元健康屋が人の健康と夢を応援するブログ ※内容は個人の見解によるものです -37ページ目

元健康屋が人の健康と夢を応援するブログ ※内容は個人の見解によるものです

『体や心の悩みでお医者様も知らない健康屋だったからこそ知っている健康情報』 と 『夢はあるけど人生あきらめてサラリーマンから抜け出せない方へ卒サラへの近道』 を応援するブログ

いつもお世話になっております。

SANTAです。

前回は結婚してからの話でした。
今日は前回の続きのお話です。

実は辞めた今でも健康屋は天職だったと思ってますし、本当
にすばらいし仕事だと思っています。

ですが、そんな仕事をなぜ辞めたのか?

それは私の息子がきっかけになりました。

2010年3月7日 待望の第一子 我が家の長男が生まれました。

産声は元気に。
千葉の嫁の実家の近くの病院にて生まれました。

しかし、この子は他の子とは少し違いました。

ロイズ・ディエツ症候群という病気でした。

ウチの息子が日本で11人目との事で、それまでこの病気で生
まれてきた子供で助かった子はいないということでした。

当時はこの病気をネットで調べても全然ヒットせず、調べに
調べまくってもなかなか情報がつかめませんでした。

症候群というくらいなので、造形や出てくる症状は差がある
様ですが、一番の問題としては他の人間より血管の年をとる
速度が早いということでした。

海外にアシュリーちゃんという年をとるのが早い女の子がい
ましたが、あの子の血管だけのバージョンと思ってもらえれ
ばいいです。

生まれてすぐに、千葉の病院では手に負えず関東で子供の病
気といえばここが一番という、埼玉の小児医療センターに緊
急搬送されました。
(これも不思議な縁ですが、結婚してアパートを引越したの
ですが、その引っ越したアパートから数分の距離にある病院
がなんと小児医療センターでした。千葉で産んだのになぜか
アパートから通える位置に息子自ら移動してきたんです。)

そこで病名が分かったものの、なんと小児医療センターで治
療をするのも我が子が初めてという絶望的な状況でした。

なぜなったのかもわからなければ、治した前例も日本には一
例もなく、治し方の糸口さえも、患者のデータすらもない。

この時に思ったんです。

私が今まで死にそうで死ななかったのは・・・。
医者ではなく健康屋になって多くの方の病気を病院と違う方
法で改善してきたのは・・・。
もしかして、私はこの子を生かすために生まれてきたのでは
ないかと思ったんです。

この時には健康に関する自信や知識がありました。

どうせ治し方を知らないのならとお医者様にも色々な治療の
提案もしました。(妻だけで病院にいた時に『旦那さんは医
療系の方ですか?』と聞かれたそうです。)
その位、可能性のある先進的医療の全てを提案しました。
セカンドオピニオンも北海道から沖縄までゴッドハンドと言
われる名医はハジから連絡を取りました。

これによってゴッドハンドの意味もわかったんですね。
できない事はハナから引き受けないで治療を受け付けなけれ
ば、失敗することもないですから、名前だけ数字だけのゴッ
ドハンドが世の中に多い事。

セカンドオピニオン外来の口裏合わせの無駄金。

あまり言うと悪口ばかりになってしまいますのでここでやめ
ておきましょう。

しかし、善意かデータ目的かはわかりませんが、真剣に相談
に乗ってくれた病院も2つだけありました。(聞きたい方は
今度コソッとお話ししますね)

最終的には名前の由来となったディエツ先生とアポが取れ海
外の心臓移植の話まで出てました。

真っ暗だった中にうっすらと光が見えてきたかに思えた5月1
0日の夕方、
大阪のセカンドオピニオンから帰った妻とその両親と私で子
供に会いに行きました。

NICU(小児集中治療室)にいる子供には命の危険性があるため
30分程しか入ることが許されておらず(ウチの場合は少しお
まけをして長居をさせてもらってましたが)、抱っこをする
時などは医師が2名ついて、一人が呼吸器を持ち一人がモニ
ターをみてないと抱けないという管理のもとでした。

その日もいつもと同じ様に1日の中で数少ない息子との触れ
合いの時間。

いつもの様に抱いていた時にたった一回。

息子は大きくため息をついたんです。

その瞬間、ついている機械が全て鳴り始めました。
お医者様方も大丈夫ですよって言いながら続々集まってきて
、息子の小さい体に心肺蘇生法を行いました。

心肺蘇生の甲斐もなく息子は短い人生を終えました。

亡くなったばかりの息子を抱き上げ、声をあげて泣きました

己の無力さが悔しかった。
もしかしたら、この子のために生まれてきたのではないかと
思った自分が何の為に生まれてきたのか
目標を失った瞬間でもありました。

死因は冠動脈の裂孔との事でした。

まだまだ症例が少ない病気だから司法解剖をさせてもらいた
いと言われました。
あれって辛いですね。
死んですぐしゃないとできないから、まだ心の整理ができて
いないうちに言われるんです。

ウチの場合はお医者さんが土下座をして頼んできました。

自分の息子にメスを入れさせるなんて絶対無理です・・・。
当たり前ですね。

ですが、私は
そこまで言うのなら一部提供をしますと答えました。
条件は傷を最小限にしてもらう事。
そして、ウチの息子がいた事が将来この病気の克服をした日
が来た時に提供者として名前を残してもらうこと。
息子が生きていた証を残したかった。

その時は署名をしてくれと言ったのですが、署名はもらえま
せんでした。
だから、2つ目の約束は守られることはないのかもしれませ
ん。

あれから7回忌が終わりましたが、未だに嫁は司法解剖だけ
が後悔と言ってます。
しかし私はまだ、お医者様が息子の無念を晴らしてくれると
信じているのです。

 

第六章・・・息子と妻とお猫様 前編