お誕生日のお祝いを伝える前に、母の懺悔を聞いてほしい。
手のかかる子
母は君の事をそう考えていた。つい最近まで。
たしかに君が産まれてからの2年、特に授乳だけの時期を過ぎてからのこの1年ほどは私の生活の中で君の対応に時間を使う割合がとても増えていた。
アレルギーと肌荒れで日常生活で気を使うことが多く、定期検診でも要検査項目があり、嫌がる君を連れて定期的に検査に行かなきゃいけないこと
夜、しばしば突発的に寝ぼけて泣き叫んで暴れて、その度にこちらも寝不足になること
一度癇癪を起こすと手をつけられなくなり、驚くほど強い力で私のハグを拒否して手をつけられなくなり、その度にこちらの予定が崩れること
食べた物を口から出す、救急箱の絆創膏を片っ端から出す、お姉ちゃんの大事にしている塗り絵を粉々に破くなど、その状況でのtop ofやって欲しくないことをもれなくやってのけて、後処理に追われること
その度に私の気力や時間を搾取されてるいるように感じられて
怒りの行き場がわからなくて自分の心の余裕が瞬間的に空っぽになってつい反射的に君を叩いてしまう事もあった。
その度に自分の器の小ささに愕然として自己嫌悪に襲われて、ますます怒りとか不安とかの負の感情の片付け方がわからなくなって。
だんだんと君に対するモヤモヤが積もっていった。
だから私は君にいつのまにか
手のかかる子
というレッテルを貼っていた。
君のいない所で
「うちの息子はちょっと手がかかって大変で」
「とにかく怪獣で計画的に出掛けられないんです」
なんて苦笑いをしながら話をする度に、君の悪口を言っているような気分になって胸がチクチク傷んでいた。
手のかかる子ほど可愛いわよね
なんて言われても全然そんなふうに思えなかった。
君は可愛くて愛おしくて大好きだけど、手がかかるのは別問題。
そんな風に考える私って母親失格?
どんどん自己嫌悪メーターが溜まっていっていた。
母をハッとさせた保育園の先生の言葉
ある日の保育園のお迎えの時、君が保育園でも癇癪モードになってしばらく泣き叫んでいたと報告を受けた事があった。
先生からの一言で癇癪を起こして暴れ回る君を追い掛けている間の絶望感が一気にフラッシュバックして『あぁ、ついに保育園でもやったか…』とげんなりした。
そんな私の気持ちを見透かしたのか、先生は
「自我が芽生えてきたという成長段階なのかもしれないし、これがこの子の主張の方法なのかもしれないし。どちらにしても、自己主張できるようになったということで、成長を感じましたよ」
と淀みのない笑顔で明るく言ってくれた。
自己主張…?
成長…?
思いもよらなかった先生の言葉でげんなりした暗い気持ちに光が差したようだった。
またある時は保育園で
「息子くん、シール貼りをずっとしていたんですよ。集中力があるし、手先も器用ですね」
と教えてもらった事があった。
そっか、息子は手先を上手に使えるようになってるのか。
家でも娘のシールを勝手に貼って喧嘩の火種になったり、大事な手紙をビリビリ破いて手を焼いていたけれど、それも集中力と器用さの表れだったのか。
母の中で手のかかると思っていた君の行動が途端にキラキラ光る長所に思えた。
先生に教えてもらって母は初めて君の得意な事に気が付けた。
それと同時に、自分がなぜ気付けなかったのかも考えた。
それだけ余裕が無かった。
毎日の生活に必死で、目の前の君の繰り広げる惨事の片付けに追われて、成長や特技に気付けなかった。
そして、君に「手のかかる子」というラベルを貼っていた。
君の日々の成長や主張に目を向ける事を避けていた。
観察をして気が付いた事
保育園の先生の言葉でハッとしてから、母は意識をして君をよく観察するようになった。
君は器用でシールを剥がしたり紙を細かく破いたり、大きな手で細かい作業が上手。
お姉ちゃんの動きを傍でジーッと観察していては少し離れた場所に行き、見た動きの真似を一人でしている(母はそれをこっそり「自主練」と呼んでいる)。
お姉ちゃんを叩くのは、一緒に遊びたいお誘いで力が強すぎたパターンと、お姉ちゃんの言葉での反論に返せなくて手が出ているパターンのどちらかだった。前者は「どうぞ」が言えるようになって少し減った。後者は2人の間のケンカなのでしばらく見守る事に。
ごはんを口から出すのは、熱かったり硬くてびっくりした時、または食事をしばらくした後でお腹いっぱいな時だった。
集中して呼びかけても無反応なのは集中メーターがMAXな時で、そうでも無い時はこちらに意識を向ける。MAXな時の様子も観察していったら理解できた。
癇癪を起こすのは、眠いけど寝れないなど自分でコントロールできない場合か、おかしのおかわりが無いといった主張が通らない場合だった。
しばらく見守ると落ち着く事がほとんどなのでそれからは観察をして反射的に対応しない事にした。
すると、次第に泣き止んで寝る準備に入ったり他の遊びに目を向けたり自ら気持ちを切り替えて解決するパターンと、踏み台に乗ってでも冷蔵庫を開けておやつを出そうとする主張強行パターンとに分かれた。
前者は引き続き見守り、後者は危ないのでこちらが折れておやつをあげる事にした。
観察を続けると、癇癪の君なりの理由や目的を想像する事もできるようになってきた。
母や父は時々、大人の都合で遊びを中断させていたけれど(そして君はたいていそれから癇癪を起していたけれど)
目の前の遊びに集中して遊んでる時に大人の力で無理矢理止められたらそりゃあ嫌だよね。
君はただただ目の前の事に常に全集中で、その表現の方法やタイミングに母が勝手にイライラしていただけだった。
手のかかる子、というのは母の都合での勝手なラベリングだった。
君は手のかかる子じゃあないよ。ごめんなさい。
2歳になった君へ
2歳のお誕生日、おめでとう。
今日まで母のそばにいてくれて、生きていてくれてありがとう。
君は生まれた時から大きくてその大きさも
ご飯をモリモリ食べる満足が表情も
少しずつ発するようになってきた言葉も
その全てが母は愛おしくてたまらない。
母は君のおかげではじめての気持ちも体験を沢山している。
お姉ちゃんの同じ頃とも全く違う。
その分悩んで余裕が無くなって
時には君にその怒りをぶつけてしまってもいる。
でも、君はいつでも君らしくいてくれている。
母がラベリングをして怒っても
反省をして君を観察の視点で見るようになって怒らなくなっても
君のやる事はあんまり変わらない。
そのマイペースさが母を救ってくれている。
それどころか2歳になる君はまだまだ甘えん坊で
保育園のお迎えに行くと満面の笑みでこちらに向かってきてくれるし
外を歩くときは当たり前のように母の手を探して繋いでくれる。
その君の無償の愛情が母の癒しだ。
ありがとう。
母は君の好奇心を応援したいし、支えたい。
まだまだ未熟で、イライラして怒ってしまう事もあるけど、母もちょっとずつ成長していくからね。
だから君は君のままでいいんだよ。
いつまでも君のマイペースさを母にぶつけてきてほしい。
ありがとうをたっぷり込めて。
2歳のお誕生日、おめでとう。




