江戸時代の街並みは、

2匹の牛が引く牛車一台が通れて、

道の両脇に、人が安全に平伏

できることが基準だったと思われます

 

~巡回中の貴族が出会うと、すれ違う

 のに苦労することになり、争いになった

 戯画が残っています

 周囲の平民を下げさせれば解決する

 話なのですが、取りあえずは、家格で

 どっちが引くべきかを争ったんでしょう

 江戸時代以前だとしても、道幅を

 むやみに広くは出来なかったことを

 暗示しています

 ~狭まれた家は?

  道に面した庭があれが、庭を減らす

  ことで対応できますが、庭が小さ

  ければ?転居で逃げる以外は、

  あがらう=戦うの1択です

 

江戸時代からは、馬車一台が安全に通過

できて、両脇に平民が平伏しても安全に

通れる幅となったと思われます

 ~牛車ノ幅(牛2頭)と馬車の幅は違います

  牛は自分の幅の外は蹴れないのですが

  馬は蹴れるのですw

~日本車の車幅の基本がこれでしょう

 :つまり、安全にすれ違える車幅の

  最大が決定されたのです

~江戸時代以前の町並みには

 強制は効きません:片側に平服する

 で躱したのでしょう

 

明治以降には、電柱をどこに建てて

いくかということが出てきます

~平民が平伏する相手が天皇家だけに

 なったこともあって、道の両脇に

 使われることが無いスペースが

 生まれました

 で、公道に建てまくりましたw

 ~片側に寄せれば良さそうなのに

  平等に?を考慮したのか、両脇

  に分散したようですw

  一方に寄せれば直線になるのに

  交互にしたのでジグザクにw

 ~いずれにせよ、柱のせいで一方

  通行しかできない道になりました

 

電話の発達に連れて、電話線柱を

建てていくことになりましたが、

営業母体は別会社です

~柱には、先に、電力会社の

 電柱があります。

 電柱を電話柱にも出来たので

 しょうが、電電も別の電話線柱を

 建てまくることになったようです

 ~電柱は発電所を中心に建てる

  のが基本です。

  一方の電話は、有線が必須の

  条件ですから、都道府県の

  中心地をベースにして、そこから

  伸ばしますから、共存する

  ケースは低いのです

   付:昔、中心地を結ぶのに

    無線技術は使えていません

    から、中心地通しは、有線で

    結ぶ以外に無かったのです

    :第2次大戦後の無線は、

     趣味者の範囲で、メーカーも

     支えられて存続したと思います

     ~昭和45年頃、大学浪人時代に

      世田谷区の近所の方と繋がり

      があり、送受信機一式を譲り

      受けましたが、苦学生=高卒

      浪人の身分でしかないので

      近所の別の趣味者に譲りましたw

 

おっと、本論から、外れすぎました

 

さて、大型車の消防車が入れない?

それは、日本古来の町並み故です

 

日本で一番古い古都に合わせた消防装置

を作るべきです

 

ホースを延長すべく引っ張っていくのは、

基本は人としても、危険領域に入ったら

引っ張っていくのはロボット限定!

そして、消火に当るのもロボットを

考慮・実現できる時代になっているはずです

 

最初は、リモートコントロール併用で

いいでしょうが、いずれは、自立型にできる

かもです

 

関係者は、頑張ってください!

 

おまけ:ホースの引っ張り出しでは、ネジレの

 問題が必ず起きます

 自動機械では、これを解消しながら引き出す

 のも課題の一つです