2022年 6月7日(火)


今日したこと


今日1日を振り返ってみましょう

:魔女修行同好会に初参加




今日のよかったこと


よかったことを思い出して1つ書いてみましょう

​魔女修行同好会…
名前に引かれて初参加。
そもそも魔女って何さってことだけど、
森に暮らし、変身自在、
つまり、中心部にいなくて、固定概念にとらわれない存在らしい。
それを目指して修行?するらしいのだが、
参加早々、画面の中に男性を見つけて、
なんで?と思う私がいた!😱

魔女の「女」に引っ張られて、もうここで固定概念に囚われていた自分を発見。

昨日の修行素材は3つ。
1.「修行」の危険性と、
その危険性を避けることで生まれる安全だけどブレイクスルーできない状況について
2.修行の実は、自力では得られないし、実を結ぶまで時間がかかるということ
3.先生の必要性と「先生、私はあなたから学びたいです。教えてください。」と素直に言えることについて

感想
1.ゴエンカ師の10日間のヴィパッサナー瞑想に行った時のことを思い出した。
日常と切り離されたところで、ひたすら瞑想すると、当然のことながらちょこちょこっと座っている時とは違う状況になる。言葉では上手く説明できないけれど、何か深いところから現れてくる何かに出会える。
たぶん「変容」が起きるのだろうが、その内容、深さは当然のことながら人それぞれだろう。
極々まれに心身に異常をきたしてしまう人もいるようだ。
そんなことを思い出した。
2.今、藤田一照さんの『現代坐禅講義』の読書会に出ているのだが、そこで、言われているのが、坐禅は習禅にあらずということ。
習禅とは、禅定、つまり心がふらふらせず集中している状態を作るために座ることらしい。
その時、私たちの意識は心に向かう。心が集中しているか否かに。
それに対して、坐禅はこころとからだが一つになっていることだと藤田一照さんは書いている。
そんな坐禅は、「得るところなく、悟るところなし」なのだそう。😱
幸福要素がたくさんあっても、なんだか満足できない私たち。本の中で一照さんは、「この世では最終的には物足りるということはあり得ない」と思って、物足りなさと一緒に座ることを勧めている。
そうする中で私たちの中に生まれてくるもの、それが来るまで待てること、それが二つ目の素材の話を聞いて思ったことだった。
3.これは耳が痛い話だった。私も直感的に「この人が私の先生だ」と思っている方がいるのに、
まだ、正式にお願いしていない。💦
素直になって飛び込みなさいってサインだったのかな、この素材は。
パラマンサ・ヨガナンダの師との劇的な出会いを思い出した。

初魔女修行は、来た道、進む道を見せてくれたように思う。
私は自分をすごく常識的で、ある種の固定概念にすごく囚われている人と思っているのだけど、
今朝、中高時代を思い出し、友だちと遊ぶのも好きだったけれど、一人でいろいろ変わったことに首を突っ込んでいたことを思い出した。
高校生なのに大人に混じってレザークラフトの教室に通ったり、
加藤和彦の音楽が大好きでファンクラブに入って、本人と話す機会をもらえたり、
彼の影響で笠井紀美子のアルバム買ったり、
なんていうヘアサロンだったっけかな、高校生のくせに須賀なんとかさんのヘアサロンで高いお金出して髪を切ってもらったり…
かなり変わっていたことを思い出した。

魔女修行、楽しんで続けます。




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