大阪発・気まぐれダイアリー -37ページ目

久しぶりのくせして長いぜ

長かったような短かったような


よくわからない夏が過ぎ


子どもらも新学期。


東京の妹家族も始業式前日というギリギリで


帰っていかはりました。


今日から9月。


新しいスタートですな。



2週間ほど前かな?


母の夢を見たん。


生きて動いてて。


私と妹が 「生きてる!」ってビックリして。


で、妹が母に 


「 (生きてるのに) それでも 行くん?」


って聞いたん。


そしたら母


「それでも 行くよ」 って。



穏やかな顔で答えてたから


あぁ本当に逝ってしまったんだなぁ・・・と


とても悲しい反面、


生きてるけどっていうのは、


やっぱり心はいつまでも生きてるっていうことよね、


と 勝手解釈したりして。




5年前に 今の医学では治療できない病気が判明したのだけど


(若ければ治療法もあるし、治る確率だって高い)


その時点で 3年生存率50% 5年生存率20%だったので


この2月でまる5年が過ぎて上位20%に残れたのは


本当に母も頑張ったし、良かったよ。


その間にも 2回も一緒にハワイ行けたしね。



この半年は 治療も含めて殆ど入院してたんだけど


私も行けるかぎり毎日病院に通ったし


東京の妹も ほんとに頻繁に帰ってきてたわ。


6月なんかは毎週新幹線で来てくれてた。


カナダの姉は これまた遠いくせして 半年で


4回も帰ってきて、つきっきりで看病してたわ。



でさ、近い病院、なんぼでもあるのに


この病気のオーソリティーっていうんですか?第一人者みたいな


詳しい先生がいるっていうんで、家から高速道路使って


50分くらいの病院にかかってね。


しかも、病院食が美味しくなくて食べられへん→痩せる→


体力落ちる→・・・


幸い食事制限がなかったから 全食事 運んだわよ。


キッチン付きの部屋だったから、最後は小さ~い炊飯器も


持ち込んで(笑) どんなワガママやねんなーー。



そこで私も一緒にお母さんとお昼ごはんを食べて。


サラダとかほうれんそうのおひたしとか。


高級なしゃぶしゃぶ用の牛肉をフライパンでサっと焼いて


わさび醤油で食べたり。豆ご飯もよく食べてたな~。


隣の駅に美味しいパン屋さんを見つけてからは


毎日のように買いに行って。



日ごとに食が細くなるから、ちょっとでも食べられるもの


喜んでくれるのをずっと探してたな~。




お昼ごはんを食べた後は、一緒にテレビ見たり


あれこれ話したりして、母も私もお昼寝して。


ずっと特別室だったから 応接セットまであったりして


ワタシ用のお昼寝毛布を持ち込んだり。



で、ある時、 たぶん6月入ってたんじゃないかな?


いつものようにお昼寝から目覚めたワタシ


突然 思いついて 母に言ったん。



「もし、今、お父さんもお母さんもどっちも死んでも


わたし後悔せぇへんわ」って。


病人目の前にして なにを言うー!やろ(苦笑)



もちろん お父さんを足したのは 母への配慮で


ホントは お母さんが死んでもって意味だったんだけど。


そしたら



「そうよ、だれも後悔なんかせんでええよ」


って言ってたわ。



その言葉通りではないけれど、


亡くなる前は悲しかったけど、亡くなってしまった後は


ちゃんと看取れた安堵もあったりで とっても穏やかでしたわ。



私ね、4人キョーダイなん。



姉、カワイイ第1子。しかも母方の初孫。


兄、長男降臨~~キラキラ~~。


私。


妹、かわいいかわいい末っ子。



自分で言うのもなんだけど、ワタシってさ、小さい頃から


ちゃんとしてたし、親に迷惑も問題もかけたことないのね。


お母さんは妹のもの、みたいな感じ?


それ以前に、母には 父のこと、姑のこと、会社のことがあって


そのあとに私たち子どもやったから、その中でも順位は


下の方やし・・、距離を感じてたのね。


いわゆる ワンオブゼム的な距離。




結婚して 縁あって(笑)実家の前に住んで


子どもも一緒に育ててもらって、一緒に洋裁やお習字の


お稽古に行ったりして。


旅行も一緒に行って、買い物もよく行って。



ヨソの人から「仲良し親子やね~」と言われても


心のどっかで 


「いやいや、私より大事な人いるから・・」みたいな


ひねくれた部分があったんよね。 


というか、遠慮っていうか。


こういう感覚って中間子でないとわからんやろなぁー(苦笑)



でもね。


亡くなる前の夜 ほとんど喋られない状態のときに


私の名前を呼んでくれて、ほとんど動かせない手で


小さな子供にするみたいに私の頭を撫でてくれて


髪を触ってくれて・・・。



お母さんは 私のことも ちゃんと愛してくれてたんやーー



って その時すごく感じることができてね。



おおげさかもしれないけど、ワタシの中で 欠けてた部分が


ちゃんと満ちたような。


ちがうか。


最初からあったけど、気付かなかった部分を発見したんかな。




命あるもの 全て終わりがあるやん。


たとえ今日 うまれたばっかりの命だって


その寿命がつきる日がいつかはくるわけで。



わたしだって、あなただって。



母が亡くなったのは 私にとっては最悪のことだけど


だれにでもくる終わりを、母は最高の終わり方を


したんじゃないかなぁ~と思う。羨ましいくらいに。



2週間ほど前に 母の夢を見たあと


2回もまた母の夢を見た。



2回とも、めっちゃ笑ってめっちゃ楽しそうで


めっちゃ元気そうやったわ。



あれが 本当の今の姿なんやろな~と思う。



淋しいけど、こればっかりは仕方ないしね。


母の発病以来、5年間、ずっと怖かった。


母が死んだ後のことなんて 考えるだけで怖くて


想像もできなかった。


その現在に今いるのよね。



「生きてる人は笑うのよ」


って母がよく言ってたわ。



そう、私は生きてる。


父も姉も妹も兄も、こどもたちも。



みんなで笑って 楽しく過ごして


いつか私が死んだときに、1番にお母さんに会って


あれから こんな楽しいことがイッパイあってなぁ~って


たくさん笑って話したいな。


あー、もうちょっと長生きしてたら良かったのにって


母を悔しがらせるくらい 楽しく生きよう。



あと、父のことは死ぬまで元気でいさせてあげて下さい。



私は強そうに見えるかもだけど、ほんとにアカンタレで


ヘタレやから、キョーダイ、特に姉妹がいてくれて


ほんとうに良かった。



感謝。



この怒涛のような2か月ちょい。


ほんと、ブログネタやろーーってこと、多かったよ。


また 書けたら書くわ。


ではでは。







準備

大阪発・気まぐれダイアリー-2011030316110000.jpg



ひとりムスメのために…

抹茶クリームあんパン

大阪発・気まぐれダイアリー-2011030314030000.jpg



さすが京都は宇治どすえ~