そして、3度目の入院日が来た。
2時間かけて母親が来てくれてそこからさらに1時間弱電車で。
わたしと違って細見の母。そんなに健脚でもない。

そんな母に何度も「ごめんね」を繰り返してた。

「なんで謝るの。何にも悪いことない。しっかり治しに行こう」

私は、「絶対治りますよ」という医師の言葉に希望を見出してはいたがやはり異常に体力が落ち、
ぞわぞわもする。
3回目のスーツケース。比較的小さなものだが海外で出張を繰り返したころからの相棒であるが
この数年は、入院の時に登場。
「あぁ私はまたこのスーツケースをもって仕事にいけるのか」なんて考えたら
電車の中でまたバクバクしてきた。
座っているのだが、上半身を起こしておくことができず、うなだれていた。

今回の病院は国立で研究機関でもある。
私は研究対象として登録がされていて、主治医の研究室付けの臨床心理士のひとが待っていた。
眼鏡のほがらかな女性だった。

「病棟は5Fになります」

3人でエレベーターに乗る。緊張する。
閉鎖病棟に入る前に精神科病院では儀式がある。
そう、人権などの不服申し立ての説明など一連入院する前に受けるのだ。

「あ、いま会議室使ってますね、ひとつの下の階に行きましょうか

一連説明を受ける。不穏時には身体拘束の可能性もあること、不服などは都に申し立てができる、など
どこもたいていフォーマットは似たようなものだ。
同意にサインをする。
今回も私は任意入院=自らの意思で入院である。
医療保護入院=家族の同意の上で強制的に入院するもの
措置入院=危険だと判断されて、強制的に入院するもの とは違う

男性の看護師さんも同席した。精神科は結構男性看護師が多い(身体拘束などもするので)

では、病棟に行きましょうか。
胸のあたりが締め付けられて、ざわざわする。

看護師さんがチェーンで括り付けた2つの鍵を開ける。
「お母さまはここまでで」

「どうぞよろしくお願いします」

私は、ものすごく扉の奥に入りたくないと思った。初めての場所だ、どんなひとたちがいるんだろう。
また一から人間関係構築だろうか、どんな不穏なひとがいるんだろうか・・・

なかなか歩が進まない。
母が「大丈夫だよ。治るって絶対治るって言ってくれたんでしょ?信じましょうお、先生を」
私の肩をポンポンと叩き、手を握った。

あまり親に甘えてこなかった私だが、泣きそうだった
「ありがとう。きょうは遠くまで来てくれてありがとう。帰りも3時間かかるよね、ごめんね」

「ごめんね、なんて言わないの。だってお母さんだもん」

「じゃ、行くね」といって扉が閉まった。

私は、ドアの真ん中に縦に伸びだガラスから母親に手を振った。
彼女がエレベーターに乗るまでたちつくていた。

この病棟は大部屋がなくすべて個室だった。
トイレ付。過去最高待遇だ。

臨床心理士の女性が今回の研究協力に関して部屋で説明をしていたが、私はもう上の空だった。
「あとで、N先生(外来で絶対治るいったひと)が来ると思いますが、この病棟主治医は、H先生です。」

精神科はいつもこのシステムなのかわからないが、入院すると病棟の主治医が決まる。
どんなひとなのだろうか・・・前のような「医者ガチャ」で最悪なひとじゃないといいが・・

「藤田さんですが、入院初期に1回MRI検査、また心理検査があって、後期にまたMRIがあります」

「MRIやるんですか?」

「そうでうね、脳の中の様子です。皆さんにお願いしています」

「CTではなく?」

「はい、MRI」です。

そこにN先生はちょうど来た。
軽やかな感じで
「どうよ、調子は」

「先生、MRIやるんですか」

「やるよー脳の状態ね、これ研究してるの」

私は、敬意をこめつつもかなり不満だし、やりたくもないことを明確に伝えないとと思っていた。
だって、MRIって首固定して、ガンガン音がする中、閉鎖空間(正確には頭の周りだけ)で
じっとしていないといけないんだ。

「先生!わたしの今の症状いいましたよね、多動っていうがじっとしていられなくて家でも走り回ったり、歩き回ったりしていたんですよ!
ムリです。というか聞いておりません。大変遺憾です!」

大変遺憾です!の言葉にきょとんとする2人。

「大丈夫、大丈夫だから。動かないでもらいたいけれど、どうしても気分悪かったら止められるし。
なんなら僕一緒に部屋はいるよ」

「????」

「部屋はいってどうするんですか?」

「一緒にいるんだよ、安心でしょ?」(ニコ)

なんか、私は脇汗状態だったが、なんだか拍子抜けして受け入れた。

「わかりました。頑張ります」

「オッケー!じゃ、明日の10時にお迎えくるから、よろしくねー」

私は、心配でしかたなかった。