C'est la vie❤

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フランスと映画と女性向け啓発本(年100冊近く読んでしまう…)をこよな~く愛する31歳のdiary**

              読んでくださり、ありがとうございますきらきら

                  $C'est la vie❤27 ans

                恋愛や仕事など、気付いたことを

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今年も半ばなのに手帳が欲しくなり、色々迷った結果、無印の自分で日にちを書き込む手帳を購入富士山

 

自分で日にちを書き込んでみると、「今年ってもうあとこれしかないんだ…」とあらためて感じたり、「一日一日を大事にしないとな~」と感じたり。こんな気持ちになるなんて思いもしませんでした。

 

その他にも、「今月もう3本も映画観てるんだなー」とか、「そういえば生理来てないな…」とか、そんな自分のことにもあらためて気づいたり。

 

最近、ずっと習ってきたフランス語を続けるか悩んでいます。というか、フランス語の勉強をやめるなんて考えられないけど、今の学校で良いのかなって。語学を続けるモチベーションって、学習者にとって一番の課題なのかもしれない。

 

純粋に、「フランス語やるのって楽しい!」と思う気持ちがどこかに行ってしまって。授業についていくのが必至だったり、一緒に勉強している人たちの前で発表するのが苦痛だったり、復習するにもどう進めたら自分の実になるかが分からなくなってしまったり。


復習に身が入らないから楽しくないのか、教室が楽しくないから復習に身が入らないのかが分からない。ニワトリ卵状態というか。(笑)

 

フランスは大好きなのに、フランス語も大好きなはずなのに、教室に行くたびに、自分には語学は向いてないんじゃないかって感じて落ち込んでしまうことが多くなっています。


周りの人たちは、たくさん質問をしたりコミュニケーションを取ったりと良い波に乗れてる感じがあって、授業も良い流れを作ってくれていて。きっと教室の合間の1週間でたくさん復習して努力してるんだろうなとか、あるいは元々語学に向いてるんだろうなとか考えてしまったりくもり

 

そういうのを目の前にすると、「よし、自分も頑張る!」というよりも萎縮してしまって、多分いいクラスなのに自分はなんでこうなんだろ…と、クラスが終わった後は少し気持ちが重くなっている自分がいて。

 

楽しくて、フランスが知りたくてやってきたはずなのに、最近の自分はなんか恋愛とか仕事とか、他の色んな孤独から逃げるためにフランス語にしがみついているみたいな感じ。本心はきっと、そうなんだと思う。純粋に知りたいと思ってた頃は、少しぐらい出来なくても楽しかったのに。

 

何をやるにも、土台っていうのは必要なんだなって思う。土台を作るにはもちろん、それ相応の時間も。土台作りっていうのは、どんなに好きな世界でもつらいのかもしれません。だけど努力しないで、時間をかけないで良い結果が出せるものなんてきっとその程度のもの。

 

あとはやっぱり目標を作ることは必要。それを成し遂げたときにどんな自分になれるのか、とか、それを使って自分の生活はどう変化するのか、とか、そういうことを考えたときにわくわくできる、そんな単純なことでいいんだろうなって。

 

私は、いつかフランスのようなヨーロッパ各国の文化が集まっている場所で、絵画や彫刻などの芸術作品を、日本語を通さずにフランス語で解説を受けたり読んだりして、芸術家の心に触れてみたいです。


そういうものを同じように学んでいる人たちの姿にも触れてみたいし、何よりあんな風に美術館を無料で開放したり、家の近くの教会に足を運べばすぐクラシックのリサイタルが聴ける環境があったり、いつも芸術が暮らしのそばにある国っていうのはとても素敵だと思う。

 

日本にいても、エルミタージュだったりルーブルだったり、プラドだったり、そういう海外の作品が観られる環境っていうのは幸せだとは思います。だから来日した時はすこしでもお金を落としたいと思うし、日本にいながらにしてそんなすごい作品が来たか!!という気持ちでいつも美術館に足を運んでいます。

 

最近、そういう、人が生み出した作品とお金に関する価値観が少し変わってきました。昔は、いかに安く、またはタダで本を立ち読みできるか、いかに安く芸術作品を見られるかばかり考えていて、「美術館て高いんだよなー」なんて実際思っていました。

 

だけど、海外を旅するようになって色んな美術館へ足を運んできたこともあり、30を過ぎた頃からはそういう芸術作品を日本に運んできてくれた団体だったり、また自分の価値観を変えてくれるような書籍の作者の方たちを、応援するためにもチケットや書籍を買わなければ、と考えるようになってきたんですよね。

 

やっぱり日本は欧米からは遠いので作品を運んでくるにはそれ相応の費用が発生するし、欧米のようには芸術作品を無料で開放できるような土壌がない。だから投資しないと良い作品が摂取できない環境になってしまうなと思うし、それは怖いことだなと思います。

 

なんだか、そうやって運ばれてきた作品をただ眺めるだけではなくて、それをたとえばヨーロッパの言語ではどう解説されてるんだろう、とか、学芸員はどうとらえているんだろう、とかっていうのは何となく現地の言葉で取り入れるとまた違う気がするんですよね。

 

やっぱり、言葉を習うことで美術史や文学史の世界にも足を踏み入れることができるし、そういう人生を自分は歩みたいんだろうなって、何となく思います。

 

たとえばそのために留学したい、とかがまた新たに設定できたらもっと言葉を頑張るモチベーションになるのだろうけど。

 

自分で糸口を見つけないと、そのために行動し続けないとチャンスはつかめないものなので、頑張らなければ、もう今年も半分過ぎちゃったのに自分は何も結局見つけられていないし掴んでいない、フランス語も…このまま今の仕事で年を重ねて後悔しないのかな~なんて、考えちゃうんですよね。

 

語学を習得するのも、資格を取るのにも、そして人との関係を作るのにも時間は必要なのになぁ。何となく、それが怖いのです。自分なりに毎日やっているはずなんだけど、いつまでこんなにつらいんだろって。


自分のこのもやが、いつなくなるのかが分かりません。毎日悩みながら進んでます。

 

夢中になれてないから、こういうことを考えちゃうのかなって思います。自分を不安にさせる存在のことを考え続けるのは必要なこと?自分が笑顔になるために、本当に必要?だって時間は限られてるのに。それなら自分が笑顔でいられるような環境を整えたほうがいいのに。

 

それに自分の好きな勉強ができるなんて、そんな自由がもらえていること自体がすごく幸せなことなのに。

 

また心から「やっぱり私にはフランス語だ!」と思えるようになりたいです。

働く環境、変えた方がいいのかなぁと思います。

隣の席には騒音おばさんみたいなお局がいるし、自分が会社に対してどんな利益をもたらせているのかもよく分からない。上司からのフィードバックも期待できないし…

ここで何年もこのままの状態で過ごしたとしたら、ちょっと、いやかなりまずいのではないかと改めて思い始めた。

最近も、仲良しだった同僚や先輩が辞めていなくなっていってしまうことも分かって。

そんな毎日の中で恋愛がうまくいってたらまたそっちを進められるんだろうけど、全然、変化が訪れそうもない。

こういう時にこそ連絡のひとつでももらえたら元気になれるのに、そんな幸せすらも自分には訪れないんだなーとか思ってしまう。

何か色んなことを結びつけて、自分がどんどん魅力がなくなっていくみたいに感じてしまうから、もっと違うことで自分を満たした方がいいんだろうなと。

必要とされてる実感がない、というのが全部の原因なんだというのは分かっています。いつでも替えのきく仕事と、中途半端な趣味と、私を必要としてくれない彼。

もっと、もっと人生を掛けてやってみたい!というような大きな目標がないと私はやっぱりだめみたいです。
世の中には人の数だけ答えもあります。だからそういうものをもとに自分なりの答えを見つけたら、その通りにいつかできればいいなぁとか、そうできるように頑張ってみようかなーとかじゃなくて、もうそうすると「決める」。

決めるって、結構大事なことかもしれない。

最近、男の人っていうのは仕事が忙しかったり余裕がないと精神的に一人になりたがる傾向がある、というようなことをブログや本で見ました。

男の人には仕事のスイッチやら恋愛のスイッチ、趣味のスイッチ…といくつもスイッチがあって、

基本的にはひとつのことしかできないので、1回1回スイッチを切り替えながら過ごすのだそうで。

女の人は多分、電話しながらネイルを塗りつつのテレビもチラ見、みたいな事ができてしまう。だから男と女は多分ほんとに違う生き物。

そこで、じゃあそんな男と女がうまくやっていくにはどうしたらいいかっていうことについて、男性ブロガー・著者の方の大半は「男が忙しそうな時は放っておき、恋愛スイッチが入った時に合わせて関係を再開させましょう」というような答えを出していました。

恋愛していない時はあんなに「もう恋愛で振り回される自分には戻れない」なんて思っていたのに、

気を抜くと恋愛モードの自分になってしまうんだよなって情けなくなるけど、これが恋愛するってことなんだから仕方ないのかな。

それにしても、私、何か腑に落ちなかったんです。男性心理を知っても。

忙しい男性が恋愛モードになれるまではこちらも彼のことを忘れて過ごしながらも待つって意外としんどいし、その間に相手は自分のことを忘れてしまったりすることは本当にないのかな?とか。

忙しい時疲れてる時に相手から放っておかれたら、この女冷たいって感じたりしないかな?とか。

そういう時こそ尽くすことで関係が良くなっていくのでは?とか。

まぁ何を言っても女と男は違うんだし、理解するのは難しいから腑に落ちないのは当たり前かーって自分を納得させようとし。笑

だけど、たまたま本屋で広中裕介さんという方の本を読んで、何だか気持ちがラクになりました。

既読スルーなどの連絡がどうというよりも、「相手の男ではなくて自分に尽くせばいいんだよ」「男性は尽くされても愛情を感じないんだよ」というようなことを言ってくれている本でした。

大事なこと忘れてた、って何となく思ったんです。

相手のためではなくて、自分のために「大丈夫?」って連絡してしまっていなかったかな、私。

心から相手に喜んでほしいって本当に思ってるのかな、私。

私の彼に対する気持ちってどんなものなのかな、って。

今まで腑に落ちなかったのは多分、「それじゃあ男性の状況によって自分の幸せも左右されちゃうのでは」って感じていたからだと思います。

男性側が恋愛お休みモードの時は自分もオフモードに…って、延々その先が見えないゴールのために待ち続けるしかないなんて、恋愛ってやっぱ基本しんどいんじゃんって。

でも本来、自分のことを他人に委ねるなんて間違ってること。誰だって一人で生きていて、自分の力で幸せになる責任があるんだから。

そう考えたら、私は多分、例えば相手の誕生日ですら、純粋にお祝いしてあげたいっていう愛情というよりも、自分を満たすために利用しようとしていたんじゃないかって、思うようになりました。

連絡がもらえないことが寂しくて、そんな状況になってしまう自分にも嫌気がさしてはいたけど、でも今のこんな気持ちのままで相手に向き合うのはとても失礼なことだと思ったんです。

男の人はそういうもの。それを知るのも必要だとは思うけど、相手だけによって左右される恋愛なんて、別にその相手が私じゃなくてもいいってこと。

でも相手が私がいいと言ってくれるのなら、その個性を大事にするのが相手への愛情にもつながるのかもしれない。

だとしたら私は相手に尽くしてる場合じゃなくて、相手が好きになってくれた自分がもっと魅力的になれるように、自分に尽くすこと。

相手がどう思うか、こんなことしたら嫌われないかな、こんな言葉なら及第点だろう…なんて相手のことばかり考えていて、相手のためにも「なんかいいよね」って言われる自分でいようと思える余裕が私にもなかったんだなって。

もしかしたら、実は相手以上に私の方が余裕がなかったのかもしれないと思ったのです。

普通に考えて、自分が相手に対して何も思うように行動できていないのに相手から尽くされ続けたら、きっと罪悪感も大きくなるだろうし居心地は悪いはず。

相手に尽くさなきゃ嫌われるっていうのは幻想で、むしろ自分に尽くし続けることこそが必要だし難しいことなのだと思います。

相手に自分を委ねるのは、すごくラクなことです。相手に全部を決めてもらって、何か起きたら全部相手のせいにできる。

でも自分が毎日気持ちよくいられるようにするのは自分の責任だし、それを人任せにするようなことはやっぱりしないようにしなきゃと思う。

もう相手の状況や気持ちを色々考えるのは一旦やめるとちゃんと「決めて」、やっぱりまずは私自身の気持ちだなと思います。

無理に好きで居続ける必要も、相手に合わせる必要もない。自分がそう望むのならそうすればいい。

どんな風に変わることも許されている。未来は決まっていないし、どんな出来事も自分次第でいいことになる。そう思うと少し心が軽くなります。
おとといの夜から、なんとなーくまた電池切れみたいになって元気が出なくて。

生理前もそうなんだけど、生理が終わるタイミング位でこういう気持ちになることが結構多い私。だからホルモンバランスなんだろうなー、っていう結論にしちゃってるけど、

こういう時はほんと毎回結構つらい…。

もう徹底的に、自分はきっと誰にも愛されてないし、これからもきっと愛されないんだ、みたいな寂しさに打ちのめされて、苦しくなって、ひたすら自分の未来に対して絶望するような、そんな感じ。

夜中に目が覚めてしまって眠れないから、会社行くのも体がしんどくて、久しぶりにこういう波来ちゃったな~と思ってたんだけど。

結局、年度末ですごく忙しくて仕事が休めなくて、いつもの作業の合間に別のプロジェクトのミーティング出て、周りの人たちと話して、夜は少人数の送別会でこれからのこと話して…と流れでやっているうちに、

結構気持ちがスッキリしていました。笑

前までは、こういう気持ちの時は一人になって自分に徹底的に向き合って、気持ちが晴れるのをひたすら待つっていう過ごし方しかできなかったけど、

敢えて向き合わないっていうのもありだなと最近になって分かってきました。

気持ちが落ち込んでほんとにもう寝てるしかないみたいな時は無理したくないけど、

敢えて自分にムチ打って立ち上がってみて、全然関係ないことをしてみるっていうのもありなんだなって。乗り越え方はひとつじゃないんですね。

本当に、重い腰を上げるか上げないか、それだけで違うんだなって。ひとつ片付かないと次のことが考えられないっていう生き方をしてると、すごくしんどいし回復に時間がかかる。

悩みなんて、他人の気持ちだったり景気だったりと自分ではどうしようもできないことに対するものが大半で、だめなときは何してもだめだし、

自分がどんなに考えてもどうしようもないことを、折り合いをつけられるように徹底的に向き合って答え探ししていても、

同じように時間が過ぎていってしまいます。

悩みはあるけど「とりあえず置いておいて」、目の前のすべきことを淡々とやる。その後は自分が喜ぶことをする。

そういう、「とりあえず置いておいて」ができるようになるって結構大切なのかもしれない。100%を求めないようになることは退化だと思っていたけど、むしろ成熟なのだとしたら、

そんな考え方も自分の一部として使いこなしていきたいと思う。
身近にいる人のことを、私はどこまで理解できてるんだろう?って思うことがあります。

知っているようでいて、見えない所では誰もが色んなことに悩みながら生きています。

この人こんなに周りのことを考えてる人だったの?とか、こんなに自分と同じような悩みを持っていたなんて、とか、出会ってかなり経ってから気付いたりすることもあります。

見えてないこともたくさんあるけど、みんな同じ人間なんだなって。人の数だけ人生があって、心があって、悩みもあって。みんな悩みながらそれでもそれなりに毎日生きてるんだなって思うと、なんだか自分も頑張れる気がします。

その人はどんな気持ちでそれを選んだのか、とか、こう言ってるけど本当は結構それが好きなんじゃないのかな、とか、諦めてるようなこと言ってるけど実は超頑張ってるんじゃないの、とか、

身近な人のそういうことを、私はどこまで理解できてる?本当に理解できてる?って。

自分のことだけじゃ、なにも生まれない。

相手のいろんなことに対する“背景”を想像するって余裕がないとできないことだし、自分の事情もある中で忍耐も必要だったりするけど、

そういうの忘れたら味気ない人生になっちゃうなと思ったりします。

してもらったことや、掛けてもらった言葉についても、それに恐縮して「返さなきゃ」「お礼しなきゃ」と思うより、

「返してあげたい」「今度は私が理解してあげたい」っていう気持ちで生きていけたら素敵。

辛いとき、悩んでるとき、悲しいときは沈んだり暗い顔しているのは楽です。そういう時ももちろん必要だし。だけどその代わり、状況は何も変わらない。

そういう時に少しだけ、誰か周りの人が喜ぶことをしてみると、仏頂面してるよりあったかい気持ちになれるんだなってこととか、「なんだ意外と大丈夫じゃん自分」って思えるんだということを、最近感じています。

前は、「自分が辛いときに人が喜ぶことなんて、できるわけないじゃん」と思っていました。

でも、それって、辛いときにもいい人で居続けるみたいな無理な頑張りではなくて、自分のためにもそうするといいよ、ってことなんですよね。

辛かったり淋しかったりする時って、結局は多分、孤独ってことが大半の原因な気がする。それも自分で選んだ孤独ではなくて、状況としてそうなってしまっている時。

そういう時に、周りにありがとうって言われたりすると、自分が復活できる気がするのです。そこにいていいよって言われてる感覚というか。

返さなきゃ!ってガチガチになるんじゃなくて、そんな自然な連鎖を作っていけたら、何があったとしても立っていられるんじゃないのか?と思います。

辛いことが続いて、私いつ幸せになれるんだろ、って漠然と不安になった時は、

何でもいいから何かいいことをしてみたり、誰かに目を向けてみたり、人が喜ぶことをするのは結構本当にありだと思う。

例えば、もうどうでもいいや!となって暴飲暴食したり、人を押しのけて進んだり、意地悪したり、そんなことも人間だからしちゃうときもあるけど、

そんなことするよりも即効で気持ち切り替えられるいい方法だと我ながら思います。

「苦労は買ってでもしろっていうけど、辛いことが多い方が年齢重ねてから絶対深みのある人間になれる」

こんなことを今日話してたんだけど、それなら辛いことがある時は、できる限り自分の考え方を変えられるように色々試してみたいです。

やってもいないのに「これは無理でしょ」って決めつけるより、「これはやってみたけど私には合わなかった」って言えることが多い人間になりたい。

考え方変えるのは大変なことです。自分のプライド、欲、甘え、そういうものを抑えるのは本当に大変なこと。

でも、それが必要な状況に自分が置かれたってことは、変わるチャンスなんだと思います。そんなチャンスがずっと巡ってこなかったり、変わらなくて済んでしまう人だって中にはきっといますからね。

それだけあなたはまだ奥行きがありますよ、まだ伸びますよってことなんだと思います。

人はやっぱり一人で生きてるわけじゃないから。人からしか学べないこともあるし、相手の状況に思いを馳せるっていうことを自然とできたらいいなと感じます。