大学病院の緩和科の先生からの紹介状を持って、2か所のホスピスをひとりで尋ねました。

どちらもソーシャルワーカーによる面談後、病院内を案内していただきました。

 

緩和科の先生から、通常2~3か月待ちと聞いていたのですが、実際に話を聞いてみると、タイミングとか運とかで、割と早く入院できる場合もあるし、本当に何とも言えない感じなのだと思いました。

2か所とも次に医師との面談を受けて、入院の話が進むようなのですが、1か所からは、医師との面談を省いて、1週間後位には入院できるのではないかという返答を頂きました。

夫の病状、考え、私が在宅での看護の不安から緊急性を感じてくれ、対応してくれたのかと思います。

 

どちらの病院内もゆったりとしていて、看護師さんの数が多く感じたので、聞いてみると、床面積、病棟数、看護師数に規定があるというお話でした。

あと緩和科の先生から、半分は室料無料の部屋でなければ認可がおりないという話を聞きました。

 

治療方針ですが、緩和ですから、延命治療はしないというのは一緒ですが、1か所は、「点滴等のよる栄養補給はしない」とうことが文書で示されており、もう1か所は、「点滴による必要最低限の栄養補給をする場合がある」と文書で示されていました。

在宅ケアの医師は、「身体が栄養を必要としていない」「栄養補給をするとかえってがん細胞を活性化させてしまい、身体にも負担をかける」という考えでした。

これは、大学病院の緩和科の先生も同じでした。

 

在宅で治療を受けている時、食べ物はもとより水分も口から入るものだけだったので、二人がかりで上半身を起こしささえ、水や薬を飲ませていました。

意識が朦朧としてきて、家族だけでは薬を飲ませてあげられなくなり、入院できる病院を探してもらったわけです。

 

入院した病院では、必要最低限の栄養、水分、利尿剤が点滴にはいり、主人はみるみる顔色が元気になり、意識もはっきりとしてきました。

入院してから、娘は自分で書いた手紙を枕もとで読んで、夫と握手したり、駆けつけてくれた義母さんや妹さん、友達と話ができ、最後は手をふって別れ、親友には電話で話すこともできました。

亡くなる9~10時間前のことです。

 

酸素量を最大にし、睡眠導入剤を飲んでも眠れず、右に左に身体を動かす度、マスクが外れ、家族の誰かが直し、血液中の酸素量を確認する状態が続いていました。

夫は意識がはっきりする度、点滴を見ながら、「まだ生きていたのか。こいつのせいか」と繰り返すようになりました。

主治医を読んで、相談の上、点滴だけ外してもらいました。

それから、6~7時間後、夫は旅立ちました。

 

何を伝えたかったというと

積極的な治療が無くなった後の緩和治療での栄養補給について、二通りの考えがあって、どっちも良し悪しがあるのではないかということです。

患者、家族に寄り添って治療してくれる医師がいてくれることが理想なのではないかと感じました。

 

 

 


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