまと築いて来た時間は、
なんか、無味無臭感しか感じれず。


結婚時間を振り返り、
いろんな幸も辛苦も、
走馬灯のように感じたりして、
うるっときたりするのかしらと、
思っていたけど。


そんな私はいなくて、
私の魂のやりたかった体験を、
ただ、して来たんだなぁと、、


あぁ〜大阪の時間、
やっと、終わるのね、みたいな、、、


草原に、はぁーっ!っと、
寝っ転がってるような感覚で。



あっさり過ぎるくらい淡々としてる、
そんな自分に、少し驚きつつ、
でも、それがおかしな事でなく、
魂感覚では、それが正常というか、
台本のト書き通りみたいな感覚。


しかし、年始からここまで、
本当に、激動だった。


でも、今日。


私の世界の創造の土台的なベースの地に、
ようやく辿り着き、
スタート地点に立った気分。


よろしくね、

新たなるスタート、始まりの地🧡



記録してお終い。



☺︎






 
今日、区役所へ行くと、
ツバメの巣に雛がいた。



可愛い😍



餌を貰った子は、

必死さゼロの涼しい顔に対し、

残りの3羽達の、

おーい!!いっちゃうのかよー感の、

大きなお口が愛しく可愛い🩷



沢山、食べてスクスク育って、

無事、巣立ちますように。



今日は、前回の最後に、
次回ネタ的に触れた小話。


あぁ、、と、腑に落ちたというか、
確信したというか、
答え合わせしたような感覚のことの記録を。


その確信というか、
答え合わせを感じたのは、
フィン君が身に付けていたアクセサリー。


初回来訪時のフィン君のアクセサリーは、
ハード系のシルバーネックレスや、
アジアンテイストのアクセをしてて、
若者らしく馴染んでて、、
でも、特に、目が合う訳でもなく、
留まることなく、流れ。


でも、再来訪の時、
ふと、フィン君のネックレスに、
目が留まると、バチっと感じて。


え?ダブルクロスだ!!😳



首に掛かる、
2つのクロスとパッと目が合い、
波動エネルギーがバチっと繋がって、
瞬時に、感じた。 


彼だ!✨、、と。  
 

前回の時は、
クロスアクセサリーは、
全く付けていなかったのは確かで。


身に付けていたら、
大なり小なり、クロスと目が合ってるはず。


ヨーロッパ圏の子だから、
普通にクロスを身に付けてても、
特に不思議ではないけど、
これも、たまたまじゃないな(必然)


何となく、
この長期旅行中に買ったのかな、
と感じた。


ってのは、初回来訪の時、
私を含む我が家の空気、雰囲気に、
キリスト的なエネルギーを、
感じているなと、感じたから。
(あくまでも、感覚的推察)


ダブルで付けてるのは、
たまたまの気分で付けてだんだろうけど、
これも、たまたまの必然という、
わかりやすいメッセージ。


そのフィン君のダブルクロス。


前回、書いた、
リビングでの会話中の姿を、
たまたま、娘が写メに撮っていた。
(拡大したから、ボヤけてる)



クロスネックレス重ね付けの、

ダブルクロスもさることながら、

今、写メ貼って気付いたのだけど、、



Tシャツも、何気にダブルクロスやん。



滞在中は、ずっと、

ダブルクロスだったな。



で、思い出したのは。



今年の3月の頃、

夜中にトイレに目が覚め、

いきなり、ふわぁっ〜っと、

ダブルクロスの壮大さを感じた時、

大きなパーツを貰った感覚になって、

放心状態になったことがあった。



それは、わたしの魂の役割を果たす、 

協力者、支援者、助力者、

そういった魂の仲間の存在達。



あの感覚を、

わかりやすく現象化した、

フィン君のダブルクロスに、、



あぁ、、そっか、

フィン君も、そのエネルギーなんだね、

なんか、めちゃわかる気がするし、

これ、彼やなと。



この目の前の光景は、

彼の仕業、かつ強いメッセージなんだと、

更に腑に落ちた。



一つのクロスには、

イミテーションかわかんないけど、

ターコイズが付いていて、

旅の守護のイメージがあるから、

なんか、そこにも感じるものがあり。



ターコイズには、

まだ、書いていない私的小話があって、 

それも、旅絡み小話なので、

尚更、旅的なニュアンスを感じた。



もう一つのクロスには、

よくあるキリストの磔で、

これも未だ、書けていない、

ふわっと感じた小話がある。



そんなこんな小話は割愛するけど、

何かのタイミングで心動いたら、

いつか、書くかもしれんな。

 


で、更に逸れていくけど。



私は、上に貼ったツバメ、

これも、感じるものがあり。



いつかに書いた、

幼き私のやらかしたツバメの罪の際、

十字架を背負った感覚。



あの出来事と感覚。



なんか、魂の想いの実現には、

欠かせないエピソードで。



当時の幼き心に刻むような、

十字架を背負う感覚の体験は、

敢えての魂の計画で、未来への伏線。



私の魂の物語には、

なくてはならない、必須体験だと。



人生には、どんなことでも、

全て必要な事ばかりで、

パッと見の表面的なことに、

良し悪しをつけているのは、

その人の観念に過ぎない。



幼少期の痛みの体験は、

深く刻み込まれ無意識に沈むけど、

大人となった自分への、

愛のメッセージのネタを、

自ら仕込んだだけ。



そして、

昨春、ツバメからテイルを感じた時、

私のやらかしたことは、

どこか、彼に重なるものを感じ、

まるで、彼はツバメのようやなって。



ツバメも彼も、

命を育む巣から、落としてしまった。



(幼き私は過失でツバメを落とし、

若き私は、故意で彼を落とし、

どちらも無意識だけど、

落とした事実に、

相反する対極が存在している。)



そして、ツバメは、春になると、

また、巣に戻って来るから、

それも、昨春の日の彼の帰還と重なって。



その昨春に見つけた、

お散歩コースのツバメの巣に、

家主さんが書かれていた張り紙の言葉。


「戻ってくるのを楽しみに。」


この言葉、彼の想いでもあるし、
私にも重なるんだよね。


若き昔から、
私の中にあった謎の法則、
女は港の法則。


そして、
今春の最初の張り紙には、
こんな事が書かれていた。


お父さんお母さんツバメではなく、

昨年の子どものツバメが戻って来たと。



こういう何気ない張り紙の言葉も、、



なんか、彼がフィン君を通しての、

「母の子」という、

目に見える形での、

子の帰還、子の復活を、、

伝えられている気がして。



で、更に脱線。



この張り紙の主さん、

本当に、見守り愛が素晴らしく、

張り紙の文言から愛が滲み出ていて。



道行く人も、雛を見上げたりしてるのを、

何度も見かけた。



この愛のこもった張り紙に、

見知らぬ多くの人々の関心を寄せ、

雛の成長の祈りは、

きっと、ツバメの親子に届いているはず。



今春のある日の張り紙。







脱ぎ捨て落ちた殻にも、
コメントが書かれていて、
本当に、優しく愛おしい方だなと。


・・話を戻して。


幼き私のやらかしは、

『毎年、春になると、

何気にツバメが気になる』意識を、

植えてくれた。



春って、

私は、好きじゃなかったから。



ツバメの季節だけでなく、

彼との別れも、

彼が最後に会いに来てくれたのも、春。



でも、この歳になって、

やっと、春を愛しく慈しめるようになった。


 

これは、真逆にひっくり返った、

大きな心の変化。



生涯、忘れることは出来ない出来事は、

半世紀近い長い時間をたっぷりと掛けて、

春の奥深き意味を説く魂の壮大さに、

愛しさと切なさで一杯になった。



その長い時間からのメッセージは。



クロスを背負った過去の私と、

クロスを受け容れた現在の私も、

外側での背負ったクロス、

内側へ迎え入れたクロス、

1人で2つのクロスを体現している、

ダブルクロス状態、

これも、伝えたいんじゃないかと感じた。



と、ツバメの季節に重なるように、

フィン君のダブルクロスは、

私な中のツバメのあれこれを、

閃きのリンクを促してくれた🙏感謝



そして、ついでに、もう一つ。



フィン君のダブルクロスからの、

ツバメへと閃きは、

数珠繋ぎの如く、また繋がり閃き。



あのマグカップの絵柄が、

パッ!!と浮かんだ。



あのマグカップとは、これ。



昨春、彼の帰還後、

マグカップ下部分と目が合い、

眼鏡をかけ、よく見ると、

 「I LOVE YOU」が、

刻印されてることに気づいた。 

  


愛してるよ🩷マグカップ。



このマグカップを買った旅の際は、

何度もふっと、クロスを感じることが多く、

ホテルのアクセサリーとも目が合い、

デザインからクロスを感じて、

何となく、買った。



で、その翌日、

このマグカップを買って。



その時も、このマグカップに、

デザインされている絵柄が、

クロスを感じる絵柄で。



しかも、

そのクロスには、

もう一つクロスが重なっていて、

大きなクロスに、小さなクロスが、

ピッタリ重なり収まっている絵柄。



2つのクロスっぽい、

不思議な絵柄やなぁと思いながら、

ま、これでいっか!と、購入。



これも、時を経て、

ダブルクロスを意味していたのだと感じ、

彼の巧みな仕掛けは、

本当に、すごいなと。  



クロス、クロスだよ、

そして、ダブルクロス、

さおりちゃん、思い出して✨



こんな風に、何年も前から、

ダブルクロスを暗示されてて、

フィン君との出逢いは、

その暗示の現実現象なんだと感じた。



文字で表現すると、

ほんと、長たらしいけど、

閃き繋がるのは、

一瞬で、ピピピ⚡️なので、

私の歩んだ過去と、目の前の現象、

そして、そこに魂の伝える意図を感じ、

あちこち多岐に渡り重なることが、

どう書いていいか、毎度カオスになる。



カオス過ぎて、

何を記しておきたいのか、

もはや、自分でもカオスだけど。

 


とにかく、

フィン君からツバメからマグカップから、、

それらの現象が伝えたいことは、

ダブルクロス✝️✝️



これは、魂の使命、役割。



それを伝えたいがために、

幼き時から、動かされてきた。




実家に残っていたのも、

時を経て、それを絵を見つけたのも、

幼き私が残した、

未来の私へのプレゼント🎁だと、

改めて、感じた。



そんな幼き私の描いたクロスが、

発展した現象として、

フィン君のダブルクロスに、

彼の強い想いを秘めているのを、

感じたのである。



お終い。



☺︎








前回の続き、
娘の海外のお友達の再訪来から、
あれ?っと、意味深を感じた話の記録を。


別の日の午前中、
娘の留学先友達も合流して、
一緒にリビングで話をしていると、
また、お友達の発言に、
ふわぁ〜っと感じた。


あ、お友達名称が複数だと、ややこしいな。


お友達の表記は、
フィン君にしとこかな。


そのフィン君は、
唐突に、弾けるような表情と、
労いの気持ちを込めたような表情を、
クルクル織り交ぜながら、
こんなことを話し始めた。


「お母さん、もう何もしなくていいよ。
ゆっくりしてて。

私、お母さんを、旅行に、、
いろんな所へ連れて行ってあげたい。
〇〇(地名)とか〇〇とか、、
色んな風景を見せてあげたい!

後、私の家にも、来て欲しい。
ゆっくり、何もしないで、
1年位いていいよ、いて欲しいな。

私、お金持ちになって、
お母さんを、色んなとこに、
連れて行ってあげるね!!」


この発言を聞いてる瞬間、
また、ふわぁ〜っと、
幾重にも重なるように、
彼を感じてしまって。
 

第一弾の来訪の際、
娘のアルバムを見て喜ぶ姿に、
遠い昔の彼を感じた時と同じ感覚。


こんな感覚があったからかもやけど、、


フィン君の発言内容は、
これまでの人生での、
彼が放った言葉や声なき声の言葉と、
一致していて。


まるで、彼が言葉の片鱗として、
投げかけてくれてる感覚で、
キラッと輝くように、彼が重なるんだな✨


文章にすると、長たらしくなるけど、
一瞬で、ピピピっと繋がり重なる感覚。


で、その長たらしい部分を書くと。


まだ、彼が正体を明かさない5〜6年前?
大好きなラピスから、
私に、見せたい景色があると、
言われていたこと。


(昨年の彼の帰還で、
そのラピスの声の主は彼だったと、
腑に落ちた。)


それは、まだ見ぬ、
いつかの現実の景色であったり、
色んな土地の風景、、
そんなイメージを感じた。


その後、2020年のゼロの時間は、
私的に超越的な真の時空間で、
それが、見せたい景色だったんだな、
ラピスの役目は終わったのかなと、
ふと、思った時、


これで、終わりではない、
まだ、見せたい景色はある!


そんな言葉と共に、
これからが、本当の景色だと、
私の手を、行くよ、、と、
再び手に取ったラピスが、
先導するように手を引いて、
また、歩き出した感覚を、
くれたことがあった。


あの感覚を想い出すだけで、
本当に愛おしいな、、🥲


そして、ゼロを経て、 
明け渡しの命の頃かな。


お前は、何もしなくてもいい、
全てを任せよと。


私が整ったら、勝手に自動的に、
わたしの純粋な世界が展開される、
そんなイメージの言葉も、
何度も貰ってたから、


「何にも、しなくていい」


フィン君の第一声の言葉と重なって。


そして、更に重なる感覚は、
遠い昔に貰った、
彼の手紙に書かれていた、


「心も大事に、お金儲けして幸せにしたい、
何でも、してあげたい。」


遠い昔の彼の想いも、
フィン君の言葉と重なる感覚で。


同じ時代にいない、
別々の個である2人が、
時を超え、示し合わせたような発言。  


しかも、不思議なのは。


フィン君は、
まだ、2度目の再会にも関わらず、
自身と私の人生に、
スーッと深く踏み込むような、
純粋な透明性と、
相反する濃さのような、濃度も感じて。


長年の付き合いでもない、
赤の他人に放つ言葉としては、
思い付きの軽いノリの人か、
マジで、そう想っているか、どっちか。


フィン君からは、
魂的な深い所が反応しているのを感じるので、
後者なんだろうなと。


そして、興味深いことに、
彼らに共通するのは、
どちらも、恵まれた家庭のご子息。


親の脛かじり的ではなく、
自分の力でと、そう発言する意志が、
なんか、似てるよなって。


それに加え、
彼の帰還をナビゲートして下さった、
浜省さまのライブの時に感じた、
「旅、海外」
そこに、私は彼を感じてて。


そういう意味でも、
フィン君の連れて行ってあげたい、
色んな国の景色を見せてあげたいの言葉に、
遠い昔の彼、幾重にも重なってダブり、、


初回来訪のアルバム見てた時も、
あれ?って感じたけど、
改めてこの時、確信した。


彼が宿っているというか、
彼は、何にでも変幻自在に宿り、
メッセージを伝えてくるから、
フィン君は、メッセンジャーであり、
彼の想いを体現する代行者なんだなと。


そして、
地球のお母さんになって下さいも、、
腑に落ちて。


だから、母と子なんだと。

(ネットより画像お借りしましたm(._.)m)


以前、この画像を貼らせてもらった際、
魚座の2匹の魚は、
マリアとイエス、母と子の象徴、
そう書いてあるのを読んで、 
めちゃわかる!と共感した。


1〜2年前くらいかな?
私的に、この母と子のエネルギーは、
地(自然界)を深めると行き着く姿だと、
その時、マリアとイエスや!!と、
ビビっ!と、感じたことがあったから。


話は、逸れるけど、
ついでに記録しとこかな。


5〜6年前くらい?の、
不思議化が深まりつつある頃、
閃きから、何かを調べている時、
マグダラ?のマリアなるものの記事を、
読んだ瞬間、違和感。


その真偽は、どうでもいいけども、
今思えば、マグダラの存在とは、
通過点とか過程というプロセスの途、
みたいなものかなと。


私個人的には、
母マリアと子イエスキリストは、
俗世的な男女の枠組みを超えた根源、
真の男女(陰陽)のエネルギーみたいな、
そんなものを感じたんだな。
 

脱線、終わり。


なので、4月のマリアの泉から感じた、
マリアとイエス、、母と子も、
フィン君の再来した際の言葉も、
どれもこれも、切れ目なく繋がっていて。


そして。


前回に訪れた時のフィン君は、
これから先の自分の人生に、
詳細な想いの具体的設計は、
まだ、描けている段階ではなく、
模索の中を彷徨っている感じだった。 


でも、この時、私という存在が、
フィン君の何かを呼び覚まし、
未来のビジョンの明確化の原動力に、
なっていく感覚も感じた。


そして、フィン君のお言葉は、
有難い言葉として受け取らせて貰って、
その先の展開は天にお任せし、
粛々と、私はわたしを生きる、
集中するのは、それだけで。


寧ろ、この言葉は、
俺が、さおりちゃんにしてあげたいことを、
さおりちゃんそのものの姿で、
(姿とは、彼を表に現し表現すること)
人生を体現していくよと、
彼が、伝えているように感じた。


何というか、その想いを、
リアルな生身の人の口を借りて、
懸命に伝えようとしている、という感覚。


母と子、マリアとイエスを、
彼が、フィン君に託しているような、
そんな感覚を、感じただけ。


そして、もう一つ、、


それは、あれ?っていうより、
あぁと、腑に落ち感じたことがある。


それは、次回に。


最後に、ちょいメモ。


今日も、不思議を感じた、
なんでここに?カマキリと、
またも、36。


お終い。


☺︎







いつかの夕空の、

儚く僅かな束の間の彩り。



束の間の色彩に魅せられる時間も尊い。



ってか、どう書こうかな。



大黒さまから仙人さま話へ、

話は逸れたけど、、

記憶の時系列的に書こうかな。



では。



何気に目があった御社に祀られた、

大国主命に導かれたのが5月20日で、

その翌日の5月21日のこと。



区役所に用事があり、

入り口付近の銅像と、

いつもの感覚、バチっと目が合った。



その銅像には、タイトルが刻まれ、

「母と子」と書いてあって、

母が、大切そうに子を抱く像。



この像は、区役所正門近くなので、

私は、大概、裏から出入りするので、

あまり、目にすることはなく。



ただ、これまでも、

たまに、正門から出入りする際、

今回ほどでは無いけど、

なんか気になる程度に目は合っていた。



一昨日も、区役所に行ったんだけどな、

スマホ、車に置いてたから残念。



4月に導かれたマリアの泉で、

マリアとイエスキリスト、

母と子を感じたのも影響して、

母と子のエネルギーと、

引き合うのかもしれないな。



そんな、区役所での、

細やかなエピソードがあって、

それから、10日ほど経った、

娘の誕生日に合わせて、

再び、娘の友達が再訪した。



お友達は、

ここ数ヶ月、日本を中心に、 

ちょこちょこ近隣の国の旅も兼ね、

長期滞在をしているそうで。



今回も、

あれ?っと不思議な縁を感じたり、

なんか、意味深だなと感じたりした。



お友達は、

日本への留学も検討していて、

この滞在中、期日ギリギリで、

某有名大学の大学院に、

エントリーしたそう。



その合否の発表が、

娘の誕生日の日で。



そしたら、合格の通知が届いたと。

(おめでとう🎉)



ダブルでめでたい🎉🎉



お友達は、娘の誕生日に、

合格を貰ったことの重なりに、

amazing!と、凄く感動してた。



なんか、縁があるよねぇと、

私も、嬉しくて。



で、その話の流れで、

其々の誕生日の話になって、

お母さんの誕生日はいつ?と、

聞かれたので答えると、

お友達は、え⁈っと、驚いて。



りぃと、

初めて、出逢った日って、、、

その辺りだった、と。



スマホを取り出し、

アルバムか何かをスクロールし始め。



「あ、お母さんの誕生日の前の日!!」



そう教えてくれ、 

その偶然が、凄く感慨深そうで。



お母さんの誕生日近くで、

りぃと出逢っているのが不思議だと。



前に娘にも、言った事あるけど、

この数年、よく感じてたのは、、



娘は、

私の誕生日の日や、

その前日、翌日とかに、

転機だったり、新天地だったり、

変化するタイミングを無意識に選んでいで。



お友達と娘の出逢い、

そこに、私の誕生日が近しいこと、、

私的に、大きな意味を感じるので、

改めて、縁を感じた。



そして。



お友達の滞在は、

今回で2度目になるし、

それ以前に、なんか、

不思議と馴染んでいる感覚があって、

過剰に、気を遣うこともなく、楽で。


 

私が、台所で用事をしていると、

お母さんの作業が見たいと、

隣に並びながら、質問をくれた。



前回から、お母さんは、

どんな風に過ごしてきたの?

happyだった?と。



変容している我が家ごとの激動は、

色々、キツいことの連続なんだけど、

予め感じてた困難苦難の予定調和なので、

(私達魂の筋書き通りなだけ)

流れに任せているし、

それを日本語の説明では難しいから、

お友達に、話すつもりもなく。



でも、それに加えて、

お友達が来る1週間前位に、

別案件が新たに加わって、

結構、しんどい時もあったから、

うーん、、どう答えようと思ったけど。

そこは、正直に話して。



つい最近、実家(姉)の事で、

すごく落ち込んだけど、

今は大丈夫だよと話すと、うんうんと。



イメージ的には、

背中をトントンというか、

そっと、さするような、

そんなエネルギーで、

そっと寄り添ってくれた。



この子は、

ママ、何か手伝うことない?と、

何かと気をかけてくれて、

繊細に、人の動きを見ている子。



だからこそ、

お友達には、気にかける事なく、

ゆっくりして欲しいなって、

気持ちになる。



そして、別の日、

娘と3人で話をしている時、

お友達の発言に、あれ?って感じた。



「お母さん!

お母さんが、英語ペラペラになったら、

地球のお母さんになれるよ、

お母さん、地球のお母さんになって欲しい。」



その言葉に、

少し前に書いた、

お友達のメッセージから、

地母神を感じたこともそうだけど、、



上に書いた、

母と子の像も重なり、、、



お友達の口を通して、

「地母神」を伝えられている感覚に、

ふわっとなった。



(今現在の私は、

英語ペラペラになってもならなくとも、

わたしで在るだけで、

地球のお母さんそのものなんだと、

既に、わたしはそう在る、と、

感じている、今日この頃。


ただ、英語、、

特に、辞典で調べながら、

言葉の意味を、自分流に繋げて、

アレンジする翻訳が好きだったなと、

思い出させて貰ったので、

彼の言葉には、意味がある気がする。)



そして、その話の前に、

お母さん、ちょっと来て来て!と、

お友達が、私にプレゼント🎁をくれて、

その品は、この度、

引っ越す先を暗示している品で。



その品を、貰った時点では、

引っ越しは、

何も決まって無い状況にも関わらず、

やっぱ、この土地に引っ越すのは、

決まってるんだなと、確信した。



最後にメモ。



今日の昼間、16時頃やったかな?

不思議現象が起こり、

これは、私だけが分かるような、

メッセージ現象ではなく、 

丁度、息子(娘も)もいてる時の、

分かりやすい現象で。



これも、メッセージというより、

訴えるようなエネルギー、、

娘息子は、その意味は分かってないけど、

私は、凄く感じるものがあった。



メモ終わり。



今日は、ここまで。



☺︎







前回の最後の、
仙人さま小話で、書き忘れてた。


日々、色んなネタが舞ってるから、
脳内カオスなので、
零れ落ちるように、書き漏らしてた。


でも、昨日、
すっかり忘れてた割には、
私的には、とても大切な、
メッセージやなと感じ。


昨日の続きに追記しとこうか、
一瞬、迷ったけど、
昨日の文字量、大概なので、
今回、別枠零れ話として書いとこう。


ま、大した話ちゃうけど、、では。



お伊勢さん帰りの、
もう直ぐ、我が家という場所で、
久しぶりに仙人さまとすれ違い。


昨日は、
荷台に乗せた衣装ケースの話を、
書いたのだけど、
今日、思い出したのは、仙人さまの服。


これまでも、
仙人さまの服は、メッセージ性が高く、
色んなことを、服装から伝えてくださった。


そして今回の服装は、
遠目からは、カジュアルな、
セットアップの白い服装に見えたのだけど。


すれ違う瞬間、
あ、白じゃ無い、
(白に近い)淡いグレー!!
と、色を認識し、
あの、かつての「アイスグレー」が、
パッと浮かんだ。


そして、続いて、
セットアップの下に着ている、
インナーの色は薄紫色なんだけど、
その薄紫の目が合った瞬間、
「ラベンダー色」とワードで感じた。


すれ違う瞬間って、
ほんの一瞬の瞬間なんだけど、
私には、時が止まったというか、
スローモーションのように感じる瞬間。


なので、
そのスローモーションタイムで、
情報を、瞬時にキャッチする。


まず、
淡いグレーの「アイスグレー」。


仙人さまの服の、
アイスグレーの色味を見た瞬間、
上に貼った過去記事の、
アイスグレーが浮かび。


何も見えないけど、
愛おしいこのアイスグレーの先に、
透明なエネルギーがあるような、、


あの2021年の感覚を彷彿し、
あ、、透明な世界への突入の時を、
知らせてくれてる!って感じた。


アイスグレーを抜けていくよ、と。


そこは、きっと、
彼と私の純粋で透明な時間であり、
リアルな現実的空間であり、
この世の在り方、表現みたいなもの。


今思うと、仙人さまは、
衣装ケースを持って移動しているから、
引っ越し先に住まうことにより、
その透明な世界が開けていく、、
みたいなメッセージかなと。


ぶっちゃけていえば、
彼と私の真の時間の始まり。


で、もう一つ感じた「ラベンダー色」。


アイスグレーのセットアップから、
チラ見程度の差し色のインナーが、
とても印象に残り、
これは、色に意味があると感じ、、


薄紫色ではなく、
ラベンダー色の意味が、
凄く気になったので、即日調べた。


興味深いサイトを見つけ、共感の嵐。
書いてあることが、
どれもこれも、わかりみ深く。


その中で、驚いたのがコレ。

え?

5月に、復活、イースターのこと、

書いてたやんな?と。



そして、

サイト記事の、若々しさ、春の輝き、

これも、めちゃわかるの。



彼は、歳を取らないし、

タロットでもサビアンでも、

歳を取らない姿で伝えることが多い。



春の輝きも、納得で、

これからの魂の役目を終えた時間は、

私の彼の、春の訪れ、

永遠の春の時間を愉しむ、

そう、感じるから。



そして、めちゃわかる!と共感したのが、

せっかちな人とは合わない、←コレ。



コレは、常々、感じていることで。


多くの人は、早く早く!と、
物事を形にすることを良しとして、
魂のプロセスより、
現実的な目に見える結果重視、、


所謂、旧体制のマインドが、
潜在的に蔓延っていることに、
気付いてない人が多いなと。


例えば、有限の命にしても、
なーに、急いでんの?って感覚になる。


確かに、身体の有限はあり、
地球目線では一理あり正しい。


ただ、自己を超えていくと、
え?時間なんて、いくらでもあるでと、
感じている私としては、とても窮屈で。


これも、大元を辿れば信心で。


内なる信心のない者には、
外側の他を信じることは不可能。


ラベンダーは、
そこを超えた人に告げられる色、
なんだと思う。


復活は、審判を通過する、そんな感覚。


最後に、これも。


チャリを漕ぐ仙人さまの進む方向は、
引っ越しの方角に向かって漕いでらして。


思えば、2月19日から、
物事がコロコロ変わりまくって、
二転三転どころじゃなく、
軽く10数転以上、転じまくってて。


なので、
引っ越しするかどうかも、
状況がコロコロ変わりまくり、
夏至の時点では、予定は未定状態。


でも、
引っ越しが決まった今、方角さえも、
私がここだと感じた場所の方角、
こっちの方角に移動するでよ!と、
偶然、通りがかった姿、現象を通して、
語ってくれてたんだと。


仙人さま(彼)は、
そんな事を伝えたく、
お伊勢帰りに、おしゃれ仙人に、
託してくれたのだの感じた。


お終い。


☺︎