三木句会ゆかりの仲間たちの会:聖木翔人著『70歳からの俳句と鑑賞』より
その10
衝撃の映画ひろしま蝉しぐれ 山崎哲男
映画の俳句で、すぐ尾も追い出すのが古沢太穂の「ロシア映画見てきて
冬のにんじん太し」。題名を入れた句は「春はやてシネマ『雨情』のはね
し街」(角川源義)などがあります。この句の映画は「ひろしま」。ごく
簡単に説明すれば、これは原爆投下から八年後の一九五三年に制作され、
ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞(一九五五年)月丘夢路、岡田英次、
山田五十鈴らの俳優陣と八万人を超える被爆者、市民、中・高校生らの
エキストラを動員した空前の規模と、なによりも被曝直後のあまりにも
なまなましい「原爆の実態」を世界に訴えたものでした。しかし政治的な
圧力、映画会社の配給停止などで殆ど上映されることなく眠っていて、
まさに「幻の映画」として「抹殺」される寸前、ようやくデジタル化され、
八月十七日深夜にNHKで放映されたのです。いろいろな批評がありますが、
一言で言えば「この映画を観た人は誰もけっして「核抑止力論」を口にする
ことができない」ということです。
作者の衝撃は、原爆のほんとうのリアルな実態を、「ひろしま」をみて
初めて知ったこと。もう一つの衝撃は、日本人の自分が、この国に起こった
大惨劇の真実を、あの日から七四年間知らなかった!といううたがいなき
事実です。
蝉しぐれは、「あなたはこの国の、ごく最近までの歴史の真実のなにを
どのように、どこまで本当に知っているのか」という強い問いかけに聞こ
えたのです。俳句には、後世に語り継ぐべき記録としての使命もまた含ま
れます。
これもそのような一句です。
仰向けに死にゆく蝉やなにを見る 関本朗子
マンションでも八月末から九月にかけてしばしば蝉が廊下や家の中に
飛び込んできて仰向けになりピクリともしません。死んだのかなと羽を
もつとぱたぱた動く。一週間ばかりを死に物狂いで鳴き続けてきて疲労
困憊し、声も出せず人間とおなじように仰向けになって目を空へ向け、
短い生涯を振り返ってもいるのか。しばらくして触ると、また動く。
蝉流の臨終の儀式、最後の祈りであるのかもしれません。
やがてすっかり静かになればそっともちあげ、近くの花の蔓などに足
をかけさせると、生きている姿勢で何日もしがみついています。墓所は
高いところが安心のようです。
そしてみるたびに自分のことを考えないわけにはいきません。自分なら
最期に何を見て、何を考え、何を話すのか。ともかくあんなにはなばなし
かった蝉の、声も出さず苦しまぬ死に際のよさには敬服するのです。そして
死とは過程だとつくづく思います。自分にとってもけっしてそんなに「遠い
先」のことではないだけに、身につまされながら考えていたものでした。
さりげなくしみじみとした印象に残る一句です。
兄の墓笑の一文字吾亦紅 金子うさぎ
これは九月の「浜風句会」の一句です。
近郊の墓苑では、天然石の形を活かし、その真ん中に一文字を刻んだ
墓碑に出会います。その文字は例えば心、祈、偲、和、想であったり
します。しかしここでは、「笑(わらい)」。殆どみかけない一字だと
思うと、この兄が決して天寿を全うして亡くなったのではないように、
思われてきます。そして、だとすれば、個人の遺志でもあるだろうこの
一文字から、苦難の時にこそ笑えと言ってきた兄、妹よ、悲しい時苦し
い時、泣かず嘆かず、笑顔でいろ。お前が笑顔なら相手も笑顔を返す。
そこからまた力をもらって、つよく生きろと、ことあるごとに自分を励ま
してくれ、無念のうちに亡くなった兄の声が聞こえてくるようです。墓前
に供えた吾亦紅が笑い、歌うように風に揺れています。
と、ごく自然に読めますが、兄の、墓碑に刻んだ「笑」の一文字の重さ
をうけとめるには「吾亦紅」が別の言葉の掛詞としても読めないか。ワレ
モコウを「我も乞う」=「わたしもまたそう生きたい、お兄ちゃん、いつ
までもわたしに力をくださいね」=と読むならばどうでしょう。「兄の墓
笑の一文字 我も乞う」。
こう読んだ時、「兄の墓」と向き合う作者の想い、この兄妹の格別に
強い絆がしのばれ、それと呼応する、作者の気持ちにふさわしい、語りか
けるような吾亦紅の花の姿がよりあざやかに見えてくるのではないか。
これもこの句のひとつの読み方でありましょう。
死を詠んで情に流されぬ、端然として格調のある一句です。
photo: y. asuka
遺構こわす見えないものは壊せない 聖木翔人
<聖木翔人著『70歳からの俳句と鑑賞』からの抜粋記事連載は
今回が最終回です。ブログへの掲載を快諾していただいた翔人さん
にこころより感謝申し上げます。(飛鳥遊子)>
