私の母は、自分のことだけを考えて生きてきたような人だった。実際、霊能者にもズバリと指摘されていたからね。そして本人も、それを認めていたし。でも、1つだけ感心した言葉がある。それは、今でも忘れないし、悔しい気持ちを癒してくれる魔法の言葉。こと、それに関しては、大変ありがたいと感謝しています。
それは、何かと言うと。例えばお財布落としたり、あげたお金を返してもらえなかったり。そういうことってよくあるけど、そんな時、母は私によくこう言いました。仏様にお賽銭をあげたと思えばいいのよ。確かに、だまし取られたり、紛失したと思ったら、悔しくなって、やり切れない気持ちになるけど、仏様にお賽銭と思えば、気持ちが楽になった。いいこと言うな。素直に感心しました。
だから、先日のブログで、お金を貸した人のことを書いたけど。きっとお金は返ってこないけど、でも、お賽銭と思えば、あまり気にならなくなる。この魔法の言葉は、本当にありがたい。損したとか、負けたとか、騙されたとか、そんなふうに思わなくて済むから。私は、何度も母が残したこの言葉に救われています。
で、母が亡くなった時、私は一滴の涙もこぼしませんでした。ただ一言、眠るように横たわる彼女に、私はお疲れ様と言いました。ベッドの横の小さな冷蔵庫には、亡くなる、前日に口にしたと言う飲みかけの三ツ矢サイダーがあったけど、私は絶対に三ツ矢サイダーだけは飲まないと心に誓った。
母の葬儀の時も、私は涙を流しませんでした。父は、私に、和子はつよいなと言ったけど、強かったのかな? お通夜の日、お寿司を食べていたら、私は気絶して床に倒れてしまった。親戚はみんな驚いたけど、もしかしたら私が1番悲しんでいたのかもしれない。足が少し良くなって歩けるようになったら、二度と行かないと思ってたお墓参りに行こうと思ってます。一緒にいてくれる友達がいるので。
追伸。
父も母も亡くなって、双子の姉も自殺してしまったから、私には家族がいません。誰ひとり、最期の言葉を残した人はいなかったし、父に至っては、閉鎖病棟に入院中、後見人からその死を知らされました。神様はいるのか? と問いかけたこともあった。仏壇はおろか遺影も残ってないしね。記憶の中の家族は、笑っていて欲しいけど、ボヤけてしまって分からない。幸せだったのか? 普段は思い出さないようにしてるけど、時々、不意に思い出して、何故か涙があふれます。私は強そうで、弱いのかもしれません。泣き虫です。
人生ってどこか切ないね。歳を重ねると、みんなそれなりに苦労しているから、悲しみを隠して笑っているように思います。