8月12日
広島県呉市にある呉市海事歴史科学館、通称大和ミュージアムに行ってきた。
といっても、私たちが訪れた時はリニューアル休館中でサテライトのみ営業していたのだけど。
第二次世界大戦中、呉市で造られた戦艦大和。
戦闘機好き男子の憧れ代表と言える大和の1/10模型が見られるはずだったのに、
このタイミングで行くのはちょっと残念。
それでも行ってみたいという息子の強い希望の元、訪問。
行ってみると、女子率はとても低く、10~20代の男子と40~50代男性のお客さんがほとんど。
息子と同じように、戦時中の海軍基地のある
呉の雰囲気を少しでも感じたいと思う男性って多いんだということが分かった。
サテライト施設は、正直見学範囲は狭く、正規金額で見学なのがモヤっとして腑に落ちなかったんだけど、
サテライトの近くに海上自衛隊の潜水艦見学施設があって、
こちらは無料で見学できたので、結果的には呉市まで行って大満足だった。
私の中ではずっと戦艦大和に関しては、疑問に感じていることがあった。
戦艦というと、飛行機に比べて速度は落ちるし、
上空から発見されたらあっという間に飛行機で攻撃されるのは目に見えてるはずなのに、
なぜあんな巨漢の大和を日本軍は造ったのかということ。
実際、大和が沈没した日は、沖縄に向かう道中
鹿児島県沖でアメリカ軍にたった2時間ほどで撃墜されたらしいし。
大和を造る費用があったら、性能の良い飛行機を造ったほうがよかったのでは?
と思ってしまうのだ。
その背景には、太平洋戦争前の日露戦争時代に遡り、
戦艦での攻撃戦が主流だった時代背景があるらしいのだ。
以前は、どれだけ大きな戦艦を造って戦うかが国の強さの象徴だった。
それが、大和戦艦を建造中にも船ではなく、急速に飛行機開発が進んでいき
大和が出来上がった頃には、時代の流行が船から飛行機に移行していたあとだったと。
その為、大和が大活躍する機会を得ずに撃沈される運命に至った、ということなのだ。
今回、その話を知って初めて時代背景と合わせて腑に落ちた感じがした。
本当は、沖縄奪還のために向かい、巨大な大砲を武器に戦う基地となりたかった大和。
沖縄にたどり着いて、活躍した事実がもしあったなら、知りたいと思ったのは
私だけではないと思う。
戦争は許せないけれど、日本の工業技術は世界屈指だということ、
呉市を訪れて感じた事実だった。
