気づけば、NYが普通になっていた。

ベーグルを買い、
スーパーでフルーツを選び、
英語で注文し、
街を歩く。

特別なことをしている感覚は、もうなかった。
ただ、ここで生活していた。

明日の朝、日本へ帰る。

日常になったNYが、
また非日常に戻る。

でもきっと、もう前とは違う。

今回の旅は、成長だったのかもしれない。
殻を破る旅だったのかもしれない。

でも、ふと思った。

本来、私はこういう人間だった。

大学時代、好き好んでペルーやエジプト、トルコ、東南アジアなどたくさんの国に行き、
外資系のCAにもなった。

世界に出ることに、
怖さよりも好奇心が勝つ人だった。

結婚して、地元に戻り、母になり、
守ることが優先になっていた。

殻に閉じこもった部分も、きっとあった。

でも今回のNYで、
何か新しくなったわけじゃない。

思い出しただけ。

ああ、私はこういう人間だった、と。

旅の途中、英語でやり取りしている私を見て、
息子が言った。

「ママすごいね。英語わかるの?」

改めてそんな姿を見せたのは、
もしかしたら初めてだったのかもしれない。

挑戦する姿を、
言葉ではなく背中で見せること。


それを少しでも感じてくれていたら、嬉しい。

今回の旅は、
息子に世界を見せるためだった。

でも同時に、
自分が挑戦している姿を見せる旅でもあったのかもしれない。

だから、また来る。

次は家族全員で。

NYはまた非日常に戻るけれど、
私の中では、もう遠い街ではない。
息子の中でもきっとそう。

少しだけ、元の自分を思い出した。

そしてこれからは、
その自分のまま、挑戦していきたい。

最初は怖かった。

まずはちゃんとホテルに辿り着けるかどうか。
規模感がわからない街。
寒さ。
英語。
治安。
食事。
そして、息子との二人旅。

全部が非日常だった。

到着した日の私は、
きっとずっと肩に力が入っていた。

でも4日目が終わるころ、
ふと気づいた。

NYが、少しだけ普通になっている。

街を歩いても、
いちいち構えなくなった。

お店に入る前に深呼吸しなくなった。

ベーグルを注文する。
街を歩く。
人と会う。
英語でやりとりをする。

「観光している」ではなく、
ただ、ここで生活している感覚。

怖い街だったはずなのに、
今は普通に歩いている。

非日常は、慣れた瞬間に日常になる。

たぶん世界は最初から広いのではなく、
一歩踏み出すたびに広がる。

息子に「世界は広い」と見せたくて来たけれど、

広がったのは、私の方だった。

NYは特別な場所のままじゃなかった。

少しだけ、
自分の街になった。

明日は実質の最終日。

息子が起きたら、
「何したい?」と聞いてみようと思う。

最初は連れていく旅だったけれど、
最後は選んでもらう日にしたい。

午後はブロードウェイでライオンキングを観る予定。

楽しみ。

*リアルタイムではないです

NY4日目。

今日一番心に残ったのは、景色でも建物でもなく、人だった。

ブルックリン在住、23歳の彼。
夫が1ヶ月前、NYのパーティーで出会ったばかりの人。
「ビビビときた」と言っていた。

正直、半信半疑だった。

でも会ってすぐにわかった。
ああ、これはわかるやつだ、と。

彼はまだ23歳。
だけど、人生を俯瞰して見ていた。

自分の生い立ちを話してくれた。
順調なことばかりではなかったらしい。
挫折もあった。

でもそのとき彼は、こう考えるのだと言った。

「さあ、ここからどう乗り越えていくのかな」

まるで自分の人生を、少し離れた場所から見ているみたいに。
主人公でありながら、観客でもいるような視点。

23歳でそんな視点を持てるのか、と正直思った。

優しい。
でも自分には甘くない。

軽やかに笑いながら、芯がある。

そして息子への接し方。

「小さい頃の自分と似ているから気持ちがわかる」

慶の慎重さも、戸惑いも、
“弱さ”ではなく“物語の途中”として見てくれた。

変えようとしない。
急がせない。
全てを肯定してくれて、いいところも見つけてくれた。

その姿を見ながら、私は横で学んでいた。

もし息子のことがなければ、
私は今、NYには来ていない。
この人にも会っていない。

夫があのパーティーに行かなければ、
この出会いもなかった。

偶然が、あとから線になる。

すべてに意味があるなんて簡単には言えないけれど、
今日だけは少し思った。

人生は、うまくいくかどうかよりも、
“どう乗り越えていくかを見る視点”を持てるかどうかなのかもしれない。

ブルックリンの空は広かった。
でも今日、広がったのは私の視点だった。