緘黙症はあなたの人格が悪いんじゃない。

症状なんです。


緘黙症を治すためにがんばっている方は、上手くいかない毎日のなかでも、自分を責めすぎないで下さい。

ご家族も、必要もない自責の念で重苦しい気持ちにならないでください。


悪い自分を治すのだと思うのではなく、

本当の自分を取り戻すんだ、と思ってください。


悪い部分を治す戦いというより、

本来の自分らしい自分を、緘黙症という症状から、取り戻すんだ と思ってください。


中にむかって自分をつつくのではなく、外にむかって窓を開く心楽しい気持ちでがんばってください。

目覚めたばかりの麻痺した心をだんだんとはっきり目覚めさせていくんです。

うまくいかなくても、まだ心が眠りから目覚めてないんだ、もう少し待てば目覚めて動けるようになるんだ、くらいに思って、 のんびり のんびり 希望を持ってがんばってください。

そうして いつしか夢かない話せるようになったら、

本当に自分の欠点が見えてきます。

それからまた 成長が始まるんです


でも 治らなくても 治っても 自分を見つけていくことは可能ですから、

ある方もツイッターで言われていましたが、

『幸せになること』を、『治すこと』よりも重大な目標として、

あとは 自分に失望せず、だれかにどう思われるとか、気にせずに 自分の幸せをひらいてください。

ツイッターもこのブログも、他のSNSも、私は急にやめました。


何だか急に、疲れた、と思いました。


私には受験生の子供がいて、仕事もあり、実は信仰活動もしていて、現実生活で自分を成長させ、もっと向上しなければ。。と いうより、現実生活で成長したい!と 思う気持ちがだんだん強くなりました。

もちろん、SNSで知り合った友人の皆様方とやり取りできなくなる寂しさはあります。だけど、現在の自分は、ネット生活と現実生活を両方やるのは無理、と判断しました。

てか ぶっちゃけ疲れた(笑)


ネットではいろいろ経験しました。仲良く爽やかなやり取りが出来た人もいた反面、明らかに私が嫌いらしいのに、何故か私とずっとつながり続け、私が何か書き込む度に、嫌味な反論めいた書き込みをする人もいました。私はその人にすごく嫌な思いをさせられました。

そんなに私が嫌いなら、友達(ツイッターのフォローみたいな関係)をやめてくれればいいのに、と思いました。

最初から人を決め付けて、まず敵意ありきで私の書き込みを読んでもらったって、こちらの真意は伝わらないと思います。私の書き込みを悪意で感情的に歪曲したような、不愉快さしか感じられませんでした。

私は、そういう人とは、自分から、ネット上の人間関係を断ち切りました。

一方で、仲がよい人とは楽しくやり取りをさせていただきました。
毎日、こんなご飯を食べたとか、こんな悩みと闘っているとか、今日は元気かな?どうしているかな?時にはすごい!と尊敬したり。すごく楽しかった。

なのに ある日突然、ネット上のいいことも悪いことも全部ひっくるめて、本当にSNSに疲れてしまった。

おそらく私の本心は、現実生活一本で人生を生きる道を自分にとって最適と選んだのでしょう。要は、ネットとリアル両方やりきれるほど器用な人間ではない、と自覚したのです。(笑)

嫌な人から逃げ出したのではない。仲良くなった人をどうでもいいと思ったわけでもない。それははっきり言っておきます。言わないと自分がすっきりしないので。自分の生活、人生を大切にしなければならないし、それができなければ、ネットをやる資格なんかない。

以上、しばらくブログを書かなくなる理由を改めて書いておいて 私は気が済むまで現実生活を生きることにします。
戻るか戻らないかはわかりません。緘黙症についても、現実生活で機会があれば周囲の人に話していこうと思います
私は 子供の時の緘黙症の影響なのか、強迫性障害の症状がありまして、

何年か前に、薬を飲んでいた時期がありました。


強迫性障害は強迫観念(考えたくないこと)を 強制的に頭が勝手に考えついてしまい、ひどく苦しいのです。

病院で診察を受け、パキシルという薬を処方されました。


薬を飲むのと同時に、私には「強迫性障害」という病名がついた安心感がありましたー
というのは、考えてはいけないことを考えてしまう自分は、人格がおかしいのでは?と 悩んでいたからです

病気だとわかって、かえってホッとしました。

安心プラス薬で 私の脳は 落ち着いたのでしょう、こんな感覚を体験しました。

頭の中に、イナズマのような強烈な緊張が走り、頭のてっぺんから足の先まで、かたく固まりました。何か頭が指令を体じゅうに出してました。本当にイナズマに打たれたように体じゅう、ぴんと動かなくなりました。

それは 私が考えたくもない嫌なことを、「考えろ」という、脳からの指令でした。強迫観念が起こるときはこうなんだと思いかえしました。病気だと知って治療を受けていられる、という安心感と、薬の直接の作用で、私は 強迫観念そのものを抜け殻にした、脳からのからっぽの強烈な指令だけを体感した形になりました。

こんな ものすごいイナズマのような勢いで脳から指令が出れば、考えたくないことだって考えてしまうのでしょう。

話変わって 子供時代の緘黙のときも、自分の意思ではなく、何か得体のしれない心の奥からの命令で、しゃべれなかった感覚があった記憶を持っています。

私のこの話が 変なほうに 受け取られませんように。