行く秋をしにそこないの旅烏


昨年の夏はてくてく甲州道中を諏訪宿まで歩きました。今年は怪我やら体調不良などで山行も思うようにいかずすっかり落ち込んでいました。


そこで一念発起諏訪宿からの中山道をてくてく京の三条大橋までの旅烏を始めてようと思い立ちました。


中山道は69次、533.9kmで武州路(日本橋~本庄)上州路(新町~阪本)信濃路(軽井沢~洗馬)木曽路(本山~馬籠)美濃路(落合~今須)近江路(柏原~三条大橋)の六路を江戸から京都を結ぶかつての大幹線道路でした。


とりあえず旅はじめは諏訪大社から木曽路手前の洗馬宿まで歩きました。


幾山河越えて


諏訪大社前にある樹齢千年の大欅。中は空洞に近い状態で大人も楽々入り込め、上を見上げると空が見えます。


幾山河越えて


昨年の夏に訪れた時は修復工事は春宮でしたが、今年は秋宮も修復作業に入っていました。


幾山河越えて


大社脇の新鶴で名物塩羊羹を買い求めました。


幾山河越えて


甲州道中・中山道合流の地の道標から中山道を歩き始めます。


幾山河越えて


諏訪大社は七五三詣でで賑わっていました。


幾山河越えて


本殿前の神柱の周辺は菊花展でさまざまな菊が展示されています。


幾山河越えて


諏訪宿は中山道唯一の温泉宿で賑わった様子が描かれたタイル画が飾られていて往時の賑わいの様子を感じる事が出来ます。


幾山河越えて


一里塚のある道はさらに右に入って行きますが、今日は道標の前からまっすぐ坂を下っていきます。


幾山河越えて


一之宮御用と書いた長持保存会の人たちがぎゅっぎゅっぎゅっと独特の音をたてながら長持ちを運んでゆく行列に出会いました。時代を感じさせられます。


幾山河越えて


20号をさらに進んで国道と旧道の分岐を左に入ります。


幾山河越えて

下諏訪宿の入り口では諏訪太鼓の披露を賑やかにやっていました。
幾山河越えて


この鳥居を遡ってゆくと諏訪大社春宮に出ます。


幾山河越えて


分岐を旧道に入ってすぐ左に明治維新の混乱期に偽官軍として処刑された相良総三ら赤報隊幹部の供養塔がある。魁塚と言われている。


幾山河越えて


道に面した民家の門の中を覗くと、たくさんの実をつけた巨大な林檎の木に吃驚させられます。


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「右中山道左いなみち」 の道標を見て歩みます。


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岡谷市の出早公園の紅葉が綺麗との事で立ち寄ってみました。この後旧道を見失い時間を大幅にロスしてしまった。


幾山河越えて


生垣と綺麗に手入れされた庭木が見える静かな旧道を歩いていきます。


幾山河越えて


塩尻峠に差し掛かると右手に石船観音があり、入り口脇の清水は金名水として有名で旅人の渇きを潤した。


幾山河越えて


峠道をさらに登ってゆくと左に大岩。この辺りから峠まで道は急坂となってくる。


幾山河越えて


坂道の両脇の木々の紅葉が綺麗です。


幾山河越えて


塩尻峠・明治天皇巡幸の句碑がある。この脇を登ると展望台があり諏訪湖や周囲の山々の眺望を楽しめます。


幾山河越えて


湖の左手には冠雪した八ヶ岳の主峰群が望めます。


幾山河越えて


右には南アルプスの甲斐駒ヶ岳が黒戸尾根の長い稜線を綺麗にみせて横には鋸も見る事が出来ます。


幾山河越えて
展望台からの眺望。真正面、甲斐駒の左に富岳が見えます。

幾山河越えて


南八ヶ岳の全景


幾山河越えて

峠を下ると茶屋本陣、明治天皇のご休憩の碑と井戸をみてさらに下っていきます。


幾山河越えて


さらにくねくねした旧道を下ってゆくと東山一里塚跡です。

幾山河越えて


一里塚跡から左の道を選ぶと国道に出ます。塩尻はワインの里としても有名です。国道沿いに大きな看板。


幾山河越えて


国道を横断して旧道の道を辿ると、真正面に北アルプスの穂高の山々が迎えてくれます。


幾山河越えて


高速自動車道を越えて柿沢の集落に入る、左手に首塚への案内表示、農道を辿ります。


南北時代塩尻峠を挟んで武田勢と小笠原勢との合戦で小笠原勢の大敗北で一千人余の戦死者を出し、武田方がその首実検をしたところだそうです。


首と胴を切り離された戦死者を其の侭放置していった後を柿沢の民衆が哀れんで葬ったとの事。


    野に山に討ち死になせし益荒男のあとなつかしき柿沢の畔

幾山河越えて


柿沢の集落はこのような風格ある家々が街道沿いに建っています。


幾山河越えて


集落の坂道、首塚から真正面に見る風景では乗鞍や穂高連峰の山並みが里を見下ろしています。


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実にどっしりとした風格ある民家ですねぇ。棟飾りの雀おどりがこの地域の建物の特徴です。


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永福寺の観音堂。重文。諏訪の大工棟梁で内匠の称号を持つ立川流3代目の傑作


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同じく永福寺の山門。山門に刻まれた彫刻が素晴らしいです。


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塩の道の終着点の塩尻宿に入ってきました。往時の建物は殆どありません。ここは上問屋跡。


幾山河越えて


塩尻口留番所跡


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塩尻本陣跡
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今はお酒の醸造元の塩尻番所跡。
幾山河越えて


塩尻脇本陣跡


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塩尻の鍵の手から入ったところの阿禮神社。延喜式の神名帖にも乗っている古い神社です。


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国の重要文化財の民家堀内家の建物。堀内地区の庄屋で宝暦~天明年間にかけての約200年前の民家住宅だそうです。

建築様式は本棟造で切妻造妻入、板葺き勾配の緩い大家根と庇棟飾りの特色ある民家形式。


外観は二段重ねの破風、棟飾りの「雀おどり」、出格子窓が特徴的です。

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大門神社。


幾山河越えて


大門神社から塩尻駅への分岐を左にとってJR中央本線のガードを潜って歩んでいくと、畑の中に一対完全に残っている平出の一里塚あります。明治維新以来周囲を畑や民家に切り崩され、往時の規模は偲ぶばかりです。


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幾山河越えて


一里塚を過ぎて、再び中央本線の踏切を過ぎると、一面ブドウ畑です。


そんなブドウ畑の中に日本三大遺跡といわれる平出遺跡があります。


大きな遺跡で発掘復元作業が進められています。

幾山河越えて

江戸時代からこの一帯では土器などの遺物が沢山取れる所として有名であったとか・・云われていたそうです。


幾山河越えて


平出遺跡のあるブドウ畑を越えてゆくと洗馬宿に入ってきます。


「右中山道左北国往還善光寺道」の道標がある。交通の要の宿です。

幾山河越えて

JR中央本線洗馬駅。二面三線で貨物引込み線もあった一般駅でしたが、今は無人駅となっています。

風格のある駅舎は綺麗に清掃され、荒れた雰囲気は見当たりません。

幾山河越えて

洗馬宿の町並み。明治の大火でかつての宿場の面影はありません。


次の本山宿までと思いましたが、時間の都合で今日は洗馬からの電車で帰ることにしました。


ワンマンカーの電車に乗るのは初めてです。