「誰かのせいにしないと耐えられない苦しみってあるんだよ」。これは、映画「風に立つライオン」で、企画・主演の大沢たかおが言った言葉です。さだまさしの楽曲から生まれた小説を三池祟史監督が映画化しました。確かに、あまりにもつらい経験、思いは、誰かのせいにしないと乗り越えられない時がありますね。でも、これって時間が経つと、誰かのせいにしても仕方ないことに気付くような気がします。
私はたぶん、姉が病気にならなかったら、ずっと大好きなコピーライターの仕事をしていたと思います。自殺しようなんて思わなかっただろうし、こんな苦労はしなかったはず。でも、姉のこと、私はちっとも恨んでなんかいません。私と同じように足のムズムズがあり、それに耐えられず自ら死を選んだ姉。辛かったと思います。苦しかったと思います。痛かったよね。
私もいま、ジストニアで苦しみ、痛みでのたうちまわり、おそらく彼女よりつらいかも。でも、この離脱症状と戦う勇気や根性を持てるのは、彼女がいたからこそ。彼女の弔い合戦だと思っているのです。亡くなった姉の仇打ち! 私が打ち勝ってやろうと思っています。そして姉の分まで生きてやろう、楽しんでやろうと誓っています。
私は、精神疾患などの病気にかかった人たちを、無意識に差別する社会を憂えています。もっと共存する社会にならないのか? 私にできることはないか? 最近、いろいろと考えてしまいます。神様のせいなのかな。誰が悪いの? なんで、こんなにつらい思いをしなきゃいけない人がいるの? 誰か私がわかるように説明してください。