「『日めくり万葉集』を読む」第108回(令和4年5月20日)
「万葉の植物② ー孤語の万葉植物歌ー」
【草本類】
先週小野寛名誉館長の18年に渡る学習講座「大伴家持とともに」が最終講義を迎え、令和から受講し始めたにわか万葉ファンとして改めてまだまだ先の長さを実感した次第だけど、考えてみればこうした勉強に時間の長い短いは関係なく、きっと関心が途切れない限り永遠に続いていくものなのだろうと思う。
昨日は坂本館長の「『日めくり万葉集』を読む」の108回目。テーマは万葉の植物の2回目で数多い歌の中で一度しか歌われていない植物の話だった。
万葉集は数え方にもよるらしいが、全二十巻約4,500首のうち植物が歌われているものが三分の一の約1,500首、多く歌われた順ではハギ141首、ウメ118首、マツ79首、タチバナ68首、サクラ50首と続いているらしい。
今日の講義は上記のものとは違い、孤語の万葉植物歌。つまり一度しか歌われていない植物がテーマだ。坂本館長は草本類30、木本類20を取り上げ解説していただいた。
※お断り
このブログはあくまで個人的な備忘録として、高岡市万葉歴史館館長・坂本信幸氏が学習講座のために用意された資料を書き写させていただいたものであります。
【草本類】
1.あきのか(マツタケ)
芳を詠む
高松の この峰も狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香の良さ(10・2233)
(高松山のこの峰も狭いほどに笠を立てて満ち溢れている秋の香りの良いことよ)
2.あざさ(アサザ)
うちひさつ 三宅の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の児故(こゆゑ)そ 通はすも我子(あご) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 抑へ刺す うらぐはし児 それそ我が妻(13・3295)
((うちひさつ)三宅の原を通って、裸足で歩いて足を痛めながら、夏草に腰をとられて難渋しながら、どのような人の娘ゆえにお通いなのか、我が子よ。なるほどなるほど、母上は知らないでしょう。なるほどなるほど、父上は知らないでしょう。(蜷の腸)真っ黒い髪に木綿の緒であさざを結んで垂らし、大和の黄楊の小櫛を押え挿しているかわいい娘、それが私の妻です)
反歌
父母に 知らせぬ児故 三宅道(みやけぢ)の 夏野の草を なづみ来るかも(13・3296)
(父母に知らせていない娘ゆえに、三宅道の夏野の草を難渋しながら来たことよ)
右の二首
※ミツガシワ科アサザ属の多年草の浅沙(あさざ)とされている。本州や九州の池や沼などに自生する浮葉性植物で、地下茎をのばして生長する。スイレンに似た切れ込みのある浮葉をつけ、若葉は食用にされることもある。夏から秋にかけて、葉の間から伸びた茎の先に小さな黄色い花を咲かせる。花蓴菜(はなじゅんさい)とも呼ばれる。絶滅危惧植物として、茨城県の霞ヶ浦や兵庫県の天満大池、福島県の猪苗代湖などで保全活動が行われている。
3.あしつき(アシツキノリ)
礪波郡(となみのこほり)の雄神川(をかみがは)の辺にして作る歌一首
雄神川 紅(くれなゐ)にほふ 娘子(をとめ)らし 葦付(あしつき)取ると 瀬に立たすらし(17・4021)
(雄神川が紅色に輝いている。乙女らが葦付(水松の類)を採ると、瀬に立っているらしい)
※ネンジュモ属に属する藍藻の一種で、清洌な流れの川や湧水地の石などに付着している。古くから食用とされたが、近年は減少し、地域によっては天然記念物や準絶滅危惧種に指定されている。
4.あふひ(フユアオイ)
作主の未だ詳(つばひ)らかならぬ歌一首
梨棗 黍(きみ)に粟(逢は)継ぎ 延ふ葛の 後にも逢はむと 葵(逢ふ日)花咲く(16・3834)
(梨に棗、黍(君)に粟(逢)と続いて、(延ふ葛の)後に逢おうと葵(あふひ 逢う日)の花が咲く)
※冬葵はアオイ科の一〜ニ年草。中国原産で、日本には食用、薬用として古くから利用されていたが、現在ではあまり利用されてはいない。
5.あをな(カブラ)
長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首(うち一首)
行縢(むかばき)・蔓菁(あをな)・食薦(すごも)・屋梁(やのうつはり)を詠む歌
食薦敷き 蔓菁煮持ち来(こ) 梁(うつはり)に 行縢掛けて 休むこの君(16・3825)
(食薦を敷いて青菜を煮てもって来い。梁にむかばきを懸けて休むこの君のもとに)
※『和名抄』には、〈園菜類〉の部に「蔓菁」と
「蔓菁根」が見え、和名は前者が「阿乎奈」(あおな)、後者が「加布良」(かぶら)となっている。
6.いちし(ヒガンバナ? 羊蹄(ぎしぎし)?)
道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻(こひづま)は〈或本の歌に曰く「いちしろく 人知りにけり 継ぎてし思へば」〉(11・2480) 路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀づま(女ヘンに麗)
(道ばたのいちしの花のようにいちしろく-はっきりと、世間の人皆が知ってしまった、私の恋妻のことは)
※「いちしの花」は諸説あり未詳。鎌倉時代の仙覚の『万葉集註釈』には「イチコノハナナリ」とし、順徳天皇の歌論書『八雲御抄』には「羊蹄」とする。江戸時代には、北村季吟の『拾穂抄』が羊蹄説を支持、契沖の『万葉代匠記』ではクサイチゴ説を支持している。近代に入り植物学者白井光太郎が雑誌『心の華』(十九の三、大正14・3)でイヅサ、イッチャという別名をもつエゴノキ説を唱え、『新考』が支持したが道の辺の花であるという点で雑木林に多く見られるエゴノキ説は難があった。また、牧野富太郎の『随筆 植物一日一題』(東洋書館、昭14)はイチシロシに「灼然」(著しいさまの意)の語を当てているところから、「この草の花ならその歌中にある『灼然』の語もよく利く」としてヒガンバナ説を唱えた。
7.うも(サトイモ)
長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首(うち一首)
荷葉(はちすば)を詠む歌
蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂が 家なるものは 芋(うも)の葉にあらし(16・3826)
(蓮葉とはこういうものなのだ。意吉麻呂の家にあるのは芋の葉であるらしい)
8.うり(マクワウリ)
子等を思ふ歌一首 并(あは)せて序
釈迦如来、金口(こんく)に正(まさ)しく説きたまはく、「衆生を等しく思ふこと、羅睺羅(らごら)のごとし」と。また説きたまはく、「愛(うつく)しびは子に過ぎたりといふことなし」と。至極の大聖すらに、尚し子を愛しびたまふ心あり。況(いはむ)や、世間(よのなか)の蒼生(あをひとくさ)、誰か子を愛しびざらめや。
瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ いづくより 来りしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ(5・802)
反歌
銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も なにせむに 優(まさ)れる宝 子に及(し)かめやも(5・803) 山上憶良
9.おほゐぐさ(フトイ)
上野(かみつけの) 伊奈良(いなら)の沼の 大藺草(おほゐぐさ) よそに見しよは 今こそ増され〈柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ〉(14・3417)
(上野の伊奈良の大藺草のように、遠くから見た時よりは今の方が恋しさはまさっている)〈柿本朝臣人麻呂の歌集に出ている)
10.おもいぐさ(ナンバンギセル)
草に寄する
道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今更々(いまさらさら)に 何をか思はむ(10・2270)
(道端の尾花の陰の思い草のように、今更何を思い迷いましょうか)
11.かたかご(カタクリ)
堅香子草(かたかご)の花を攀(よ)ぢ折(を)る歌一首
もののふの 八十娘子(やそをとめ)らが 汲みまがふ 寺井(てらゐ)の上の 堅香子(かたがご)の花(19・4143) 大伴家持
((もののふの) たくさんの乙女たちが入り乱れて水を汲む、寺井のほとりに咲くかたかごの花よ)
12.くそかづら(ヘクソカズラ)
高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠む歌二首(うち一首)
草冠に日七(ざうけふ)に 延(は)ひおほとれる 屎(くそ)かづら 絶ゆることなく 宮仕(みやつか)へせむ(16・3855)
(さいかちに這い広がっている屎葛のように、途絶えることなく宮にお仕えしよう)
13.しだくさ(シキシノブ)
我がやどは 甍(いらか)しだ草 生(お)ひたれど 恋(こひ)忘れ草 見るにいまだ生(お)ひず(11・2475)
(我が家の屋根にはシダ草が生えているが、恋忘れ草は見てもまだ生えていない)
14.しりくさ(サンカクイ)
湊葦(みなとあし)に 交じれる草の しり草の 人皆知りぬ 我が下思ひは(11・2468)
(河口の葦にまじっている草のしり草のように、人が皆知ってしまった、私の心の中の思いは)
15.たはみづら(ヒルムシロ)
あはをろの をろ田に生(お)はる たはみづら 引かばぬるぬる 我(あ)を言(こと)な絶え(14・3501)
(安波の峰の山田に生えているタワミズラのように、引いたらずるずると寄ってきて、私との仲は絶やさないでおくれ)
16.つちはり(メハジキ)
我がやどに 生(お)ふる土針(つちはり) 心ゆも 思はぬ人の 衣(きぬ)に摺(す)らゆな(7・1338)
(私の庭に生えた土針よ、心から思っていない人の衣に摺り染めされるでないぞ)
17.なぎ(ミズアオイ)
長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首(うち一首)
酢・醤(ひしほ)・蒜(ひる)・鯛・水葱(なぎ)を詠む歌
醤酢(ひしほす)に 蒜搗(つ)き合(か)てて 鯛願ふ 我(われ)にな見えそ 水葱の羹(あつもの) (16・3829)
(醤酢に蒜を搗き加えて鯛が食べたいと願う私に見えてくれるな、水葱の羹よ)
※春霞(はるかすみ) 春日の里の 植(う)ゑ小水葱(こなぎ) 苗(なへ)なりと言ひし 柄(え)はさしにけむ(3・407) 大伴駿河麻呂
※上野(かみつけの) 伊香保の沼に 植ゑ小水葱 かく恋ひむとや 種求めけむ(14・3415)
※『延喜式』「内膳司」に「水葱十石・・・小水葱一石」とあり、「こなぎ」と「なぎ」(ミズアオイ)は区別されていたようである。ミズアオイは花序を真上に伸ばすのに対して、コナギは花を葉腋につけることで区別できるという。
18.ぬなは(ジュンサイ)
草に寄する
我が心 ゆたにたゆたに 浮き蓴(ぬなは) 辺(へ)にも沖にも 寄りかつましじ(7・1352)
(私の心はゆったりとしたり動揺したりで、蓴菜(じゅんさい)のように岸にも沖にも寄ってしまえそうにない)
19.ねつこぐさ(オキナグサ)
芝付の 御浦崎(みうらさき)なる ねつこ草 相見ずあらば 我(あれ)恋ひめやも(14・3508)
(芝付の御宇良崎にあるねつこ草(共寝したあの娘)に会わなければ、私はこうも恋い慕ったりしようか)
20.はなかつみ(マコモ)
中臣郎女(なかとみのいらつめ)、大伴宿祢家持に贈る歌五首(うち一首)
をみなえし 佐紀沢(さきさは)に生(お)ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも(4・675)
((をみなえし) 佐紀沢に生える花かつみではないが、かつても知らない恋さえもすることよ)
※『能因歌枕』や『和歌童蒙抄』には、カツミはコモのこととされ、『和漢三才図会』には「菰〈音孤〉 こう(クサ冠に交)草 蔣草〈和名古毛、又云波奈加豆美〉」とあって、代匠記などもハナカツミはコモとする。
21.はまゆふ(ハマユウ)
柿本朝臣人麻呂が歌四首
み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 百重(ももへ)なす 心は思へど 直(ただ)に逢はぬかも(4・496)
(み熊野の浦の浜木綿のように百重にも心では思っているけれど、直には逢えないことよ)
22.ひめゆり(ヒメユリ)
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえいらつめ)の歌一首
夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ(8・1500)
(夏の野の繁みに咲いている姫百合のように、相手に知ってもらえない恋は苦しいものです)
23.ひる(ノビル)
長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首(うち一首)
酢・醤(ひしほ)・蒜(ひる)・鯛・水葱(なぎ)を詠む歌
醤酢(ひしほす)に 蒜搗(つ)き合(か)てて 鯛願ふ 我(われ)にな見えそ 水葱の羹(あつもの) (16・3829)
24.ふぢばかま(フジバカマ)
山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)、秋野の花を詠む歌二首
秋の野に 咲きたる花を 指折(およびを)り かき数(かぞ)ふれば 七種(ななくさ)の花 その一(8・1537)
萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなえし また藤袴(ふぢばかま) 朝顔(あさがほ)が花 そのニ(8・1538)
25.まめ(ノマメ)
道の辺の 茨(うまら)の末(うれ)に 延(は)ほ豆の からまる君を はかれか行かむ(20・4352)
(道ばたの茨の先に這いまつわる豆の蔓のように、まつわりつくあなたを残し、別れて行くことか)
26.みら(ニラ)
伎波都久(きはつく)の 岡(をか)の茎韮(くくみら) 我摘(われつ)めど 籠(こ)にも満たなふ 背なと摘まさね(14・3444)
(伎波都久の岡の茎韮を、私が摘んでも籠に一杯にはなりません。それならあの人と摘みなさいな)
27.ももよぐさ(未詳)
父母が 殿の後(しりへ)の ももよ草(ぐさ) 百代いでませ 我(わ)が来(きた)るまで(20・4326)
(父母の屋敷の裏庭のももよ草のように、百代も長生きして下さい。私が帰って来るまで)
28.やまあゐ(ヤマアイ)
河内(かはち)の大橋を独り行(ゆ)く娘子(をとめ)を見る歌一首 并せて短歌
しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹塗(にぬ)りの 大橋の上ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳裾引(あかもすそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺れる衣(きぬ)着て ただひとり あ渡(わた)らす児は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問はまくの 欲しき我妹(わぎも)が 家の知らなく(9・1742)
((しなでる) 片足羽川の朱塗りの大橋の上を、紅染めの赤裳の裾を引き、山藍で摺り染めにした衣を着て、ただひとり渡っていらっしゃるあの児は、(若草の)夫があるのだろうか、それとも(橿の実の)ひとりで寝ているのだろうか、尋ねてみたく思うあの児の家も分からないことよ)
反歌
大橋の 頭(つめ)に家あらば まかなしく ひとり行く児に 宿貸さましを(9・1743)
29.よもぎ(ヨモギ)
国の掾(じょう)久米朝臣広縄(くめのあそみひろつな)、天平二十年を以(もち)て朝集使(てうじふし)に付きて京(みやこ)に入る。その事畢(をは)りて、天平感宝元年閏(うるひ)五月二十七日に本任に還(かへ)り到る。よりて長官の館(むろつみ)に詩酒の宴を設(まう)け楽飲す。ここに主人守(あろじかみ)大伴宿祢家持が作る歌一首 并せて短歌(反歌省略)
大君の 任(ま)きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙(たまほこ)の 道に出で立ち 岩根(いはね)踏み 山越え野行き 都辺(みやこへ)に 参(ま)ゐし我が背を あらたまの 年行(ゆ)き帰(がへ)り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば ほととぎす 来鳴く五月の あやめ草 蓬(よもぎ)かづらき 酒みづき 遊び和(な)ぐれど 射水川(いみづかは) 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 行く水の いや増しにのみ たづがなく 奈呉江の菅(すげ)の ねもころに 思ひむすぼれ 嘆きつつ 我(あ)が待つ君が 事終(を)はり 帰り罷(まか)りて 夏の野の さ百合の花の 花笑(ゑ)みに にふぶに笑みて 逢はしたる 今日(けふ)を始めて 鏡なす かくし常見む 面(おも)変(が)はりせず(18・4116)
(大君の仰せのままに、任務を授かってお仕えする国の、一年の間の政務報告を纏め持って(玉桙の)旅路に出て、岩を踏み山越え野行き、都に上がった君を、(あらたまの)年が改まり、何か月も逢わない日が多くて、恋しく思う心は安らがないので、ほととぎすの来鳴く五月のあやめ草や蓬を縵にして、酒盛りをして遊んで紛らわそうとするが、射水川の雪解け水が溢れて流れるように、恋しさはいや増すばかりで、鶴が鳴く奈呉江の菅の根のように、ねんごろに思い悩み、嘆きつつ私が待っていた君が、務めを終え帰って来て、夏の野の百合の花が美しく咲くように、にこやかに笑ってお逢いできた今日を始めとして、(鏡なす)こうしていつもお逢いしましょう。そのままのお顔で)
30.わらび(ワラビ)
志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこ)びの御歌(みうた)一首
石走(いはばし)る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも(8・1418)
(岩の上をほとばしり流れる滝のほとりのさわらびが萌え出る春になったのだなあ)
以上、草本類の植物30種
