『自称空気の読める令嬢は、義兄の溺愛を享受する』
⚫著者 香月しを
子爵令嬢のチェルシー・ディパーテッドは、祖母から「空気の読める女になりなさい」と教えられてきた。
祖母はディパーテッド家を背負って立つ尊敬すべき人だった。道標となる祖母が亡くなると、チェルシーの両親は塞ぎ込み、立ち直ることなく馬車の事故で亡くなってしまう。
両親の葬儀に近しい親族は誰も現れず、11歳で天涯孤独となったチェルシーは途方に暮れていた。
そんな時、顔を合わせたこともない遠い親戚だとある男爵一家が訪ねてきた。
誰も聞いたことがない一家の真偽を確かめるため、執事が貴族院に家系を確認しに家を空けている間に、両親が遺した宝石、ドレス、金品は男爵一家に売り払われ、チェルシーは男爵令嬢リンダに部屋を取られてしまう。
執事が戻るまでと我慢していたが、確認が難航しているのか中々戻ってこない。ついには、リンダに家を出ていけと言われてしまう。
「ここはもう私の家よ。私、チェルシー・ディパーテッドのね!」そうリンダに言われ、我が家ごと男爵一家に乗っ取られたことをチェルシーは悟った。そして、ここは撤退の時、と、空気を読んで、レジナルドという護衛を一人連れ家を出た。
↓↓↓↓↓⚫以下長いネタバレ⚫↓↓↓↓↓
祖母は生前、家名を徹底的に隠し各地に孤児院などの施設を設立していた。利益は一切受け取らず、国への寄付という形で建てられている。
男爵一家に反撃し、家を取り返す力を蓄えるため
、チェルシーは領地内にある祖母が設立した孤児院に、数年身を寄せる予定でいた。
孤児院で生活を始めて早々にいちゃもんをつけてきた赤髪の「大将」と、文字通り殴り合いをした際、読めてない空気を読んでいると言い張るチェルシーに皮肉を込めて大将が放った言葉を、本人がいたく気に入り、チェルシーは他の子ども達から「空気」というあだ名で呼ばれるようになった。
王立学園と同等の教育がなされる施設だが、血気盛んな子どもも多く、5日目の時点でチェルシーの顔には殴られた痕があちこちあり、新たな傷は増えていくばかりだった。
遠い親族だと名乗り、チェルシーを引き取りたいとアニストン伯爵夫妻が孤児院を訪れた。
ディパーテッド家の執事がようやく辿り着いた親族で、その昔ディパーテッド家から勘当された息子を、たまたま拾ったアニストン家が迎え入れ、その後家を継いだという。
親族とも言い難い経歴に、チェルシーは固辞したが、伯爵夫妻もどうしても助けたいと言って引かなかった。チェルシーは、埒が明かないと空気を読んでアニストン家に身を寄せることにした。
アニストン伯爵家にはブラッドリーという一人息子がいる。ボコボコに殴られた顔の少女を、唐突に義妹だと告げられたブラッドリーは、可哀想がる訳でもなく不審な目をチェルシーに向ける。
ブラッドリーはチェルシーの4歳年上で、絶賛思春期中のやけに顔の整った、治癒魔法の使い手だった。治癒魔法の使い手には体のどこかに魔法陣があり、それを患部に直接触れさせることで治療を行う。
ブラッドリーは両親にチェルシーの治療を頼まれるが、他人にはできないと拒否。
空気を読んで大丈夫だと伯爵夫妻に伝えるチェルシーを見て、まだ兄になったつもりはないと言いつつも、ブラッドリーはチェルシーの切れた口の端を治癒魔法で治してくれた。
ブラッドリーの魔法陣は舌にあった。
チェルシーは日々あらゆる事態を想定した訓練を護衛のレジナルドとしている。剣や体術、縄抜け等々、、、所以生傷が絶えない。
いつしかブラッドリーはチェルシーの怪我を日々確認しては治療を施すことが日課となっていた。
ブラッドリーへの呼び方も「御嫡男」→「お義兄様」となり、ブラッドリーのチェルシーへの呼び方も「お前」→「妹」→「チェルシー」と変わっていった。
ブラッドリーはなかなかの過保護で、そんな義兄にチェルシーもよく懐いた。
木登りをして頭から落ち、チェルシーの口の中がひどく切れてしまった時も、「お前が嫌じゃなければ、俺は構わない」と言って治癒を施した。
チェルシーはブラッドリーに治療される度に、ムズムズした気持ちになるが、その現象に名前をつけることができず、そっと心にしまい込むのだった。
優しい家族に囲まれ、健やかに育ち、チェルシーは14歳になった。
アニストン家の養女として正式な手続きをされてはいないが、チェルシーは男爵一家から家を取り戻す気はさらさら無くなっていた。
ディパーテッド家は呪われていたのだ。
王宮魔術師へ調査依頼をしたところ、誰が何のために呪っているのか調べることは不可能だったが、貴族名鑑の「ディパーテッド」の文字から強い呪いが検出された。
呪いを回避することはできないが、「ディパーテッド」という家名が呪われているので、家系図から消えて別の家名を名乗れば、逃れることができる。ディパーテッド家から勘当され、アニストン家を継いだ令息のように。
祖母の呪いについての調査資料も見つかった。それによると、祖母は呪いから逃れるために没落し取り潰しとなることを狙っていたようだった。見返りを求めない施設の設立も、わざと財産が傾くようにしていたことだった。
しかし呪いは非常に強力で、後少しで没落という時に必ず望みもしない援助が入り、何度爵位の返上を求めても、決して受理されることがなかった。
祖母の資料から、呪われているのは血ではなく家名であること、呪われていることは自ら気付き対処するしかないこと、そして自らの意思で家名を捨てることはできないということが読み取れた。
男爵一家は救世主のごとく現れ、チェルシーから呪いを引き取ったともいえる。
一家は現在行方不明。噂では、巨額の借金を抱え夫妻は奴隷として売られ、娘は修道院へ逃れるも、そこでも借金取りに追われ、裕福な男の愛人となり借金は返済したとか。
なので、チェルシーが奪い返す必要はなくなったのだ。
ある日、ブラッドリーが通う学園の友人が邸を訪ねてきた。
部屋に来るなと言われていたが、ブラッドリーに関してだけは絶妙に空気を読み間違うチェルシーは、来るよう言われたと読み間違い、部屋へ押し掛ける。
友人の一人公爵令嬢クリスは、孤児院で拳を交わし合った「大将」だったことが判明する。クリスは先代公爵の私生児だった。
再会を喜ぶチェルシーだが、大将からブラッドリーに溺愛されているとからかわれ、伯爵夫妻も二人を婚姻させるつもりのようだと聞かされ、驚く。
外出先から帰宅した伯爵夫妻に、ブラッドリーは「そんなにチェルシーを嫁に出したくないのか?俺という犠牲を払ってまで?」と悪態を吐く。それを聞いたチェルシーは、自分との結婚は、義兄にとって犠牲だと思えることなのかとショックを受け、胸を痛めていた。
更に時は過ぎて、チェルシー16歳。
入学式に向かう途中の学園内で、突然「見つけた!」と言うとチェルシーの前を塞ぎ、指を差してきた女性がいた。髪はボサボサ肌はボロボロで制服ではなく平民のワンピースを着ていた。
女はチェルシーから家名ごと奪った、かつての男爵令嬢リンダだった。
家名に掛けられた呪いについては、今後知らずに呪いを引き受けてしまう人が出ないよう、市井に噂を流しておいたので、リンダはどこかでその噂を聞いたのだろう。
リンダは学園の下級メイドとして雇われたそうだが、これまで借金や暴力などチェルシーのせいで酷い目にあったと言い掛かりをつけ、自分とブラッドリーの婚約者を代われと言ってきた。その瞬間、チェルシーの中で何かがプチリと切れた。
同行していた護衛のレジナルドから、式に遅れると声を掛けられはっとしたチェルシーは、「もう二度と奪わせない」と宣言しリンダを置いてその場を去る。
レジナルドから、婚約者を代われと言われた時の反応が空気を読んで冷静になれていなかったことを指摘されたチェルシーは、ようやくブラッドリーに惹かれていることを自覚したのだった。
チェルシーがブラッドリーへの想いを自覚してから、今までのように顔を見れないし治療も恥ずかしく感じるようになったのだが、「急に、年頃の女の子っぽくなったな、チェルシー」となぜか嬉しそうなブラッドリー。
嫌々自分と婚約させられたんだと思い込んでいるチェルシーに、ブラッドリーは「好きだよ」と伝えて、「俺を犠牲にして」発言は、思春期特有の親へのただの反発だったと話した。チェルシーは胸のつかえが取れたように、ブラッドリーの学園黒歴史をからかいながら楽しい時間を過ごした。
リンダは、チェルシーに無理矢理呪いを押し付けられ没落し家族を失った、この真実を広め、自分は下級メイドだから何もできないが、皆さんで学園や社交界から追い出して欲しいと涙ながらにあちこち言いふらしているらしい。
とはいえ、チェルシーがアニストン家に迎えられた経緯は隠していないので、結局、悪い噂を飛び交わしているのは新興の下級貴族達だけだった。
それでも身に危険が及ぶ可能性はあり、常に友人と行動するようにとブラッドリーから言われていた。
その後、寝不足もあって一度だけリンダが画策した落とし穴に落ちてしまったが、周りの助けもあり事なきを得ていた。
一方、諦めないリンダは、チェルシーへの報復の準備を整えていた。
そんな中、卒業生代表として王太子の婚約者となった大将が、学園で在校生へ向けた演説を行うことになった。王室近衛騎士団に配属されているブラッドリーも、大将の護衛として同行するという。
大将に歓迎の意を示すため、学園のメイド勢揃いで出迎えた。リンダは、この時ブラッドリーに一目惚れする。そして、チェルシーが婚約者であることに激しい嫉妬た憤りを感じた。
リンダは大将達の後を追い、立ち入り禁止である貴賓室に向かう廊下で声を掛ける。
あり得ない無礼行為だが、大将が聞く価値があるなら話してみろとリンダに言うと、リンダはチェルシーに虐められているだの、ブラッドリーの婚約者に相応しく無いだのと言い出した。
ブラッドリーの怒りは凄まじく、大将も首を落とすぞと暗に含ませると、顔を青くしてリンダはその場を逃げ出した。その後を、隠れて様子見していたチェルシーは友人と追う。
逃げ込んだ先は、学園の教員部屋だった。リンダは以前から体を使って教員を味方に着けており、チェルシーはこの教員によく言い掛かりをつけられていた。
リンダは教員に、チェルシーから美貌を嫉妬され殺されそうになったと嘯き、チェルシーをキズモノにするよう迫った。
その一部始終は、何かあった時のためにとチェルシーに渡されていた盗聴魔道具のスピーカー機能により、学園長室だけではなく、貴賓室や教室にも届けられた。そして、すぐに警備兵が突入し二人を拘束、学園長も来て即刻クビが言い渡された。
翌朝、王国警備団の怠慢だけではすまない出来事が起きる。
なぜか一夜で釈放されたリンダが、ナイフを持って登校してきたチェルシーに襲いかかってきたのだ。
突然の出来事に誰も反応ができない中、ブラッドリーがどこからか飛び出しチェルシーの前に立った。とっさに今度はチェルシーがブラッドリーを引き寄せ庇うと、チェルシーの脇腹に刺さった。
ようやく護衛が動いてリンダを斬り、ブラッドリーは泣きながらチェルシーを治療した。
リンダは斬られはしたが命は助かり、警備兵に連れていかれた。次は終身刑になるのではないかと、チェルシーは思った。
チェルシーの傷は深く、応急措置だけでは不十分なため、時間を置いて改めてブラッドリーが治療をすることになったが、リンダの逮捕でようやく平和な生活が戻ってくるのだった。
了