もうすぐ誕生日だ。
私の。

6月26日。


昨年の今頃は、
本当に辛かった。

これ以上苦しい日々を過ごす事なんて
もうないと思う。


主治医からは、

もう間も無くだ

と言われていたけど、

諦められなかったから
奇跡が起こる事を念じていた。

真剣に蘇生する可能性を信じていた。




7/1に旅立つことになる姉は、

既に意識が朦朧としていたため、

その日が6月26日である事を
認識出来てはいなかった。


生まれてからずっーと
私以上に私の誕生日を楽しみにし、

そして必ず祝ってくれた姉からの

〝おめでとう〟

を聞くことのない、

生まれて初めての6月26日だった。




姉は1月生まれで私が6月。

お互い誕生日にはプレゼントを渡していた。


金額や内容は
その時のお互いの経済事情により
上がったり下がったりしたけど、
だいたい同じ位のモノをチョイスした。



『半年後にはどーせ返すんだから、
プレゼント無しにしても一緒じゃん?』

と、

ある年、合理的な提案をしてみたが、


『そーゆーもんじゃない!』

と、即却下された。



私が転勤になり離れた地方で
暮らしていた年も
花とシャンパンを持って

サプライズ!

と、

突然アパートに来た事もあった。


姉はセレモニーが大好きだった。
ちゃんと祝いたい人だった。



昨年の6月26日。
38回目のおめでとうを聞けなかった。

私の誕生を祝福してもらえる
特別な日は、


だから、


37回で終わった。



姉からの
〝おめでとう〟を
聞けなかった昨年から、

6月26日は、
ただ生まれて何年が経過したというだけの、
単なるポイント、
つまりただの 点 となった。


それ以上に、誕生日は、
一年前の今頃に抱いていた感覚を
フラッシュバックさせるトリガーとなって
今は苦しい。

泣く事が少なくなった今でも、
最後の6月の日々を思い出すのはやっぱり辛い。

何回か過ごせば
きっとこれもまた慣れていくのだろうけど。




あれから間も無く一年。

姉の大腸癌発覚からの日々を綴る
このブログから、
私はしばらく離れていました。


姉がいなくなった事実と
なるべく距離を置きたくなっていたのです。


心配してメッセージを下さった皆様、
ありがとうございます。


時が経ち、
少しずつ気持ちが変化してしてきました、


ただただ悲しくて常に泣いていた悲痛期
そのあと絶望からの虚無期、
そして悔しくて怒りが止らなかった悲憤期を経て
怒る自分が馬鹿馬鹿しくなった逃避期、

そんな日々を過ごした一年でした。




姉と私の461日は最後まで綴ります。

まだ5日目迄しか書けてないけど、、、。

また間が空いてしまう事態に
なるかも知れませんが、
姉と私の461日の記録、再開します。




放置していたのに、
毎日訪ねて下さる方が
結構な数いらした事に驚きました。

ありがとうございますクローバー
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