”あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることの出来るように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。” (第1コリント10章13節)
ALSを発症し、今もまぶたさえ自由に動かす事が出来ず、14年目の治療を続けている友人がいる。
その彼女は、家族の愛に包まれ、子供の成長を喜びながら、いつかこの病気を治してくれる薬が出来るという希望をもって生きている。
その友人が発症して間もない頃
「筋肉だけが無くなっていき、動けなくなるのに視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感はそのまま残っているの」と、私に囁いた。
私は投げかけられた言葉に、自分の想像を遙かに超えた試練が、彼女を待ち受けている事実に気付き、どんな言葉もむなしく思え、彼女の顔さえ見る事が出来ず目を閉じてしまった事がある。
神様だけが彼女の苦しみを癒やす事が出来ると思って、
「神様がいつかあなたを救って下さる日が来ると信じている」と言うや否や、
「私をこんな病気にした神なんか信じない」と優しい彼女からは今まで聞いた事がないような強い口調で私の言葉を跳ね返した。
しかし、私は神が彼女の苦しみを癒やして下さると信じ、祈り続けた。
その後、私は2度と神様の話はしなかったし、彼女の考えも変わっていないように思っていた。
でも、奇跡が起きた!
数年後、彼女は洗礼を受け、クリスチャンになった。
介護をしていた看護師からひどい扱いを受け、命の危険に晒された事もあったようだが、間一髪で救いの手が伸びて助かったと聞いている。
気管切開を受ける決心をし、生きる希望を選んだ道は正しかったと言って弱い私を勇気付けてくれる。
神が試練とともに脱出の道を備えて下さり、その道を見つけた彼女を祝福して下さっている事に感動を覚えずにはいられない。
