理解されないということは、
人を孤独に追いやる。
誤解されるということは、
人を悲しいほどに傷つける。
そもそも、相手を完全に理解する
ということは、
到底不可能なことなのだ。
いくら言葉を尽くしても。
所詮、人は生まれながらにして
孤独だと言うことを
認めて生きていったほうが
楽かもしれない。
どんなに言葉を尽くしても、
理解されないとき、
どんなに心を込めても、
思いが届かなかったとき、
涙を浮かべて立ちすくむその人は、
一体、どうすればいいのだろう?
言い返せるなら、まだしも、
そのような言葉を持ち合わせてない人は
なおさら、絶望感に
打ちひしがれてしまうだろう。
人と人との関わりに疲れたとき、
人は、動物や自然に
心の安らぎを求めてしまう。
決して自分を裏切らない、
人間以外の何かに、
心の安寧を求めるのかもしれない。
天才ピアニストのフジ子・へミングは
いまだにタバコを吸っているらしい。
猫たちをいっぱい飼っている傍で
ピアノを弾きながら、タバコを吸う。
なんとなく、なぜ彼女がそうしているのか
理解できるような気もしてきた。
何かに逃げてしまわないと、
気持ちの整理が
つかないのかもしれない。
やるせないような、もどかしいような
やり場のない気持ち。
それを紛らわすのは、煙に巻くのは、
文字通り、煙が立ち昇る、
タバコなのかもしれない。
人の行動を批判するのは簡単だけど、
なぜそれをするのか?
と言うことに思いを馳せるとき、
人と人とは本当に分かり合えるし、
無償の愛を持って
支え合えるのかもしれない。
許し合えるのかもしれない。
果てしない悲しみや苦しみに
寄り添えるのかもしれない。