半月程前に、恩師が亡くなりました。
小学校の時の担任の先生で、両親を早くに亡くした私にとっては、親よりも長く、30年もの間、私の人生に寄り添ってくれた大事な人でした。
先生というよりは、母親のような存在でした。
先生が結婚されてからは、先生の旦那さんを「お父さん」と呼び、先生にも、お父さんにも、本当に娘のようによくしてもらいました。
先生の一人息子は、私にとっては実の弟のように今も可愛い存在です。
そんな大好きな先生に、10年前に異変が起きました。
ろれつが回らず、上手く喋れなくなりました。同時に、歩きにくくもなりました。
いくつかの病院を経て、大学病院で「小脳萎縮症」の診断を受けました。
小脳がだんだん萎縮していき、体の運動機能が失われていく、という病気です。
先生は、小脳の萎縮だけに留まらず、脳の他の部分にも萎縮が見られる、「多系統萎縮症」に途中で診断が変わりました。
どちらも国指定の難病で、治療方はありません。
リハビリをして、少しでも体の運動機能を下げないようにするのが主な治療だそうです。
多系統萎縮症は、進行が早いのが特徴だそうで、先生もあっという間に、歩けなくなり、字が書けなくなり、喋れなくなり、起き上がれなくなり、噛んで食べる事も、ストローで吸う事もできなくなりました。胃ろうの手術もしました。
息もしづらくなってきていたので、気管切開を勧められていた矢先に亡くなりました。
65歳でした。
先生は記憶等には一切障害は出なかったので、頭はしっかりしているのに、体は動かない、喋れない、思うように意志を伝えられない、という、本当に言い表せない程の苦痛や、悲しみを抱えて闘病されていたんだろうと思います。
気管切開は、医師やお父さん、周りの親戚がいくら勧めても拒否し続けていました。
気管切開をしても、このまま寝たきりで何もできずに生き続ける事に何の意味があるのか、これ以上、周りの負担になりたくない、と考えていたのかもしれません。
まだ21歳の、一人息子の今後を見守るよりも、これ以上息子の負担になりたくない、と思ったんでしょうか。
私は、結局闘病中の先生に何もできませんでした。
話しができなくても、もっと頻繁に顔を見せに行けば良かった。
日々の忙しさを言い訳にして、先生が苦しい時に、その苦しさを分かってあげようともしなかった。
先生の顔を見ると、感情が高ぶって涙が止まらなくなるから、かえって先生に心配をかけるって、自分で勝手に言い訳ばかりして会いに行かなかった。
後悔ばかりです。
私は先生に何もできなかったから、せめて、先生がお世話になっていた大学病院に献体をしたいと考えました。
私が生きていても、世の中の役には立たない、結婚はしたけど、結局子供もできずで、未来にも何も残せない。
でも、このまま生き続けて死ぬ、ということだけで、未来の学生さんの役に立てるかもしれない。
そう思うと、生きていて良いんだ、私の生にも意味があるように思えます。
自分を大切にしようとも思えました。
献体として、きちんと大学に引き取ってもらえるように、事故にも気をつけよう、と前向きになれました。
献体の受付まで半年程あるので、それまでは、献体として登録できるのを楽しみに、体を大切に生きようと思います。
先生、いや、お母さん。
私は生きていけそうです。
ありがとう。
小学校の時の担任の先生で、両親を早くに亡くした私にとっては、親よりも長く、30年もの間、私の人生に寄り添ってくれた大事な人でした。
先生というよりは、母親のような存在でした。
先生が結婚されてからは、先生の旦那さんを「お父さん」と呼び、先生にも、お父さんにも、本当に娘のようによくしてもらいました。
先生の一人息子は、私にとっては実の弟のように今も可愛い存在です。
そんな大好きな先生に、10年前に異変が起きました。
ろれつが回らず、上手く喋れなくなりました。同時に、歩きにくくもなりました。
いくつかの病院を経て、大学病院で「小脳萎縮症」の診断を受けました。
小脳がだんだん萎縮していき、体の運動機能が失われていく、という病気です。
先生は、小脳の萎縮だけに留まらず、脳の他の部分にも萎縮が見られる、「多系統萎縮症」に途中で診断が変わりました。
どちらも国指定の難病で、治療方はありません。
リハビリをして、少しでも体の運動機能を下げないようにするのが主な治療だそうです。
多系統萎縮症は、進行が早いのが特徴だそうで、先生もあっという間に、歩けなくなり、字が書けなくなり、喋れなくなり、起き上がれなくなり、噛んで食べる事も、ストローで吸う事もできなくなりました。胃ろうの手術もしました。
息もしづらくなってきていたので、気管切開を勧められていた矢先に亡くなりました。
65歳でした。
先生は記憶等には一切障害は出なかったので、頭はしっかりしているのに、体は動かない、喋れない、思うように意志を伝えられない、という、本当に言い表せない程の苦痛や、悲しみを抱えて闘病されていたんだろうと思います。
気管切開は、医師やお父さん、周りの親戚がいくら勧めても拒否し続けていました。
気管切開をしても、このまま寝たきりで何もできずに生き続ける事に何の意味があるのか、これ以上、周りの負担になりたくない、と考えていたのかもしれません。
まだ21歳の、一人息子の今後を見守るよりも、これ以上息子の負担になりたくない、と思ったんでしょうか。
私は、結局闘病中の先生に何もできませんでした。
話しができなくても、もっと頻繁に顔を見せに行けば良かった。
日々の忙しさを言い訳にして、先生が苦しい時に、その苦しさを分かってあげようともしなかった。
先生の顔を見ると、感情が高ぶって涙が止まらなくなるから、かえって先生に心配をかけるって、自分で勝手に言い訳ばかりして会いに行かなかった。
後悔ばかりです。
私は先生に何もできなかったから、せめて、先生がお世話になっていた大学病院に献体をしたいと考えました。
私が生きていても、世の中の役には立たない、結婚はしたけど、結局子供もできずで、未来にも何も残せない。
でも、このまま生き続けて死ぬ、ということだけで、未来の学生さんの役に立てるかもしれない。
そう思うと、生きていて良いんだ、私の生にも意味があるように思えます。
自分を大切にしようとも思えました。
献体として、きちんと大学に引き取ってもらえるように、事故にも気をつけよう、と前向きになれました。
献体の受付まで半年程あるので、それまでは、献体として登録できるのを楽しみに、体を大切に生きようと思います。
先生、いや、お母さん。
私は生きていけそうです。
ありがとう。