次女・鉄子は長女がADHDの診断を受けたあと、長男・息子氏が小学校に入学する前にわが家にやって来た。

6年ぶりの新しい家族の誕生にダンナさんの両親もとても喜んでくれて、良かったなぁって安心した筈、だったけど。

歩くのも遅かった
幼稚園の年少さんになっても発語がなく、トイレトレーニングすらままならなかった
友だちと遊べない
給食食べる前にはお迎えお願いしますと呼び出しかかる

と、集団生活にはまるで馴染めず、園生活と並行して市の療育施設にも通っていたけれど、とうとう園長から
「今はまだ早いみたいだから」
とメッチャ遠回しに退園を迫られた。

長女も息子氏もかなりご面倒おかけしたけれどそんな事言われなかったのに、と悔しいやら悲しいやらである日、トメに涙ながらに愚痴ってしまった。
孫可愛さだろうけれど、トメが
「そんな幼稚園、辞めちまいな!」
と後押ししてくれたこともあり、ダンナさんとも相談して退園届を自主制作して園に持参したらあっさりと受領されて
「ああ、待っていたんだな、この時を」
とガッカリしたものだ。

そこから長い月日を重ねて(また語る日があるかと思います)現在の鉄子は通信制高校に通う鉄道大好きなJKになりました。

長女を見ていたので
「高校で勉強したいです、でも、お姉ちゃんと同じ学校は無理だと思います」
と早い内から話してくれていて中高一貫で自閉症でも受け入れてくれる私立を受験したけれど不合格となり、地域の中学校の特別支援学級に籍を置きながらひたすら義務教育終了後の受け入れ先を探していました。

中学二年生の頃、やっと現在の在籍校と巡り合って、学校の先生方や普段お世話になっているキャンパスの先生方の後押しもあって今年度は最終学年です。

問題はこの後。

鉄子は大学に行きたいと言っているのでダンナさんと私としては、その希望を叶えるべく尽力したいと思っていますがここでわが家には一つの障壁が。

長女がアスペルガー症候群に加えて適応障害を併発して、大学を中退しているのですが主治医から
「長女ちゃんにも影響出ることだから、よく考えてね。今の成績なら推薦は充分に取れるし、成功すれば良い事例として名を馳せるだろうけれど勉強好きって部分を除くと生活して行く力は皆無に近いからね。」
と半ば釘を刺されて診察を終えて来まして。

大学は通信制の学部を選ぶつもりです。その後の事はまだ何も分かりません。でも、これって定型発達の人でもあるんじゃないのかなって思って。何がやりたいかって明確なビジョンを持って大学に行く人って、そんなにいるの?って思うんです。
なにかを見つける為に、好きなことをもって勉強する為に大学へ行くんじゃないのかなって。