小さな遊覧船を船着場に付けたスティーブンは、ペットボトルの水をぐいと呷り緊張で乾いた口を湿らせた。
 海で生きてきてもう何年になるのだろうか。
 平生と変わらず穏やかな漁村の海。その水面を眺めながら、彼はふとそんなことを考えた。

 彼が若かった頃、ここはずいぶんと栄えた漁村だった。彼も師の船の乗組員として日々海に乗り出し、数多の魚を釣ってきた。

 しかしそんな現役時代はとうの昔のことで、今となっては役立たずの老害でしかない。若い者たちを見るにつけそんな風に自虐することも増えてきた気がする。

 船の手すりに上半身をまかせてため息をつく。静かな海面をきって、一隻の漁船が港をたつのが見えた。
 漁船が立てた波はスティーブンの船に伝わり、まるでその動きと同期するように彼の心を揺らす。

 彼には一つだけ心残りがあった。
 ある魚を、1匹のサメを捕らえられなかったことだ。

 師から独立して何年か経ったあの日、彼は村のサメ捕獲チームのリーダーを任された。
 いくつもの船を引き連れて海原を捜索するが獲物の気配すらしない。
 やがて船員の中にも諦める空気が漂い始める。

 そして船を港に向けようとした時だった。


 水面に映る巨大な影。海の一部分だけが黒く染まっているのをスティーブンはその目で見た。
 あれは間違いなくサメだった。大きさからしてホオジロザメだったかもしれない。
 巨大なサメ。万が一あいつがもう一度沖に姿を現すことがあれば、間違いなく犠牲者が出る。そうなればすべての責任は自分にのしかかる。当時サメ退治に抜擢され、漁師たちを率いる立場だったにも関わらず自分はサメを見逃したのだ。

 あれからサメが出たという話は聞かないが、と過去を回想するスティーブンは無意識のうちに唇をかみしめていた。

 そこへ遠くからにぎやかな声が近づいてきた。
 はっとして腕のアナログ時計を見る。時計の針は朝の9時をさしていた。
 30分後には現役の漁師を引退した自分がボートツアーのガイドをしている。そんな自分の姿を想像してスティーブンの頬は自然と引きつっていた。

 この年にして初めて経験するツアーガイド。ずっと漁師一本でやってきた自分が果たして上手くこなせるのだろうかという一抹の不安はある。
 しかし今更どうすることもできない。彼はそんな不安を水と共に飲み下した。


 定刻になった。あっという間に客は集まり6人掛けの長椅子が8つ取り付けられたボートは満員御礼になるようだった。記念すべき初めての乗客は性別も年齢も多様で、子供連れの親子や若いカップル、高齢の夫婦もいれば学生のグループも見受けられる。
 小型な船体には申し訳程度の雨しのぎとしてビニールの幕が張ってある。見るからにオンボロな旧型の船舶だが嫌な顔をする客は1人もいない。

 乗客が席に着くまでの間、スティーブンは船の動作の最終確認を行った。必要最低限の手入れはされているが、やはり旧式の船だ。動作には問題なくとも錆や汚れが目立っている。
 まるで自分の老ぼれ姿を写したようだな、とスティーブンは皮肉に思った。

 ひとまずギアと舵の電源を終えた。程なくして係員の手によってボート側面の安全バーがゆっくりと下ろされた頃には船着場の準備も整っていた。

「それでは本部から出航の許可をもらいます。こちらマーク6から本部へ、出航許可を願います」
≪こちら本部。マーク6の出航を許可します。お気を付けて≫

 無事に出航許可を得てスティーブンは船をゆっくりと動かした。スティーブンにとってはまだ慣れない船、慣れないガイド。一方でそんな自分のガイドを楽しみにしている乗客のにぎやかな声がすぐそばで聞こえる。
 スティーブンの船はそんな不安や期待を乗せて見慣れた港を後にした。



「皆さんこんにちは。ハーバーツアーへようこそ。私は今回皆さんのツアーガイドをさせていただくスティーブンです。どうかよろしく」
 緊張していたはずの最初の挨拶は思いのほか詰まることなく自然に行えた。各々港町ののどかな風景を楽しんでいた乗客たちはいったん会話を止め、温かい拍手をスティーブンに送る。

 船の進みも潮の状態も順調そのもので、最初こそ緊張していたスティーブンだったが、乗客たちの様子を落ち着いて眺めることができるくらいにまで緊張は解けていた。
 何もかも上手くいく。今日は最高の一日になりそうだと、スティーブンはまるで少年さながらにわくわくした気持ちを胸いっぱいに躍らせた。

「本日はみなさんと一緒に、近頃話題になっているこの港町を海の上から観光します。まずは……」
 これから行く灯台の説明をしようとしたところで、二列目に座る小さな男の子の目がボートの隅に釘付けになっていることに気が付いた。最初こそ不思議に思ったが、その視線の先を追って納得する。
 船には万が一に備えてライフルが一丁備え付けられてあるのだ。特に説明するつもりはなかったが、せっかくの機会だと思い、スティーブンは壁に取り付けてあるその銃を手に取った。

「ええと、このライフルは規則のため一応船に取り付けられているものです。ご心配なく」
 スティーブンはもう久しく使っていない自分の愛銃を両手で掲げてみせた。しかしライフルを目にした乗客の何人かの顔にはうっすら恐怖の色が浮かんで見える。
「大丈夫、サメなんて出ませんよ。この海には」
 務めて明るく冗談めかして言うと、ようやく乗客の顔にも明るい色が戻った。スティーブンは乗客の心の奥底にある不安に気づいていた。だからこうして保障の言葉を口にしたわけだが、スティーブンの内心は複雑だった。

 あれは嘘だ。今まで出なかったからと言って、これからもサメが出ないなんて保証はどこにもない。むしろヤツは今もこの海のどこかで息をひそめているはずだ。

 心の中の声がそうスティーブンに訴えかける。しかし自分はもう漁師ではない。のどかな漁村の海を案内するただのツアーガイドだ。
 だからなによりも乗客を安心させることが今すべき自分の仕事なんだ、とスティーブンは自分に言い聞かせてライフルを元の位置にしまった。
 
 しばらくして船は沖に出た。しかしさっきまで晴れていた空には一群の雲が浮かび、向こうの空はどんよりとした鉛色に染まっている。それでも波はまだ穏やかで、運航に支障はないだろうとスティーブンは判断を下した。

≪メーデー! メーデー! 緊急事態発生っ! こちらマーク3! 救援を頼むっ!!≫
 その直後だった。ノイズ交じりの無線をスティーブンの船、マーク6が受信した。
 あちらの船長は危機迫った様子でさらに叫び続ける。
≪何かがボートの下にっ! ……襲ってきたっ!≫
「おいどうしたっ! マーク3! マーク3! 応答しろっ!」
 スティーブンは乗客がいることも忘れてマイクに向かって叫ぶ。しかし無線はどうやら一方的に送られてきたもののようで、マーク3からの応答はない。


 直後、その返事のかわりに届いたのは若い男の断末魔の叫び声だった。


 ついさっきまでの団欒とした空気が嘘だったかのように、船中が静まり返る。
 しかし、積んできた経験のおかげか、いち早く冷静を取り戻したスティーブンは沈黙を破ってすぐさま本部へ無線を飛ばした。
「本部! 今の聞いたか!?」
≪こちらも受信した。君たちの船のすぐ近くからだ。航行中のマーク3からの遭難信号らしい≫
 本部からの返信はすぐに届いた。あちらも大慌てで対応を練っているところなのだろう、とスティーブンは無線の続きを静かに待つ。
≪その付近を捜索してくれ。こちらは警察のブローリー署長に連絡を取る≫

 本部から出された指示は付近の捜索。
 だがそんなことしている場合じゃない。船を襲ったのはあのサメなんじゃないのかという底知れぬ恐怖がスティーブンの全身の毛穴から嫌な汗となって噴き出してくる。

 本部の指示に反して船の向きを反転させるべきなのか、指示どおり捜索を兼ねて平常運航を続けるべきなのか。
 万が一ヤツに出くわしたらどうする。この船にはまともな装備もそろっていない。そもそも観光用の船なのだ。サメの襲撃に耐えられるような構造にもなっていない。
 かといって独断で行動すれば、逆に乗客の不安を掻き立てることになる。しかもまだ襲撃の犯人がサメだと決まったわけでもない。

 答えの出ないまま悩み続け、気づくと船は漁村のシンボル、村はずれの灯台の傍まで来ていた。
 ここが最初の観光スポットだ。
 しかし年季の感じられる灯台が堂々とそびえ立っているのは断崖のすぐそばで、とても船をつけられる地形ではない。

 とにかく乗客の混乱を鎮め、次の指示を落ち着いて待つように言うしかないのだ。
 しかしスティーブンがそう声を出すよりも早く、耳をつんざくような女性の叫び声が船内に響き渡る。


 直後、誰もが言葉を失った。

 船の左側、ともすれば手の届きそうな距離。
 海は真っ赤に染まり、無惨にも大破した観光船が沈没していた。


 襲われた船、マーク3の船体は何かに噛みつかれたかのように大きくえぐられている。
「マーク6から本部へ! マーク3が沈没している! 場所は……灯台のすぐ近くだっ!」
 乗客はパニックになり、立ち上がったりするせいで船が大きく揺れる。このままでは危ない。怪物に襲われるよりも先に船が転覆してしまいかねない。
「みなさん落ち着いて! 私がいますから落ち着いて指示を聞いてください」
 しかしスティーブンの声はもはや乗客には届かない。カップルは互いの肩を抱き合い、親子は子を守るようにぎゅっと身を寄せ合い、老夫婦
は互いに手を取り合ってまるで最後の時を待っているかのようにすら見える。

 そんな中、ひときわ大きな声で女性が叫んだ。
「さ、サメよっ!!!」

 彼女が向ける視線のさきで、不気味なまでに巨大な三角の背びれが海面を切って動いている。間違いない。サメだ。それも超巨大なホオジロザメ。
「本部っ、サメだ! サメが出たっ!」
≪マーク6! もう一度頼む!≫
 返信しようとスティーブンがマイクをとった瞬間、何かと船底とがこすれるような重低音と共に船体が大きく揺れた。乗客も立っていては危険と判断してか着席して身を寄せ合う。
「だからサメだっ! あいつボートの下に潜りやがった!!」
 ここは海。完全にサメのフィールドだ。今この船には乗客48人が乗っている。そのすべての運命が自分にかかっている。
 一体自分はどうするべきなのか、どうやってサメから皆の命を守ればいいのか。スティーブンの手は汗でびっしょりになっていた。

≪落ち着け、ライフルを使うんだ!≫

 言われてスティーブンは自分が激しく動揺していることに気が付いた。
 ライフル。この船に積まれた唯一の武器。自分が漁師の時代からずっと一緒に海で戦ってきたライフルが今この船に装備されている。

 前方にサメの背びれを確認し、大きく取り舵をきる。サメが進行方向の右側に並列すると、スティーブンはライフルを構えた。

 初弾、爆音とともに発射されたライフルの弾はサメの前方に大きく逸れて着水。大きな水しぶきがあたりに飛び散り、射撃の腕の鈍りを痛感させられてしまう。
 もう一発。しかし今度はサメの右側に着水。水しぶきが空虚に上がる。

 波もだんだん高くなってきて足場が悪い。ある程度は牽制になるといってもこのままライフル弾を浪費するわけにはいかない。
 どこか一時的に避難できる場所はないかとあたりを見回す。そして幸運にもボートの左斜め前方に白い木製のボートハウスを発見した。
 海面から小屋部分が突き出るように建てられた
その建物はスティーブンの古い知り合いのサメ漁師が使っていたところだった。

「ボートハウスに入りましょう。あそこなら安全です」
 藁にもすがる思いでスティーブンは船をボートハウスに近づけた。
「マーク6から本部へ。一時ボートハウスに避難します」


 ボートハウスの鍵が開いているという幸運も重なり、船は小屋の中で一時救援を待つことになった。
 木造の小屋の中はこのボートが2隻納まるくらいの空間しかなく、壁にはモリや網など漁業道具が整然と並んでいた。
 持ち主が数年前に事故で亡くなって以来ここは使われていないのだろうか、明かりは薄暗く、カビ臭さと燃料の匂いが混じってお世辞にもいい建物とは言えない。
 それでもサメの恐怖にさらされ続けるよりはマシと思い、皆じっと身を固くして助けが来るのを待つ。


 ドシンと、空間が揺れた。
 壁や屋根の木板がきしみ、天井につるされたランプが明滅する。

 再び、今度は確かな衝撃を持って小屋全体が大きく揺れた。棚に置かれた燃料タンクの中身がぶちまけられる。老朽化も災いしてか、いくつかの備品は今の衝撃でもろく崩れ落ちた。

 誰もが確信した。まだ、自分たちはあのサメに狙われているのだ。

 ボートハウスを破壊せんとするサメの体当たりはなおも続く。一撃一撃ごとに小屋の壁が大きくゆがみ、サメが中に侵入してくるのは時間の問題だと誰の目にも明らかだった。

 スティーブンは覚悟を決めた。ここにこのまま閉じこもり、ただサメに食われるのをじっと待つのは御免だ。それならば最後まで海の男として戦い抜きたい。
 スティーブンは船のライトで船内を照らして乗客の注目を集め、静かに、そして重々しく口を開いた。

「みなさん。よく聞いてください。先ほどは安全だと言いましたが、どうやらここももう駄目なようです」
 その言葉は誰もが恐れわななくのに十分なものだったが、彼の厳然とした態度は不思議と人々に安心感を与えた。
「そこで皆さんに提案があります。私はここにとどまって死を待つくらいなら、外に出てこの銃であのサメに立ち向かいたいのです」
 正直なところ、これが乗客を乗せた船の長として正しい提案だと、スティーブンは胸を張ることができなかった。こんなのはとっくにサメ漁師を引退したはずの自分のわがままだと、彼は気づいていた。

 ライフル一丁でホオジロザメに立ち向かう。バカな話だ。勝てる確証がない。
 しかし、このボートハウスにとどまっていれば確実に全員サメの餌食になる。それならば一か八かヤツとの勝負に賭けたい。そう思ってしまうのはやはりスティーブンが未だ漁師としての誇りを失っていないからなのだ。


 サメの攻撃も一時的に止み、沈黙が船を支配する。


「俺は、あんたに任せるぜスティーブン船長」
 後ろから2番目の席、中年の男がぼそりと言った。
「私たちも……。そうよねぇ、お前さん?」
「ああ、わしらもスティーブンさんを信じますわい」
 老夫婦は静かにうなずいてそう口にした。
「私たちの命も、この子の命も、船長に預けます」
 赤ん坊を連れた家族の父親が迷うことなくそう言った。
 次々に同じような声が上がる。気づけばボートハウスの中ではスティーブンの名を呼ぶシュプレヒコールが起こっていた。マーク6の乗客誰もがスティーブンの決意に賛同していた。

「みなさん、ありがとう。では船を出します」
 スティーブンは再びレバーに手をかけ、それをゆっくり前方に押したおした。


「いや、おかしい……」
 いくらレバーを動かしても船のギアが入らない。主電源を切って入れ直してみても変化がない。エンジントラブルだ。

 再び小屋全体が大きく揺れる。今までよりも大きな衝撃が船にも伝わった。
「こいつめっ! 動けッ! 動けぇッ!!」
 必死に何度レバーを押し倒しても船はピクリとも反応しない。まずい、このまま船が動かなければ、サメとの勝負どころではない。

 せっかく皆が自分を信じてくれたというのに。命を預けてくれたというのに。それらを一切合切裏切れというのだろうか。神はなぜそんなにも惨い試練を与えるというのか。スティーブンは真っ暗な天に向かって嘆く。

 古ぼけてあまつさえ故障するマーク6はまるで自分そのもののようだった。身体は若い頃のように自由に動かず、肝心な時には歳のせいにして動きだすのをためらってしまう。

 しかし本当の自分はそんなもんじゃない。本当はまだ漁師としてやっていけると信じたい。
 ここで前進できずに何が漁師だ。何が男だ。自分もこの船もまだやれるはずだ。

「ちくしょう! 動けこのポンコツゥゥウ!!」

 怒りと悔しさとが入り混じった思いを腕に込め、めいっぱいの力でレバーを押し倒すと、それに応えるかのようにマーク6は息を吹き返した。

 
船が急発進するとほぼ同時に、今までで一番大きな衝撃が走り、引きちぎられた電気ケーブルが火花を散らす。直後水面から巨大なサメの口が飛び出してきた。
ギラリと並んだ巨大な牙は幾重にも重なりそのほとんどが赤く染まっていた。

 危機一髪で船はボートハウスを抜け出した。乗客は誰一人欠けることがなかったが、期待していた太陽の光は空を
覆う分厚い雲で遮られてしまっていた。一方で小屋から出て電波状態が良くなったのだろうか、一本の無線が入る。

≪マーク6。こちらブローリー署長。あと10分でそちらに到着する≫
 ブローリー署長の船にはサメとも十分やりあえるだけの装備がある。署長が到着するまで持ちこたえられれば、きっと生きて帰ることができるだろう。
 しかし1分ですら長すぎるこの状況で10分間もサメから逃げ続けることが果たして可能なのか。10分もあれば皆サメの餌になってしまう。

 いや、違うじゃないかとスティーブンは思い直す。自分と乗客の命はすでにこのライフルに託してあるのだ。
「皆さん、ここでヤツを仕留めます」
 スティーブンは船をその場に止め、ライフルを構えてホオジロザメの出現を待つ。

「左ですっ!」
 いち早く学生が波の立つ海面に映るサメの影を目でとらえた。
 スティーブンは簡潔な動作で左側を振り返り、今にも船を食らおうとするサメに向かって引き金を引いた。

 しかし、被弾したのはサメではなかった。
 轟音がしたかと思うと、後方にあった燃料タンクが爆発し灼熱の炎を吹き上がらせていた。無慈悲にもスティーブンの放った弾は目標をはずれ、巨大な燃料タンクに命中したのだ。

 不幸中の幸いか、サメはタンクが放つ熱と轟音に驚いてこの場を離れたらしい。移動するなら今しかないとスティーブンは素早く判断を下す。

「次の爆発が来る前に一か八かあの炎を突っ切ります。皆さんつかまっていてください」
 再発進した船が向かう前方では海面上にばらまかれた燃料が炎を上げている。
 しかし沖まで遠回りしている時間的猶予はもう残されていない。いよいよ風も強くなり波も高くなってきた。
 スティーブンは先にある隣町の船着き場をまっすぐに目指して船を進めた。


 スティーブンが全速力でマーク6を操ると、炎は船に燃え移ることなく無事に通り抜けることに成功した。やがて前方にぽつんと小さな船着き場が見えてきた。

「あの船着き場で降りましょう。陸に上がればもう安全です」
 その言葉に乗客からも安堵の声が漏れる。

 だが何事も少しの油断が命取りになる。
 たとえば船の左手に見える高圧電流ケーブル。過ってこれに触れたりするとまず間違いなく感電死してしまう。

 船着き場もあと数百メートルの場所にせまったというとき、しかし魔の手が再びマーク6に忍び寄る。
 おどろおどろしい特徴的な背びれ。ここにきてまたあのサメが襲ってきたのだ。

「ちくしょうまた来やがった!」
 船着き場はすぐそこだ。このまま全速力で突っ切るべきか、それともここで立ち向かうべきか。再び決断を迫られたスティーブンは、考えながらも船の動きを止めずサメとの距離を目測する。

 船と並列するように追ってくるサメとはまだいくらか距離がある。しかしこのまま全速力で進み続けても先に追いつかれるだろう。
 たどり着くべき港は前方、襲ってくるサメは船の左。そして、サメと船に挟まれるように位置する高圧電流ケーブル。

 すべての位置関係が頭の中で像を結んだとき、スティーブンにあるひらめきが起こった。

「そうか! 私にいい考えがあります。みなさん見ていて下さい」
 スティーブンは船着き場を目前にして船をとめた。乗客は船長を見守るようにして誰もが静かに席で待つ。スティーブンはライフルを構え、じっと左手に狙いを絞った。

 勝負の瞬間はすぐにやってきた。
 海中から姿を現した巨大なホオジロザメの禍々しい牙が船体をとらえる、その直前でサメの動きが大きく鈍る。
 不気味な歯が並んだその口には太い電流ケーブルがひっかかり、激しく火花が散っていた。

「この距離で外すわけにはいかんからなっ!」
 スティーブンのライフルが火を噴き、過たずサメに命中する。
 食いちぎられたケーブルから火花が猛烈に飛び散り、サメが狂ったように暴れ回る。しかしサメの闘争本能はいまだ燃え尽きず、それでも船に向かおうと大きく口を開いていた。
「もう一発どうだっ!」
 再びうち放たれたライフル弾が確実にサメの体をえぐる。
 ついに弱りはてたホオジロザメはそのままゆっくり海中へと沈んでいった。

「やったか……」
 ようやく肩の荷が下りた気がしたスティーブンはライフルを戻し、再び舵をとる。
 しかし、その直後だった。最後の力を振り絞るかのように黒焦げのサメがマーク6を道連れにせんとばかりに向かってくる。

 だが、スティーブンの昔の勘と腕はすっかり戻っていた。
 彼は滑らかな動作でライフルを再び構え、振り向きざまに引き金を引く。
 そして見事、飛び出した銃弾は一直線に顔面を打ち抜き、サメは海の底へと沈んでいった。


《こちらブローリー署長だ。全員無事かっ!?》

 今の銃声が聞こえたのか、無線の先の人物はひどく慌てた声音だ。
 マイクを手に取るまえにスティーブンは客席をもう一度見回す。そして全乗客48人の顔を確認し、こう言ったのだった。


「こちらマーク6。全員無事だっ!!」



 ついに乗客は1人もかけることなく再び晴れた青空の下、再び地面に足を下ろすことができた。
 サメの一件はやがて村の伝説となり、スティーブンは今日も名物船長としてツアーガイドを元気に務めている。