真夜中の定食屋(ひつジィの食卓) -23ページ目

毒を吐く

おはようございます。

勤務先が博多から佐賀方面へ変わり
3か月経ちました。

通勤に往復4時間を費やすため、
体力面を考慮し、
店舗内作業と通勤での徒歩移動のどちらも少ない
佐賀駅の店舗なら可能ですと
会社には希望を伝えておりました。
つまりもう一方の店舗では勤務を続けることは困難と
はっきり伝えておりました。

そろそろ身体が限界のようです。

しかし、
休みの日は一日中寝ているだけで
就職活動するような体力は残っていません。

ご愁傷さまです。

『丸ぼうろ』の謎




ご無沙汰しておりました。

先日、お客様からこんな質問をいただきました。

「どうして、佐賀では丸ぼうろが伝わったのでしょうか?」

そのときは、長崎の警備に佐賀藩も担当しており、
その関係で伝わったと言われておりますと、お伝えしたのですが、

時間を置いてよく考えてみれば
たしかに
どうして『丸ぼうろ』だったのでしょう?

カステラでもカスドースでも、鶏卵素麺でもよかったではないですか。





ネットで検索しても、その理由については
簡単には見つからないようです。

しばらく答えは見つかりそうにありません。

どんまいです。


「シュガーロード」が日本遺産に認定されました。

こんにちは。

今回は砂糖問屋に勤務していたことのある砂月から

シュガーロードにつきましての話題です。


「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」

長崎市、諫早市、大村市、嬉野市、小城市、佐賀市、飯塚市、北九州市を中心とする

長崎県・佐賀県・福岡県の3県の申請)が

文化庁の「日本遺産(Japan Heritage)」に認定されました。


足日本遺産のポータルサイト


その前に、まず「長崎街道」につきまして


長崎街道は北九州市小倉から長崎市を結ぶ街道です。

江戸時代鎖国政策下の日本で、唯一の外国との交易地であった長崎に通じる

街道として非常に重視されました。

砂糖自体は船で運ばれたとされていますが、

砂糖や外国の菓子などの文化は

当時長崎の警護をしていた福岡藩や佐賀藩にも伝わり、

独特の食文化が花開いたとされています。


長崎街道は小倉の常盤橋を起点として25以上の宿場があります。

小倉と長崎をかなりの直線コースで結ばれており

このため、

数か所の峠越えなどの難所もありました。

大名の参勤交代の他、オランダ商館長(カピタン)や黄檗宗の僧侶、

象やキリン、ラクダといった異国の珍獣などもこの街道を往来したとされています。


足長崎街道「シュガーロード」のポータルサイト



では、気になる

シュガーロードのお菓子たちは一体どんなものでしょうか


「ストーリーを構成する主な文化財

  ・全域:長崎街道

・長崎市:出島和蘭商館跡、長崎くんちの奉納踊、カステラ、有平糖 など

・諫早市:諫早おこし、諫早おこし道具

・大村市:へこはずしおこし、おこし製造道具、大村寿司

・嬉野市:嬉野市塩田津(国選定重要伝統的建造物群保存地区)、逸口香、金華糖 など

・小城市:村岡総本舗羊羹資料館、普茶料理、小城羊羹 など

・佐賀市:丸ぼうろ、寿賀台(すがだい)、菓子仕方控覚(鶴屋文書) など

・飯塚市:名菓ひよ子、千鳥饅頭、なんばん往来など

・北九州市:福聚寺(ふくじゅじ)、常盤橋(ときわばし)、小菊饅頭、金平糖、くろがね羊羹 など」

※佐賀市のページより引用)



「長崎の遠か(ながさきのとおか~嘆)」

という言葉を耳にされたことはありませんか?

江戸時代に海外との交易の場であった長崎は、
当時、贅沢品であった砂糖が入手しやすい地域でもありました。
甘い(=貴重な砂糖を多く使う)ことはとても贅沢なこととされ、
甘さが足りないことを「長崎が遠い」と表現されることもあるようです。


シュガーロードのお菓子としての代表格といえば、

やはり、「長崎カステラ」が有名。




(生地に使う白双糖と底部分に使う白双糖と種類の違う2種類を使い分けているらしい)


こちらは半生タイプのカステラ





あまあまだがクセになる平戸の「カスドース」





佐賀の佐嘉ぼうろとも呼ばれる「丸ぼうろ」









などといった、卵や砂糖をふんだんに使った
ポルトガル由来のお菓子がたくさんあります。



こちらは、丸ぼうろの生地を元に考案されたともいわれている「千鳥饅頭」




これらは、ポルトガル菓子を由来としており、
南蛮菓子とも呼ばれています。

ケーキのような南蛮菓子がクローズアップされがちではありますが、
「砂糖の通った道《菓子から見た社会史》」の中で、

著者の八百啓介氏は

長崎街道の菓子文化圏を大きく三つに分類されています。

 ①豊前から筑前(福岡県北部)にいたる北部の飴文化圏

 ②筑後から佐賀平野にいたる中部の餅文化圏

 ③佐賀から長崎にいたる南部の砂糖・南蛮菓子文化圏




 参考書籍

 


「砂糖の通った道《菓子から見た社会史》」の中で、筆者の八百啓介氏が紹介された
リスボンの「カステラ・ド・パウロ」さんは
移転されて、現在京都で営業されています。

あしあと京都北野天満宮大鳥居横のポルトガル菓子店 『カステラ ド パウロ


 マダムのポルトガル菓子研究家の智子さんの著書

 


しかし、

一度に全部は紹介しきれませんので、次回へ続きます(多分)。





「日本遺産(Japan Heritage)」は

世界遺産や指定文化財などとは違い、

保護を目的とするものではなく、


地域の歴史や特色を通じて日本の「文化・伝統を語るストーリー」を

文化庁が認定するもので、

地域が主体となって、国内外へ向けて「戦略的に発信」することにより、

「地域の活性化を図る」ことが目的となっています。


足文化庁ホームページ(日本遺産について)




 砂糖について