資本論を世に出したマルクスは宗教はアヘンであると、糾弾しました。
これは、正しくて正しく無い。
宗教は人間の認知構造の根幹をなす部分です。
宗教は人類を発展させてきたエンジンの様なものです。
しかし、使い方を間違えると地下鉄でサリンを撒いたり、家のお金を持ち出して大金を寄付してしまったり、日本の終戦の頃の様になる。
さらに、やっかいな事に宗教を否定してもその否定したイデオロギーが宗教にとってかわるだけになる。
つまり、上記の例で言うと、マルクスを教祖とした、「マルクス教」が出来てしまう。
本来人間とは物事を認知する脳内の構造自体が宗教的な存在です。
この人間の認知構造と上手く付き合う必要があります。
スーパーマンが都合良く助けてくれる他社依存の祈りなのか、神は内在していて、自らのエンパワーメントを活性化してくれる存在なのかの違いなんだと思います。
結局、神は外的存在だと仮定しても自ら努力している人を神は助けようとするでしょうしね…。
人間は違和感のある事は避けようとしますから、改めて屁理屈を並べて見て気付く事は人間は普通に上手く折り合いをつけながら振る舞っているよな…
でもたまにおかしくなる事があるよな…という事です。
小生は〇〇になりたいと願う人間の行動の集積が人類をまさにその様に仕向けて来た原理を見つけた気がしたんです。
であるならば、人間の素晴らしいこの認知力を逆に利用する事だって出来ると思うのでした。
〈おわり〉