支える人々(15)南三陸町の開業医・笹原政美さん


笹原政美さん



◎仮設診療所で内科診療続ける/使命感持てる力注ぐ

 ―東日本大震災2日後の3月13日から、南三陸町の志津川小体育館で診察を始めた。

 

 「開業していた病院で診療中に地震が来た。高台に避難したものの、津波の勢いが強く、水が迫ってきたため、山伝いに小学校まで避難した」

 「小学校には、町中心部のお年寄りが避難していて、公立志津川病院の看護師や町の保健師と診察に当たった。自宅を流され、しばらくは体育館に寝泊まりしながらの診察だった。薬などがない状況をボランティアや警察に訴えたところ、登米市の薬局から運んできてくれた」

 ―イスラエルの医療チームが残した施設や医療器具を使って今月18日から公立志津川病院としての診療が始まった。

<カルテ全て失う>

 「もう1人の内科医と共に、1日約100人を診ている。医療態勢は向上したものの、カルテは全て失われ、患者さんも処方箋や診察券が流された。複数の医療機関にかかっていた人もいるが、まとめて診ざるを得ない。一人一人から既往症を聞き取り、カルテに落としていくゼロからのスタートだった。時間がかかり、いまだに手探りの診察が続いている」

 「町にかかりつけの医師がいる安心感は大きい。町外に避難した人も通院している。仮設でも、志津川病院の存在が町民の支えになっている」

 ―震災から1カ月半がたち、町民を診察した印象はどうか。

<集団生活で憔悴>

 「皆、憔悴(しょうすい)している。慣れない避難所での集団生活や、自宅に身を寄せている親戚の世話をしなければならない責任感などで、疲労やストレスがたまっている。診察では話の聞き役になることも重要だ。今まで十分に頑張ってきたのだから、全てを背負わないで、とアドバイスしている」

 ―医師として、南三陸町にとどまる理由は。

<町民への恩返し>

 「1999年に志津川病院から米山町国民健康保険病院(現登米市立よねやま診療所)に移ったが、その後も多くの町民が診てほしいと通ってきた。町は高齢化が進み、登米市まで来るのは一苦労な人も多かった。30代から50代を志津川で過ごし、医師として、人間として、町と町民に育ててもらったと思っている。恩返しの思いもあり、2005年に志津川に戻って『ささはら総合診療科』を開業した」

 「震災後も町にとどまるのは、恩返しの面もあるが、やはり、医師としてやらなければならない、そこから抜け出すのは許されないという使命感が一番大きい。今後も自分がやれること、持てる力を全力で注ぎ込んでいきたい」(聞き手は渡辺龍)

<ささはら・まさみ>北海道北檜山町(現せたな町)出身。札幌医科大卒。1979年、公立志津川病院勤務。89年から99年まで副院長。2005年に「ささはら総合診療科」開業

20110427日水曜日

東日本大震災 「患者受け皿足りない」自治医大OB報告

毎日新聞 418()114分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110418-00000004-maip-soci

避難生活の長期化に伴い東日本大震災の被災地では、一時的な応援だけでなく、長期的に被災者を診る医療スタッフが求められている。全国の地域医療を支える自治医科大(栃木県下野市)の同窓会は、OB医師を約2週間ずつ交代で半年間派遣し続ける「6カ月プロジェクト」に取り組む。自治体などからの要請を待つのではなく、現地に入り医師不足の地域を調べて重点配置するなど「自立型」の支援が特徴だ。【泉谷由梨子】

自治医大を卒業した医師は、それぞれの出身地でへき地・地域医療に携わることが義務付けられ、被災地でも多数の卒業生が働いている。震災直後、同大の同窓会(会員約3400人)は「東日本大震災支援プロジェクト対策本部」=本部長・尾身茂教授(公衆衛生学)=を設置。卒業生を対象に、被災地での医療ボランティアを呼び掛けたところ、全国から100人以上が名乗りを上げた。震災4日後の3月15日から、医師を7人ずつ約2週間交代で送り込み、既に計30人に達した。

 コーディネーター役の医師が「先遣隊」として被災地入りし、医療状況を独自に情報収集。医師が足りない地域へ重点的に医師を送り込む手法で、被災者や現場の医療関係者をサポートしている。機動性を重視しており、被災地での拠点地域も刻々と変化する。震災から1カ月が過ぎた4月中旬の現時点では、岩手県釜石市、宮城県登米(とめ)市・南三陸町の3カ所で、病院・診療所での診察や避難所の巡回などに当たっている。

        ◆   ◆

 「環境の良い2次避難所へ、被災者を移動させることも重要な任務ではないか」。今月9日、同大であった報告会。南三陸町や登米市で診察に当たった小橋孝介医師(30)=千葉県鴨川市立国保病院=はノロウイルスなどの感染症によって、避難所の環境悪化が拡大している点を指摘。「病院の復興計画など、医療も含めた被災地の復興ビジョンを話し合い、通常の保険診療に移行する方法を考える必要がある」と述べた。

 さらに、精神的なケアの課題も指摘。家族を失うなど精神的なダメージを負った被災者が避難所にはあふれているが、長期的に診療に当たる精神科医師はいない。「お互いに(被災者同士で)支え合うピアカウンセリングの方法などを、自治会長らまとめ役の人たちにレクチャーするのが良いのでは」と提言した。

 報告会では、北海道や沖縄から被災地に派遣された医師ら7人が被災地の医療態勢の現状を報告した。それによると現地では今、比較的被害の少なかった内陸部の病院へ、沿岸部から転院の受け入れ依頼が殺到している。大規模避難所から2次避難したり、救急病院で急性期を脱した患者が急増したためだ。しかし、内陸部で後方支援に当たる病院も満床状態で、受け入れができない状況だという。

 また、寝たきりや認知症などの療養患者は、入所していた福祉施設や自宅が被災し、帰る場所を失っている。香川県綾川町国保陶病院の柴崎嘉医師(41)は「患者を避難所に帰すわけにはいかず、病院はパンク状態。後方病院に加え、受け皿となる病院や福祉施設など生活の場が必要だ」と強調した。

 被災地で活動した医師のこうした体験や教訓は、交代で後に続く医師に伝えられ、支援の質向上に役立てられる。対策本部長の尾身教授は「卒業生は皆、医療の谷間を照らすDNAを持っている。地域医療への強い熱意を持った卒業生たちが被災地のニーズにどう応えるのか。その思いを示したい」と話す。

 【ことば】自治医科大

 1972年開学の私立大学。へき地・地域医療の担い手養成を目的に、各都道府県が出資し設立された。受験者の出身都道府県ごとに定員枠を設けて入試を行うなど独自システムで運営されている。全寮制。卒業後は通常9年間、出身都道府県の公立病院を中心に、地域医療に従事することが義務付けられている。

東日本大震災:多機能携帯端末で感染症対策 岩手で開始

毎日新聞 2011427日 230

http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110427k0000m040168000c.html?inb=yt

 東日本大震災の被災地で、スマートフォン(多機能携帯端末)を使ってインフルエンザなど感染症の蔓延(まんえん)を防ぐ取り組みを岩手県が始めた。沿岸部の避難所から毎日寄せられる症状別の患者数を内陸の中核医療機関で収集、流行の早期発見や封じ込めにつなげる狙い。ファクスやパソコンと比べ通信回線の制約が少なく、既にインフルエンザの早期収束に成功したケースも出ている。

 密閉された空間で多くの人が暮らす避難所は、感染症が発生しやすく、被災者の間で集団発生が懸念される。従来は、医療機関や学校を通じパソコンなどを使って感染症情報を集約していた。しかし、多数の医療機関が被災し、学校も避難所になるなど、把握が困難な状況に陥った。

 県は4月に入り、携帯電話会社の協力を得て、タブレット型と呼ばれる新書判ほどの大きさの端末50台を、200人以上が暮らす避難所を中心に無償で配布。加来浩器・防衛医大准教授が開発したシステムを利用し、インターネットで情報収集を始めた。避難所で治療に当たる医師や保健師が1日1回、避難者数とせきや下痢、発疹などの症状(8項目)がある患者の人数を入力。集約した情報は、関係者間で共有し、動向を監視している。

 岩手医大感染症対策室の桜井滋准教授によると、4月初め、避難所となっている同県山田町の高校で、体温が38度以上ある患者が急増。保健所や避難所の医師らと連携して患者の隔離や濃厚接触者へのインフルエンザ治療薬投与などを支援、感染の拡大を防いだ。

 桜井准教授は「このシステムを利用すれば、離れた場所からでもほぼリアルタイムに全体の動向や避難所ごとの状況を確認でき、早期に必要な支援が可能。さらに多くの避難所に協力を求めていきたい」としている。【林由紀子、清藤天】